まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

息吹

2022年05月21日 | 少し働く日々

シルバーバイトの帰りに、焼酎カップと安いつまみを買いに立ち寄るコンビニがある。

このコンビニでは毎年ツバメが巣を作り子育てをする。

今年も子育て真っ最中で、この様子をのぞくのもここに立ち寄る楽しみになっている。


ここ数日で子たちも日に日に大きくなり、ピイ、ピイやかましく親が運んでくる餌をねだっている。

もう少したつと飛び立って、親子の時間を秋まで過ごし、あんな小さな体で3000kmも海を渡り、遠い国に渡っていく。

Web上には、ツバメの平均寿命は約2年くらい。
巣立ち成功率は50%程度、雛の1年生存率は10%程度との数値もある。

いずれにしても、与えられた時間は短いわけで、その中で必死に生き、誰が教えたでもないのに迷わず遠い国まで飛んでいき、またこんな住みづらい日本に戻ってきて、子たちは親から離れて新たに巣を作り自分たちの子を育てる。

ツバメたちの様子を見ていると、自然の息吹というか、エネルギーを感じて、『酒飲みジイサン』も、また明日も頑張ろうという気になる。

残された時間、弱り続ける認知力、体力を意識しながら、自分のできる範囲で世の中と関わりたいと少し働く日々を続けている。

目線を並行から上に向けることの少なかった若い頃と比べ、心に余裕ができれば、防犯カメラに張り付いて子育てをするツバメにも教えられる感受性が戻ってくる。
ありがたいことである。

ちなみに、このコンビニのオーナーさんは、毎年糞などの始末をきちんとされ、ツバメの育ちを見守っておられる様子。

汚いから巣など落としてしまえ、となるのが今の世の中。
オーナーさんのご配慮にも敬服である。

字田舎といっても、軒先や家の中に巣を作れる、昔ながらのオープンな農家作りの家はほぼない。

人が快適に住むためという半面で、ツバメたちには受難の時代である。

それでも、不平も言わず、悪さもせず、与えられた環境の中で家族を育み、稲につく害虫などをせっせととって人の役に立ってくれるのだから、やっぱりすごいなぁ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

房総のループ橋

2022年04月15日 | 少し働く日々

鴨川市某所での道路舗装工事があり、交通誘導のアルバイトにでた。

小さな工事で、15時前に終了。

作業中、ご近所の方との雑談の中で、ずっと工事中であった房総のループ橋が開通したと聞き込み、ちょっと寄り道をしてみることにした。

「清澄山道ループ橋」というらしい。

場所は、天津小湊から清澄山に登る県道81号。

着手から20年越しの完成だそうだ。

旧道の狭隘ヘアピン2か所は解消し、素晴らしい道路になっていた。

ループ橋といえば、近くでは伊豆の「河津七滝ループ橋」(2重ループ橋)が有名だけれど、房総版はこれほどくるくる回っていない。



それにしても、たいして交通量もないところに素晴らしいものをつくったものである。(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただ咲いていた

2022年04月10日 | 少し働く日々

ガス管交換工事の交通誘導に出た。

静かな住宅街で通行はほとんどなく、時を持て余し気味。

足元をみたら、排水溝とアスファルト舗装の隙間から実生のビオラが1株葉を広げ、花をつけて、静かに、気持ちよさそうに咲いていた。

ご近所の観賞用の株から種が落ち、たまたま雨水などで狭いくぼみに流れ込み、たまたまそこで芽が出て、水も肥料ももらえないのに、根は狭い狭いコンクリートとアスファルトの隙間を一生懸命伸びて養分をすいあげ、葉は一生懸命光を集めて、花を咲かせた。

種を作って子孫を残そうなんて先々どうなるかわからないことを考えたとしたら、きっとそうそうに枯れてしまっていたに違いない。

種は種、根は根、葉は葉として、そのときそのときを一生懸命生きて、ほとんど人に気づかれずとも花は花で静かに、気持ちよさそうに咲いている。

あ、これでいいんだ!

人の生き方をビオラに教わった気がした。

少なくとも私はこの花に気づき、心が動いた。

散策しながら足元のこの花に気づき、何かを感じる人もきっといるに違いない。

こんなところで咲いた花だって、いや、こんなところだからこそその意味がある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まぶしい朝日

