先の大きな地震の影響で、東日本の火力発電設備が不調となる中、急な冬へ逆戻り。
昨日は温暖な房総にも雪がちらついた。
東電さんは、「電力需給逼迫警報」なるものを発令し、スマホのLineにも何度か節電の要請が入った。
一人ひとりの小さな心がけで、大きな停電となることはどうやら回避できたようだけれど、こういう騒ぎがあると、また、『だから、今ある原発を動かせばいいじゃないか』という声が上がってきそうな気がする。
二酸化炭素問題では、旧テクの火力発電は分が悪いけれど、天災の事故で急に停まっても電気ができないだけで、爆発も放射性物質も撒き散らさない。
原発の核融合を短時間に止められる技術とか使用済み核燃料が短期に安全に処理できる技術が確立しているならば、原発はとてもいいとは思う。
でも、現状では、今の世代の利益のために孫子の代どころか、もっと先の、もう一般には自分とは他人様となったような関係の子孫にまでそのツケを回す。
これはどうなんだろう、と常々思うのである。
東日本大震災のころの停電をきっかけに、西日本電力会社と東日本電力会社の電力の融通が話題になったけれど、今現在も電気の周波数の違いを修正した送電線設備の敷設はほとんど進んでいないらしい。
電気の周波数は、静岡県の富士川を境に、東日本は50Hz、西日本は60Hzの地域に分かれているという。
これは電気事業が始まった明治時代、関東ではドイツから50Hzの発電機を、関西ではアメリカから60Hzの発電機を輸入していたことが原因らしい。
当時は先人たちが競いあって整備、発展してきたのだろうけれど、今のように交通網が整備され、日本が狭くなってみれば、転勤、移住での家電製品などでも弊害になっているらしい。
電気が足りない、「ほら、原発だ」ではなく、明治の先人たちが築いたこんな『東西の壁』を、まず令和の『技術』で打ち破って、国内の電力を有効に使うことが先なんじゃないのかな。
先の見えない危うい原発を華々しく再稼働させることより、地味だけれど全国の送電線設備の規格を合わせる方が国土強靱化になるのでは。
11年前には東日本大震災で、2019年には台風での長期停電があった。
電気は、鉄道や郵便のように、その代替がたくさんある分野と違い、送電線設備も含め全国的に替わるものが見当たらない。
民間企業としてより、もっと広い観点での経営が必要なのではないだろうか。
カーボンニュートラルという絵に書いた餅的視点とは別に、庶民の、国民の日々の生活を守るという電力会社のあり方について、政治家のみなさんに議論してもらいたいと思う。
電気は有り難い。
今の生活にはなくてはならない。
けれど、今だけ灯りがあって、暖かくて、明るければいいというもんでもない。