ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(瑞鳳殿)

2018年01月26日 | 旅行

毎日寒い日が続いていますね。皆様元気でお過ごしでしょうか。

千葉でも朝は連日氷点下です。

ご隠居みたいに第二の人生を送っている人達はいいのですが仕事をしている若い人たちは大変だろうなと思います。

ご苦労様です。

先日千葉でも雪が降り、ご隠居の事務所の前も少し積もりました。

幸いこの日は気温が高かったので夕方までには溶けました。

 

さて仙台の市内散策です。

「るーぷる仙台」という観光スポットを回るシャトルバスが便利なので乗ってみました。

仙台市内をぐるっと回ります。一日乗車券を買うと乗り降り自由で便利です。

そのうえ一時間に4,5本出ています。

日曜日で混んでいました。12月でも結構外国人観光客もいます。

最初の「晩翠草堂前」で降りようと思いましたが身動きできないぐらいで下車する人もいないので省略しました。

バスは瑞鳳凰(ずいほうでん)のバス停に着きました。

会津若松でも日光でもシャトルバスはこんな形のバスでした。観光地の流行でしょうか。

瑞鳳寺。

伊達藩二代藩主伊達忠宗公によって造営されました。本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像です。

坂道を登って瑞鳳殿に向かいます。

この坂道は戦災からも免れて藩政時代からのものです。杉木立も300年以上たています。

日本の神社仏閣の境内は杉を始めとして針葉樹が多いですね。

明治神宮も最初は針葉樹の森にするように政府の要望がありましたが造園家だった本田静六先生が土壌が針葉樹にはあっていないということで広葉樹を植樹しました。

現在はみごとな神宮の森になっています。総理の忖度など気にしないで仕事の主張を通すと後世に立派なものが出来るみたいです。

一方本多先生は株式投資も上手で分散投資で富を築いたとか。元祖日本のウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイ代表)です。

この人の言葉で

「世の中は

濡れ手で粟をつかむようなうまいことが

そうザラにあるわけではない

てっとり早く成功せんとする人は

てっとり早く失敗する人である」

最近仮想通貨なんかに目の色変えている人に読ませてあげたい。

話がだいぶずれました。坂を進みましょう。

ここでも秋が残っていました。

右側で入場券を買います。

涅槃門(ねはんもん)

「涅槃」とは「煩悩(ぼんのう)を取り払った悟りの境地となる状態」を意味するそうです。

ご隠居もこの年になってもまだ煩悩というか欲があるのでこの門をくぐって反省しましょう。

瑞鳳殿。

伊達政宗公は1636年、70歳で生涯を閉じましたがその遺命により経が峯に造営された墓所です。

昭和20年の戦災で焼失しましたが昭和54年に再建されました。

資料館に立ち寄った後、善応殿の方に向かいます。一度階段を降ります。

戊辰戦争弔魂碑。

東北地方に来ると(新潟もそうですが)戊辰戦争の記憶がいまだに残っているような気がします。

感仙殿。

二代藩主伊達忠宗公の墓所です。

忠宗公は法治体制の確立、新田開発、治水、港湾整備に振興をはかりました。

二代目はまだお父様の影響を強く受けているのでまともに頑張るようです。

三代目の孫になると・・・・

三大藩主、伊達綱宗公の墓所です。

さて三代目は幼い頃から芸術的才能にたけていたそうです。

その生涯は書画、蒔絵などに天分を発揮して優雅な余生を送ったと言われています。

そうですか・・・・・・。

北朝鮮の三代目もリトルロケットマンなどと言われないで絵画にでも精を出せばいいのにと思いました。

それにしても瑞鳳殿見学するだけでも時間がだいぶかかりました。又るーぷるバスに乗りましょう。

 

 

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