私が入社した頃(昭和56年)、わが社のパンチ部門で使っていたのは「紙テープ」だった。
で、ほどなく「ワープロ」が普及し始めた。
会計用の伝票は「赤伝」「青伝」といって貸借を別々に手書きで記入した。
当然、大量の伝票が発生した。
この伝票を元に「総勘定元帳」や「補助元帳」を万年筆で記入していた。
月末の数字合わせで貸借のバランスが取れていないと、その原因究明は困難を極めた。
口座引落のデータは「磁気テープ」に落として金融機関へ運んだ。
しばらくして、磁気テープが「8インチフロッピー」になり「3.5インチフロッピー」へと変わった。
そして、今では「FB送信」。
入社当初、事務処理データはNECの「S100というオフコン」が管理していた。 プリンターは「ドットプリンター」。
本格的に電算化されたのは昭和と平成の境目あたり。
と、いっても、「アウトソーシング」で夕方5時で作業を止めなければならず使い勝手がはなはだ悪かった。
移行時は毎日残業で、若かったといえ、死ぬ思いだった。
「全国展開しているシステムを入れてください!」
とU社から、しつこく勧誘されていて、面倒臭さが先に立ち、適当にはぐらかしていたのだが2000年問題に気づき、急遽導入!
当時はあらかじめ印刷された帳票に印字するパターンだったので、納品が遅れるサプライ会社を怒鳴りつけたことは何度も・・・
「対応が遅い!」と保守会社担当者に何度も苦情を言って、ついに、保守会社がU社に泣きを入れたこともあったらしい。
まんず、わだしも若がった(笑)。
会計の全面システム化にはもう少し時間がかかった。
まんず、そんな、こんなで、今に至っておるのでした。
システムがダウンしたらどーしたらいーのでしょーね!?
いろいろ考えれば恐ろしい世の中です。
どんとはれ。