3月10日付 読売新聞編集手帳
川柳作家の麻生路郎(じろう)に忘れがたい句がある。
〈湯ざめするまでお前と話そ夢に来(こ)よ〉。
早世した小学生の長男に語りかけた一周忌の作という。
夢のなかで話そうね…。
この上なく悲しい会話のはずだが、
至福の時間を待つような恍惚(こうこつ)感もほのかに感じられて、
いっそう深く読む者の胸にしみる。
子が父に語りかける場合も、
こころの哀切な弾みは同じであるらしい。
宮城県石巻市の小学1年、
佐々木惣太郎(そうたろう)君(7)の作文『おとうさんへ』を本紙で読んだ。
小学校の教諭をしていた父、孝さん(当時37歳)は
津波にのまれて亡くなっている。
さびしくても泣かないこと、
友だちができたこと、
宿題もやっていることを告げて、
作文は結ばれている。
〈…だからおとうさん、
いつもぼくのそばにいてね。
ゆめのなかで、
ほめてね。
ぼく、
いつでもまってるね〉
桜は見たか。
夏は暑かったのか。
どんな正月だったのか。
顧みれば、
被災しなかった身にとっても、
夢か、
現(うつつ)か、
いつ何をし、
何をしなかったのかさえ判然としない1年が過ぎようとしている。
一瞬にしてその後の記憶を奪い去った“あの日”がめぐってくる。