杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

白隠正宗と白隠禅師の教え

2008-02-17 21:00:28 | 白隠禅師

 1996年に結成したしずおか地酒研究会は、静岡の酒を愛する“造り手・売り手・飲み手の輪”をテーマに、ワークショップ形式の活動を行っています。当初は、まず、静岡の酒の素晴らしさを理解していただこうと、専門家の先生や酒類業者の方々を講師やパネリストにお招きし、座学と現地見学を中心にしたアカデミックな「しずおか地酒塾」を定期開催していましたが、活動を続けるうちに、意欲的な酒販店や地酒ファンが各地で独自に試飲会や見学会を開くなど、静岡の酒の応援の輪が二重三重に広がっていきました。そこで、7~8年ぐらい前から、少人数のサロン形式に変え、蔵元も一緒に飲んだり食べたり語り合ったり、と、地酒をかこむ場の雰囲気づくりに努めています。

 

 

 

 

 

 

 

  

 静岡の酒がどんなに素晴らしくても、評価されるのは東京などの大消費地が中心で、肝心の静岡県内では、日本酒消費量に占める静岡酒のシェアは2割以下。愛好家というのはどちらかというと内々に固まってしまう傾向が強く、限定酒を手にしたことを自慢したり、自分たちだけのオリジナルラベルの酒などを造って満足する、というグループが多いようです。それはそれで、ひとつの酒の愛し方だと思いますが、「知らない人に伝える」努力を怠っていては、シェア2割以下のまま「地酒が地元で買いにくい」状況はいつまでも改善しないでしょう。その対策を、造り手に一方的に負わせるのではなく、売り手や飲み手の意識改革も平等に必要なのだ、とつねづね思っています。

 私はフリーランスの取材・執筆活動を生業としていますので、さまざまな職業や階層の方々と知己を得る機会に恵まれています。地酒ファンだけの集まりでは、底辺は広がっていかないので、会では、静岡の酒のことはほとんど知らない人や、日本酒がまったく飲めないという人にも来てもらえる機会を増やしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 今日は、映像作品『朝鮮通信使』の脚本監修でお世話になった朝鮮通信使研究家の北村欽哉先生(写真左)をお誘いして、過去ブログでも紹介した朝鮮通信使ラベルの酒を造る『白隠正宗』高嶋酒造(沼津市原)を、15名の参加者とともに訪問しました。

 

 

 

 

 

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 蔵は、JR原駅からほど近い、旧東海道沿いにあります。富士山の雪解け水を150メートルの井戸から汲み上げ、飲み水はおろか、トイレの水洗までぜいたくに使っているという高嶋家。蔵の外壁に設置された水汲み場は、誰でも自由に利用できるとあって、朝からポリタンク一杯に水を汲みに来る人々の車の列が続いていました。

 

 

 

 

 

 

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  仕込み蔵では、特別純米・特別本醸造・山廃純米等のもろみを見学しました。蔵元高嶋一孝さんの「全量、静岡酵母New-5で仕込んで原料米の違いや仕込み方法の違いを究めたい」「搾った後の火入れ殺菌処理によって酒質が左右されるため、うちの蔵のサイズにあったコンパクトなパストライザー(瓶燗火入れ器)を自分で設計してメーカーに作ってもらった」等々、酒造りに対する意欲的な思いに、参加者は感心しきり。

 高嶋さんは県内の蔵元(社長)では最も若い29歳で、今期から杜氏を兼任しています。慣習や常Photo_3識にとらわれず、かといって何でもかんでも新しければいいという軽さではなく、手をかけるべきところはしっかり注力する。その労力を維持し、なおかつ手作業よりも質が向上するなら機械化や合理化にも積極的にトライする、といった柔軟な姿勢が、好感を呼びます。イラストに描きやすいようなキャラや容貌も魅力・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  蔵の応接ルームは、中国の古美術品や朝鮮通信使ゆかりの書や絵画などが展示された、ちょっとしたギャラリー。北村先生に歴史の講義をしていただくつもりでしたが、先生ご自身が「私の話なんかよりも早く試飲を楽しみましょう」とノリノリで酒杯を手にされます。

 

 

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  今回の会員参加者では、下田市の植松英彦さん(植松酒店)、静岡市の塚本英一さん夫妻(塚本商店)、静岡市の萩原和子さん(篠田酒店ドリプラ店)、山口登志郎さん(鉄板焼ダイニング湧登)、金谷の片岡博さん(中屋酒店)、浜松市の片山克哉さん(かたやま酒店)といった酒の“売り手”が中心。売り手の注目をこれだけ集めたことからしても、高嶋さんの酒への期待のほどがうかがえます。

 

 

 一方“飲み手”では、初参加の北村先生や鈴木邦夫さん(静岡県立大学名誉教授)、「日本酒がまったく飲めない」という末永和代さん(NPO法人世界女性会議ネットワーク静岡)、純粋に酒蔵見学を楽しみたいという後藤邦男さん(広告プランナー)もいて、参加者のモチベーションが同一ラインにあるとは限りませんでしたが、末永さんは「日本酒が、これだけ手間をかけて丁寧に造られ、応援する人がこれだけ熱心に話を聞いたり試飲をしたりする姿を見ているだけで、なんて貴重なものをいただいているのかって思えてきます」と心底満足した様子。「ちょっとずつでも静岡の酒を覚えて飲めるようにしたいわ」と言ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  原駅前の鮨店で、誉富士と五百万石の新酒生原酒、山田錦の山廃純米(燗酒に最適!)、にごり酒等、数種の白隠正宗を試飲し、初対面の売り手と飲み手がさまざまに交流し合った後、白隠禅師の菩提寺『松蔭寺』を訪ね、宮本圓明住職から、「臨済宗には14派の元に6500の末寺があるが、臨済禅のソフトは白隠禅師の教えに統一されている」「禅師が、寺の収入が14石しかないとき、禅師を慕って全国から集まった400人の雲水を食べさせるため、乞われるままに数多くの書や画を書いた」等々、教えてもらいました。白隠正宗大吟醸のラベルになった朝鮮通信使の馬上才の絵も、その1枚かもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  禅師は“食平等(じきびょうどう)”に徹した人でした。どんなに偉い殿様や大本山の管首さまであろうと、寺にあっては食べる飯は修行僧と同じ。「禅師ほどの高僧であれば、行く末は臨済宗大本山の管首で、というのが常道だったが、禅師は最後まで生まれ故郷のこの寺で一生を全うした。それが素晴らしい。人間、最後の修業とは名誉欲との戦いですから」と宮本住職。私たちは、白隠禅師の人物の大きさを改めて知りました。地元にこういう方がいらしたことをよく知らなかった己の無知を恥じながら・・・。

 

 

 

 

 

 

  造り手も売り手も飲み手も、気持ちの上では“酒平等”ではないかと思います。蔵元にとっては、米を作る農家や酒を売る商人や買ってくれる消費者がいてこその酒造り。商う人も嗜む人もしかり。静岡の酒が、地元よりも東京で評価されているという現実は、酒平等を保つサイクルが歪んでいる証拠です。 

 一朝一夕に解消できる歪みではないでしょう。私たち地元ファンに出来ることがあるとしたら、末永さんが感じてくださったようなことを、周りにコツコツ広げていくしかないと思います。知らない人が多いということは、恥ではなく、これから知る楽しみ、一緒に味わう喜びが広がっているということですから・・・。