3月26日 編集手帳
哲学者デカルトの
( 我思う、 ゆえに我あり〉。
それをもじって、
〈我を去る。ゆえに我あり〉。
英文学者の 外山滋比古(とやましげひこ) さんがある随筆に 綴(つづ) った言葉である.
目立とうとせず、
自己主張を控え、
周囲の景色に溶け込むことで逆に、
その人の存在感が重みを増す…という意味だろう。
テレビカメラの前に立てば、
誰もが面白いことの一つも言わねば気の済まない「我が、我が」のご時世である。
我を去る人には、
めったにお目にかかれない.
あえて探せば大相撲のモンゴル出身、
鶴竜関(28)はその一人である。
きょう、
第71代横綱に昇進する.
白鵬のように闘志を表情にみなぎらすわけでもない。
引退した朝青龍のように土俵の外で話題を振りまくわけでもない。
土俵の砂をなめそうな独特の仕切りで客席を沸かせる日馬富士のように、
しぐさの華があるわけでもない。
地味にコツコツを積み重ね、
ゆえにこの日の我あり。
師匠はもちろんのこと、
ファンの感慨もひとしおに違いない.
「 故郷(くに) になしと抱く鶴竜の 桜鯛(さくらだい)」(変哲)。
照れくさそうに、
ちょっとぎこちなく、
桜鯛色に染めた笑顔がきょうは見られることだろう。
哲学者デカルトの
( 我思う、 ゆえに我あり〉。
それをもじって、
〈我を去る。ゆえに我あり〉。
英文学者の 外山滋比古(とやましげひこ) さんがある随筆に 綴(つづ) った言葉である.
目立とうとせず、
自己主張を控え、
周囲の景色に溶け込むことで逆に、
その人の存在感が重みを増す…という意味だろう。
テレビカメラの前に立てば、
誰もが面白いことの一つも言わねば気の済まない「我が、我が」のご時世である。
我を去る人には、
めったにお目にかかれない.
あえて探せば大相撲のモンゴル出身、
鶴竜関(28)はその一人である。
きょう、
第71代横綱に昇進する.
白鵬のように闘志を表情にみなぎらすわけでもない。
引退した朝青龍のように土俵の外で話題を振りまくわけでもない。
土俵の砂をなめそうな独特の仕切りで客席を沸かせる日馬富士のように、
しぐさの華があるわけでもない。
地味にコツコツを積み重ね、
ゆえにこの日の我あり。
師匠はもちろんのこと、
ファンの感慨もひとしおに違いない.
「 故郷(くに) になしと抱く鶴竜の 桜鯛(さくらだい)」(変哲)。
照れくさそうに、
ちょっとぎこちなく、
桜鯛色に染めた笑顔がきょうは見られることだろう。