隣の親爺さんが亡くなった。
もう四十年近く前に、カミさんと結婚式を上げる際に、(頼まれ)仲人をお願いした人である。
長く地域の役員などをしてきた人で、子供の頃からの、社会人として地域に参加してからの、いろいろな思いがある。
しかし、世はコロナ禍。
ワクチン接種は進んできたけれど、片田舎でも、日々ポツポツと感染報告が上がっている。
昨今の例で、喪主の意向で、家族葬・一日葬で行い、地域の会葬等は辞退するとのことで、「ある意味、静かに」フェイドアウト。
九十年以上もこの地に生きてきたにしては、なんだか、さっぱりし過ぎである。
核家族化が極端に進み、生まれたときも両親、父母くらいしか祝福されない。
連絡もない。
年老いて、一人旅立つときは、年老いたツレ合いと少数の子達に送ってもらう。
生前の挨拶もない。
一人で生まれ、一人で生き、一人で死んでいく。
これは人の生きる現実だけれど、なんだかとても寂しい、生きにくい世の中になってきた。
そう思う。
人は、仏性を持った人の間で育まれ、成長し、自らの仏性を感じ、他へ布施する。
田舎には、班という小さな地域グループが残っていて、今年はその班長をしている。
喪主に話を通し、みさなんに声をかけて、午前中、お焼香に行ってきた。
遺影、お位牌をみて、ああ、亡くなったんだとちょっと区切りがついた。