2022年02月26日 | 少し働く日々

朝7時近くまで夜が明けない寒い冬の時間を布団の中で首をすくめて過ごしてきた
けれど、今朝、6時前に窓越しに外がしらじらとしているのに気がついた。

寝室兼書斎兼ひきこもりジイさんの部屋は二階にあり、日の出方向が見渡せる。

気づいた時刻には、もう東の空が茜色に染まり、日の出まじかだった。

寒い、寒いと首をすくめている内に、お天道様が顔を出す時刻は1時間くらい早くなっていたようだ。

これからは、布団にもぐっていなくてもお天道様と一緒に起き出せるので、気持ちも前向きになる。

同時に、草木も目を覚まし、畑も楽しみだけれど、また『雑草の日々』の始まり。

ジャガイモの畝つくりをと考えていたのだけれど、交通誘導のアルバイトが入ったので、ちょこっと田舎警備員をやってきた。

日中は15度前後まで気温が上がり、風もなし。

暖かい。

まだ下手くそなウグイスの初鳴きも聞いてきた。

春本番近し!である。

国会などでは、週休3日制という話題も取り上げられているようだけれど、交通誘導のアルバイトを数年やって、「この国は、まだ日曜(週1日程度)しか休みがない」人が圧倒的に多いんだということを実感した。

家の事情で早期退職した会社は、土日(週2日)は基本休み、祝日もカレンダー通り(勤務がある場合は祝日給で割増)、労組との協定で年間最大20日は計画年休(年休はすべて取れる仕組み)が取れた。

政治が、そういう環境を当たり前として、どんどん休みの制度だけ引き上げるのは、違うよなぁと思う。

だって、今週の天皇陛下の誕生日(祝日)も、今日(土曜)も土木、中小零細の建設関係の現場は動いている。

そんな中では、「もう週休2日は定着したので、週休3日制にずべき」という議論より、日給月給で働き、その中から税金を支払い、糊口を満たし、真面目に暮らしている多くの人の暮らしを底上げしてくれることの方が有り難い。

もう、豊かに酔った社会では、角栄さんのような政治家はでないのかな?

今は苦しいけれど、「よし、今日も頑張ろう」と思えるまぶしい朝日、そんな国の運営をして欲しい・・・。

てっ、誰がこんな社会にしたんじゃ!
m(__)m 私達の世代です。
そう思います。
ごめんなさい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人にあたっても・・・

2022年02月19日 | 少し働く日々

交通誘導のシルバーバイト、休みの予定なれど、7時に急に呼び出され近くの街の変則交差点の信号のからむ片交作業にあたった。

お昼少し前から、予報通り雨降り。
しかも、寒い!

これじゃ、急に朝お腹が痛くなる人もいるわな(笑)

休憩回しのポジションに入り、3人の位置をぐるぐる回った。

思いっきり渋滞を作った側の人をお昼に入れて交替。

反対側の人と調整し、2回連続で流させてもらうなど工夫中に、わざわざ目の前で車を止め、助手席側の窓を開け「馬鹿野郎!いつまで待たせるんだ!」とのシニアの御仁あり。

はいはい、ごもっとも。信号が変わってしまうからはやく行ってください、と促しても怒り心頭である。

結果、この人のお陰様で、渋滞がまた増えた。

相互に流れているものを半分の一方通行にしてしまうのだから、交通量が多ければ渋滞は必然。

しかも交差点にある信号機、横断歩道は、桜田門組が仕切る、国家権力である。

これを無視して事故れば当然運転者は重い過失にとわれる。

交通誘導の仕事は、安全な運転をするために運転者に適切な情報を提供し、運転者が適切な判断ができるように誘導すること。

交通事故が起こると、誘導員が行けといったからという主張を必ずするようだけれど、それじゃ、あんたは、小学生が横断歩道を渡っている、誘導員が轢けと合図したら轢き殺しますか?
それはしないでしょ。

誘導員が進めの合図をしても、その行動を起こすかどうかは、公安委員会から免許を受けている一人ひとりのドラーバーの判断・責任である。

状況によっては、渋滞のイライラの矢面に立って罵声を浴びるのも給料の内ではあるけれど、他人にあたっても、仕方がないかと。

もともとはといえば、あなたがたの日々通っている道路の補修だし、あたながたの家に繋がるガス、水道の工事。

ぜんぜん違うところで暮らしている警備員の自分には、「あっしには、かかわりのねぇことでござんす」の世界である。

こちらも最賃とは言えお給料をもらって仕事でやっているのだから、感謝してくださいなんて思わないし、言わないけれど、怒鳴られたってなぁ。
である。

仏教に「心の三毒」という教えがある。

貪瞋痴(とんじんち)。

「貪(むさぼり)」「瞋(いかり)」「痴(おろかさ)」

この三毒が自分を苦しめる、因果応報のもとだとお釈迦さまはおっしゃる。

「痴(おろかさ)」とは、不快だといって、みずからがさらに不快感をぶちまけ、周囲をより不快にさせることなどである。
※「痴(おろかさ)」については、Google先生に詳細を聞いてみてください。より深い解説もあると思います。

かの御仁の思い、お怒りはご尤も。
でも、それって自分が辛いよね。

貪瞋痴(とんじんち)、みな日々時々にある感情だけれど、毎朝お仏壇にご飯お茶を上げ、深呼吸の瞑想をし、懺悔文を読経している日々は自分にとって無駄ではないようである。

だいぶ在家の仏教に馴染んできたようである。

合掌

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする