村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第7号 村上和隆の人生塾「一言」   一生かかって捨てるために生きると考えてみたら

2008-03-25 08:05:41 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)

7.オギャーと生まれたら、死と向き合い、一生かかって捨てるために生きると考えてみたらどうでしょう

人は誕生という言葉は良い言葉で、お目出度いと思い込み、死という言葉は口にするのもタブーであって、四でさえ極端に忌み嫌うのです。
冷静に考えてみれば、人間の誕生は、長くつらい旅の始まりであり、重いものを背負い歩き出す、ある意味で悲しい瞬間でもあるのです。
それに対して、死というのはゴール・旅路の終わり・到達点・安息所と考えることもできるのです。乱暴ですが、人間は生まれた時から、「死への長くつらい旅立ち」又は「楽しいドキドキする冒険」が始まると言うことが出来るのです。

貴方が、いつか死ぬるときに、”安心し切って穏やかな死”を迎えることができるか?苦難に満ちドタバタした死を迎えるかは貴方の日々の心がけ次第なんです。

ですから、誕生も死も大差ないくらい重みのある大事なことであり、よくよく考えてみれば、相対立するものではなく、出発がなければゴール無し/ゴールがなければ出発もないのです。

どちらも”目出度くもあり、どちらも目出度くもなし”なのです。ゴールまでの道のり・長さ・険しさは、人によって著しく違うのです。80歳くらい迄長く生きる人もいれば、10年・20年そこそこで短い人生を終える人もいるのです。
男は79歳女は85歳まで生きられるなんて保証されているわけでないのです。死を忌み嫌うのではなく、むしろ常日頃”自分の死に場所”・”死に方”を真剣に考えることこそが大事だと思います。

日々なんとなく元気で生きていると、明日にでも死ぬかもしれないということを忘れて日々安易に漫然と浮かれて生きることは、決して良くはないのです。
早死にした人に「あの若さで死ぬなん、可哀相ね」なんてこと言いますが、それがその人の運命だったんです。むしろ生まれた以上は、常に死を想定・覚悟し、死ときちんと向き合うことが大事なことなんです。

死は、良くも悪くも貴方の最終到達点ですし「終わり良ければ全て良し」とも言うのです。貴方が今3万円持っているとします。次の給与の日までは20日あるとします。その間、あちこちへ支払いもしなくてはいけませ。
そうであれば貴方はいろいろ考えを巡らし、その3万円を極力大事に計画的に使うはずです。しかし、もし20万円も持っていたとしたら、そんなことは全く考えようともしないでしょう。はたしてどちらが良いのでしょうか?

死から目をそむけ、自分の死を真剣に考えることを、貴方は避けていませんか?よくよく考えてみると、すでに生まれた貴方にとって、誕生より死のほうが十倍~百倍大切なのです。
もし「明日死ぬ」と言われても、「自分の人生に十分満足している、いつ死んでも悔いはない」と泰然自若、言い切れることができるでしょうか?
”どう生きるか”と同じくらい”どう死ぬか”が大事なことですが、いざ死ぬ直前に「こんな死に方は、したくなっかた」とそのことに気付かされるのです。

よく言いませんか?「出会いより別れのほうが人を磨く」別れとは、本来悲しいだけのものではないのですが、単純に、分かれは哀しく・ありべからざるものと思い込んでしまうのが人間の小さな心なんです。

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
日本人自ら心の再生をしようではありませんか?
村上和隆人生塾のホームページへ

村上和隆の会話塾
村上和隆の会話ブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする