杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

喜久酔の上槽

2008-02-20 19:04:57 | 吟醸王国しずおか

Dsc_0006   今日は午後一から、『喜久酔』の青島酒造(藤枝市)で上槽(じょうそう=搾り)の撮影をしました。

 先月、麹造り等を撮影した喜久酔純米大吟醸松下米40ではなく、同じ松下米でも精米歩合50%の味のあるタイプ=純米吟醸松下米50の搾りです。40も50も、上槽は同じ作業ですが、醗酵の経過具合によって、いつ搾るか直前にならないと決まらないため、カメラマンの成岡正之さんの都合に合うかどうかヒヤヒヤものでした。蔵元杜氏の青島孝さんから2日前に「今日から明後日まで50を搾ります」と連絡を受け、私と成岡さんの都合が空いた今日、急遽、撮影することになりました。

 「上槽のタイミングが事前に計算できたのは滅多にないこと。それだけ今年の醗酵がスムーズでベストな経過で来た証拠です」と明るい表情で迎えてくれた青島さん。仕込みの間、撮影でよけいなプレッシャーを与えていないか内心、気がかりでしたが、私もその言葉にホッと胸をなで下ろしました。

  

  8年前、静岡新聞総合情報サイト『アットエス』で、青島酒造を1年間密着取材し、〈酒造りの蔵から〉という連載記事を書きました。その中で、喜久酔ひとすじ40年余の南部杜氏(岩手県)・富山初雄さんの上槽作業を紹介しています。

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  蔵人の顔ぶれは様変わりし、平均年齢もグッと若返りました。青島さんが杜氏になってからの喜久酔は、富山さんが造っていた頃よりも、さらに静岡らしいみずみずしさに磨きがかかっていると評判です。切れ目なくキビキビとした連係動作で働く若い蔵人を見ていると、なるほど彼らが醸す酒らしいな、と納得できます。それでも、自分が生まれる前から杜氏を務めていた富山さんのあとを継いだ青島さんの一挙手一投足は、間違いなく、伝統が継承されることの尊さを物語っていました。

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   カメラマンの成岡正之さんは、かつて、日本テレビの情報番組〈ズームイン!朝〉のスイッチャーを勤めていた頃、前夜に呑み過ぎて寝坊し、仕事に穴を空けてしまったという痛い経験の持ち主。それ以来、アルコールを一切断っているそうで、『朝鮮通信使』の制作中も酒の席ではウーロン茶を貫き通しました。

 

   私が対馬ロケに〈磯自慢純米大吟醸ブルーボトル〉を抱えてホテルで無理やり呑ませたときは、「これ、磯自慢じゃない?」と一発で当てたので、まんざら酒の味オンチでもないと思い、その頃から「いつか地酒の映画を作りましょうよ、造りの現場を見て、搾りたてを試飲してみれば、酒の見方が180度変わりますよ~」と洗脳し続けました。山本起也監督は「酒は確かに魅力的な素材だけど、見た目はただの水だからなぁ…」とイマイチの反応でしたが、折に触れて静岡の酒を呑ませ、蔵元と顔合わせをする機会を作ってきました。

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  ちょうど1年前、助監督の村岡麻世さんを連れて藤枝へ朝鮮通信使史料の取材に出かけた際、藤枝市郷土博物館の八木館長を紹介してくれた青島さんにお礼をしようと、蔵を訪ねました。20歳になったばかりの大学生で、酒蔵訪問はおろか、日本酒をまともに呑んだこともないという村岡さんを、「今日が日本酒との初めての出会いになるなら」と、青島さんは多忙な手を止めて彼女一人のために蔵の中を案内し、搾りたての松下米50を試飲させてくれました。

 村岡さんは「これ、本当に日本酒ですか?」と眼を白黒させ、無理して呑まなくてもいいよと言う私を制して、美味しそうにゴクリ。その後、彼女が酒の味を覚えたのかどうかわかりませんが、初めて出会った日本酒が喜久酔だったということが、すごく幸せなことだと気づく日が来るでしょう。

  

 

  多忙を極める山本監督を、実際に蔵へ案内する機会も、今回のロケハン&試し撮りにつきあわせることもできませんでしたが、成岡さんには1年越しで、ようやく、今日のこの日を提供できたわけです。

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  もろみを詰めた酒袋を槽(ふね)に積み、その重みで少しずつ酒の滴が落ち始めると、青島さんは、自分の子どもが産声をあげた瞬間を迎えたような、感無量の表情を見せます。その様子をカメラにとらえた成岡さん。青島さんから勧められるままに、搾りたての利き猪口を受け取り、一口含むと、「なにこれ!? 本当に酒?」と驚愕の一言。「俺、飲めない体質なんだけど」ととまどいながらも、ふた口み口と進みます。その姿に、私も青島さんも、してやったり、とニンマリ。

 帰り際も、「真弓さんが言っていたとおりだね。酒の本当の旨さを知らないで、日本酒は重いとか、自分は呑めない、なんて言うのはおこがましい」と独り言のようにつぶやきます。

 

 「成岡さんのような反応を見ると、造り手として勇気が湧いてきます。コンテストで金賞を獲ったりマスコミでちやほやされるよりも、ずっと価値がある」と青島さん。成岡さんが今日を境にアルコールを解禁するわけではないと思いますが、自分が愛する酒の価値を、今まで一滴も呑めなかった人が理解してくれたというだけで、私自身も大変な勇気をもらった思いがしました。

 見た目は確かに「ただの水」かもしれません。それでも成岡さんがこれから撮る映像からは、みずみずしい香りが匂い立ってくるでしょう。それだけのスキルを持つカメラマンですから。