先日Amazonで注文した司馬遼太郎『翔ぶが如く』(文春文庫 全10巻)が届いた。
破格の全10巻、836円(税込み、送料込み)の商品は、どんなものが届くのかと、少々気になっていたのだけれど、届いてみたら古いなりにいい感じの味のある本だった。
古本は、「どんな環境にあったのか、どんな人が触ったのかわからないから嫌だ」と嫌う向きもあるようだけれど、私的には古い物語は、いろいろな人が読んだであろう古い手垢のついたような本のページをくるのが好きだ。
古本には古本独特の紙のニオイ?があって、少し茶色くなったページをくっていると、どんどん物語の世界に入っていける。
PCやプログラムのことを知りたいとか、最近の投資、健康問題などについて知りたいときなどは、かなり値がはってもそれなりの新刊本に限る。
新刊本の新しいインクのニオイ?もワクワクする。
Google先生も便利だけれど、じっくり読みたい、考えたいときは、やっぱり手持ちの紙の本がいい。
最近は本があまり売れないそうだ。
たしかに、文字を読むことはそうとうなエネルギーを使う。
本を持ち歩くのも大変だし、読んだ後の始末もある。
スマホなどの動画をさくっと見て、概要をおさえるような方向に流れるのは仕方がないと思う。
でも本はさっと流れてしまう動画よりもずっと想像力を使うし、知らないことがあれば脇道にそれて調べて楽しむなど、興味の連鎖が生まれる。
同じ時間のスパンなのだけれど、動画などよりはずっと時はゆっくりながれ、あるときは読みながらうたた寝してしまう。ゆったり、ゆっくりの自分の時間がある。
物価高だって、収入増えなくたって、836円でこんなにコスパがいい時間がおくれる。
世の中、ほんとうに有り難い。
良質な小説本などは時間をおいて何度読み返してもその時の感性で面白く感じるものが多いのもいい。
今日はまだ『坂の上の雲』の世界にいるけれど、それが終わったら、この本を楽しもう。
こんな気になったのも、骨折のおかげである。
そう考えれば、これも悪くなない。