2月29日付 読売新聞編集手帳
日露戦争で満州軍総司令官を務めた大山巌は、
茫(ぼう)洋(よう)たる人格で知られた。
「今日は大砲の音がしもうすが、
どこぞで戦(いくさ)がごわすか」。
参謀部にふらりと現れて、
尋ねた逸話が残っている。
ぼんやりした人ではない。
幕末には自身で大砲を設計し、
戊辰(ぼしん)戦争で各地を転戦した戦略・戦術のプロである。
『戦場の名言』(草思社刊)によれば、
のちに孫から総大将の心構えを聞かれ、
「知っちょっても知らんふりすることよ」
と答えている。
言うべくして難しい。
島の原発事故で独立検証委員会(民間事故調)が報告書をまとめた。
「必要なバッテリーの大きさは?
縦横何メートル?」。
菅直人首相(当時)は緊迫した修羅場で、
みずから携帯電話で担当者に確認したという。
官僚をもっとうまく使えなかったか。
「首相がそんな細かいことを聞くのは、
国としてどうなのかとゾッとした」。
同席者は証言している。
日露戦争で日本海海戦を勝利に導いた作戦参謀、
秋山真之は戦闘のさなかも双眼鏡をのぞかなかった。
「視野が狭くなる。
自分は肉眼で大局を知ればよろしい」と。
総大将が顕微鏡をのぞいてしまった不幸よ。