まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

警鐘かも

2022年03月17日 | 日記

昨夜はゆれた。

長いゆれの中で、またあの3.11の再来化と不安になった。

東日本大震災から11年目の今月、いろいろ話題となっていたけれど、時間が経てば経つほど地震、津波という自然災害のベールがとれて、原発の事故との印象が強くなってきているのは自分だけか。

ウクライナ戦争前、カーボンニュートラルが行き過ぎたほど話題となり、その中で原発の再稼働の必要性が既定路線のように取り上げられた。

ウクライナ戦争でロシアからの石油、ガスの供給が困難となり、価格高騰が問題となっている今、要請しても中東産油国などは増産には難色をしめしているという。

一方的に買わない、困ったときはもっと売って欲しい、そんな自分だけに都合の良いソロバン勘定では、そりゃ、そうだろう、である。

勢い今度のウクライナ戦争でも、電気がなくては生活していけない、国内の既存の原発を稼働させるべきだとの論調もある。

昨晩の大きな地震で、原発の使用済み燃料棒の冷却水位が下がるトラブルがあったという。

幸い今回は大きな津波というトリガーがなかったから、うまく対処できたけれど、また大規模停電に繋がるような津波などがおこったら、冷却できず、今も大きな原発被爆事故に繋がる可能性があるとラジオの解説者はいっていた。

大震災をトリガーとした福島の原発事故はまだ生々しい現在進行形なのだ。

原発を再稼働させ電力を得て、物質的に『豊かな』生活を求める。
たしかに、これも為政者の選択肢としてありだろう。

でも考えてみると、稼働した日本の電力を生み出す主要原発を、ウクライナにおけるロシアのように、大陸側の隣国(イデオロギーの違う国ばかりだ)が、テロ的に一斉に占拠したら、日本はもう主権はなくなるような気がする。

ウクライナ戦争から、自然災害をトリガーとした事故より、このようなシナリオの方が怖さを感じる。

破壊されれば大きな被爆災害、管理されても電力は自国でコントロールできない。
自衛隊などの武力的な反撃は原発を壊すことになるからできないだろう。
なし崩し的に、相手国のいいなりになるしかない。

ウクライナ(当時ソ連)は36年前、チェルノブイリ原子力発電所で大爆発事故を発生させた国。

原発事故をよく承知しているロシア(旧ソ連の本体)の確信犯的な占拠行動。

意図的に占拠しているのだから、話し合いに簡単に応ずるはずもない。

現代の日本人はウクライナのみなさんのように庶民が銃火器を手にとって自国を守るという教育を受けていないし、その文化も今はない。

昨晩の地震は、「人の制御できないものは持つべきではない、原発を安易に再稼働させるべきではない」と、その悲惨さを11年前に経験した東日本の人に、われらが地球号からの警鐘だったのではないかと思う。

豊かさの中に幸せ感は多くあるけれど、豊か=幸せではない。

貧しくても全てが不幸だとは言えない。

衣食足りない生活は心を荒ませるけれど、衣食住が満たされれば、むしろモノが少ないほど幸せ、有り難さは浮き立ってくる。

モノが少ないからみえてくるものもある。

便利さばかりを追求する生活を少しずつ見直したい。

3・11は、『東日本大震災の日』ではなく、『福島原発事故の起こった日』に、本日、マイ記念日を変更。

[妄想]

大陸側の国が、もし米国が気が変わって、侵入してきたら、日本人はどこに避難するのだろう。

米国に避難するには広い太平洋がある。米国が受け入れてくれてもウクライナのみなさんのように陸続きで移動はできない。

船舶、航空機と言ったって戦時下になれば、観光のように自由に行き来はできないだろうし、某国が盛んに飛ばしているロケット弾のようなもので、当然攻撃される可能性だってある。

大陸側の国へは小舟でも行けそうだけれど、海上の距離以上に高いイデオロギー、文化の壁がそそり立っている。

まさに、四面楚歌(笑)

「戦争なんておきないよ」というかもしれない。

でも、あの真珠湾攻撃だって、今回のウクライナ侵攻だって事実としておきている。

戦いは、口喧嘩くらいでヨシにしてもらいたい。

 

コメント
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