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今も生きるテイラー先生の思い

2012-03-12 14:47:03 | 海外ネットワーク


  3月10日 NHK海外ネットワーク


  宮城県石巻市で子どもたちに英語を教えていた
  アメリカ人女性テイラー・アンダーソンさん(当時24歳)。
  震災当日、小学校で授業をしていたテイラーさんは
  校庭に避難していた子どもたちを保護者に引き渡した後、
  津波に巻き込まれ亡くなった。

  子どもたちが次々に手にとる英語の絵本は
  亡くなったテイラーさんが子どものころに好きだった本である。
  「くまのプーさん」、
  アメリカでも人気の「マジック・スクールバス」。
  石巻市立万石浦小学校の図書室にあるテイラー文庫には
  昼休みになると子どもたちが集まる。
  テイラーさんの両親が、
  子どもたちのためにテイラーさんが読んでいた本を学校に贈り、
  今では300冊にのぼる。
  テイラーさんの両親とともに文庫を作ったキャメロン・ピークさんは、
  テイラーさんとはともにアメリカから宮城県に来た友人だった。
  震災後、テイラーさんの死亡を確認したのはピークさんだった。
  今は宮城県庁に勤め、
  被災地を訪れる外国人の応対などをしている。
  ピークさんはこの一年、
  テイラーさんが英語を教えていた幼稚園、小中学校に何度も足を運んできた。
  震災後ふさぎがちだった子どもたちが笑顔を取り戻しつつあると感じている。
  
  キャメロン・ピークさん
  「彼女は生きていたら
   何よりも子どもと接する活動をしているのではないかと思う。
   一歩一歩進んで思いついたらこれは出来るんじゃないか、
   やってみようと。」

  テイラーさんの思いは子どもたちの心にも居続けている。
  中学3年生の杉山彩音さん。
  英語が苦手だった杉山さんに
  テイラーさんはわかるまで丁寧に教えてくれたという。
  大好きだったテイラー先生の死。
  当時災害の情報が外国の人に充分に伝わっていたのかと
  杉山さんは考えるようになり、
  去年8月にその思いを作文につづった。

  題名は「命の絆」。
  「突然大切な人を失う悲しさを知りました。
   先生ともっと勉強をしたかった。
   たくさん話をしたかった。」

  テイラーさんは海に近い道を通っていて津波に襲われたと見られている。

  (杉山さんの作文から)
  「日本語に堪能である外国人でも、
   繰り返し聞こえた防災無線が聞こえにくかったということです。」
  「日本に住んで数年の先生が、
   地震の直後に海の近くを通ると津波が来る可能性があるから危険である、
   という認識を持っていなかったとしても不思議ではありません。」
  
  作文の最後、杉山さんは
  「たくさんの人から支えられた私が
   今度は誰かを助けたい。
   テイラー先生の分まで一生懸命生ていく。」
  と結んだ。
  
  杉山彩音さん
  「もし身の回りに英語が話せる人がいて
   津波の怖さを伝えていたらテイラー先生はまだ生きていたかもしれない。
   英語でそれを伝えられるように
   英語も頑張っていきたい。」

  アメリカ バージニア州に住む父親のアンディーさんと母親のジーンさん。
  ふたりのもとには今も毎月のように
  日本の子どもたちからメッセージが寄せられている。
  その数は千人分を超えた。
  ふたりは基金を設立し、
  テイラー文庫をはじめ子どもたちの支援に取り組んでいる。
  
  アンディ・アンダーソンさん
  「テイラーが求めていたのは彼女がそうだったように
   子どもたちが勉強をして夢を追いかけることです。
   私たちが日本とつながり続けることで
   テイラーの心やその夢が生き続けるのです。」

  2月27日、ふたりはテイラーさんが日本語を学んだ
  ランドルフ・メーコン大学を訪れた。
  テイラーさんが亡くなった後、
  日本からの支援を受け日本文化を学ぶクラスが新たに設けられた。
  ふたりは日本を愛した娘の思いを学生たちに語りかけた。
  
  アンディ・アンダーソンさん
  「私たちは日本とアメリカの関係が深くなるよう
   協力していきたいと思います。
   それがテイラーの残した思いなのです。」

  ジーン・アンダーソンさん
  「私たちは日本の人々、
   特に石巻の人たちに手をさしのべ
   皆さんの復興の助けになりたいと思っています。」

  テイラーさんが最後に教えていた万石浦小学校では
  先月末から、テイラー文庫を生かす新たな取り組みも始まった。
  英語と日本語の両方で子どもたちに読み聞かせるのである。
  ボランティアで参加している佐々木恭子さんも
  英会話教室でテイラーさんに学んだひとりである。

  佐々木恭子さん
  「いつまでもテイラーが石巻にいたことを覚えておいて
   いつか世界とつながるような人になってほしいと思っている。」

  震災から一年、
  石巻ではぐくまれたテイラーさんの思いは
  人々の絆となって広がり続けている。
    
  
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