11月7日 編集手帳
映画監督の川島雄三は桂小文治の前に手をつき、
述べたという。
「良い噺(はなし)家(か)を 一人ダメにします。
お許しください」
松竹映画『こんな私じゃなかったに』を撮るにあたり、
小文治の弟子で二ツ目の若手を映画界にスカウトしたときである。
高座と疎遠になった青年はやがて映画とテレビで売れっ子になる。
桂小金治さんである。
川島の言う「良い噺家」はお世辞でも誇張でもなかったらしい。
永 六輔さんはあるエッセーのなかで、
若き小金治さんの『大工調べ』を聴いて落語の魅力にとりつかれたと語っている。
将来を嘱望されていたのだろう。
落語家の頃は月収4000円だったのに、
2日間で5000円を稼いだ。
〈簡単に言うと、
金に目がくらんで、
僕は落語界を捨てたんですよ(笑)〉
(ちくま文庫『小沢 昭一がめぐる寄席の世界』)。
後年、
ほろ苦い笑いに紛らせて回想している。
小金治さんが88歳で亡くなった。
老境に入ってからは時折、
フリーの落語家として江戸前の小粋な語りで噺を聞かせた。
傘寿の独演会も催している。
寄席の高座に残した若き日の、
“忘れ物”を探していたのかも知れない。