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ベルリンの壁崩壊から25年

2014-11-13 07:30:00 | 海外ネットワーク

11月9日 NHK海外ネットワーク


現在も一部がそのまま残されているベルリンの壁。
25年前 1989年11月9日に壊された。
ドイツの統一が実現。
ヨーロッパは大きな発展を遂げる。
EUは東方へと拡大。
ソビエト解体後に誕生したロシアとも共に歩んできた。
ベルリンの壁崩壊を記念した2009年の式典では“東西の共存共栄”が演出された。
しかし今年 情勢は大きく変化。
ウクライナ危機をきっかけにヨーロッパとロシアの関係は悪化した。
ウクライナではロシアとの国境に新たに壁を作る動きが出てきている。
ヨーロッパを取り巻く環境は緊迫している。
ウクライナ東部で政府軍と新ロシア派の間で続いた先頭をきっかけにロシアの脅威が高まっているためである。
ドイツは統一後 経済や資源取引でロシアとの関係を深めてきた。
欧米とロシアによる制裁合戦の影響は実体経済にも及んでいる。
ロシアと取引をしている企業の中にはロシアへの輸出が滞り打撃を受けているというところもある。
(ドイツ 機械メーカー 販売部長)
「企業としては非常に厳しい状況だ。
 我々とロシアの間では長い間良い関係が築かれてきた。
 ドイツとロシアともに高い代償を支払うことになるだろう。」
ドイツは冷戦下で国の分断を経験するなど対立の歴史に翻弄されてきた。
それだけに市民の平和に対する思いは強い。
まるで過去に戻ったかのような対立の再燃に不安を感じていると言う人は少なくない。

「お前たちがベルリンの壁の向こう側に行くことなどありえない。
 当時の東ドイツの学校ではそう当たり前のように教えていた。」
若者たちに語りかけるのは旧東ドイツで生まれ育ったジャーナリスト ジークベルト・シェーフケさん(55)。
かつて東ドイツの民主化を求める反体制派として活動していた。
東ドイツの実態をひそかに取材し西側に発信し続けた。
1989年にシェーフケさんが撮影した東ドイツの町の様子には
言論や集会の自由が制限され
経済の疲弊で貧しい生活を余儀なくされていた人々の姿が収められている。
「私たちはなんとか生きている。
 このことを報道して。」
つもりに積もった不満は人々を行動へと駆り立てた。
シェーフケさんはその決定的な瞬間を撮影した。
1989年10月9日 東部の都市ライプツィヒ。
7万人が行ったデモ行進である。
自由を求めて叫ぶ人たちを目の当たりにし
民主化のうねりはもはや止めることはできないと思ったと言う。
(ジークベルト・シェーフケさん)
「この映像はドイツだけでなくヨーロッパや世界を変えると確信した。」
撮影した映像は秘密警察の厳しい監視の目をくぐり抜け西側に届けられた。
シェーフケさんは身の危険も感じたが強い思いが必死の行動を支えた。
「壁と共に生活することが我慢できなかった。
 それは自由でいたかったから。」 
シェーフケさんの映像は世界を駆け巡り各地の民主化運動に火をつけた。
デモから1か月後ベルリンの壁は崩壊した。
30年近くドイツを分断してきた壁の崩壊は冷戦終結の象徴となった。
しかしシェーフケさんは今ウクライナ危機をきっかけに25年前に勝ち取った自由と平和が脅かされていると感じている。
冷戦時のような東西の対立が再び起きるのではないかと強い危機感を抱いている。
「25年前と同じような不安な気持ちだ。
 今すぐそばに戦争がある。」
ヨーロッパ28か国の若者たちを相手に行った講演で
シェーフケさんは自分がかつて撮影した映像などを見せ
新たな対立は防がねばならないと訴えかけた。
「今のヨーロッパの状況を見ると焦りを感じる。
 ニュースではこの10日間で300人の死者がでたというが
 けが人は1,000人規模でいるはず。
 これらは私たちのすぐ玄関先で起きている。」
(参加した若者)
「若者にはやれることがたくさんあるし現状を変えることができると思った。」
「かつてドイツでは独愛体制に平和的に打ち勝つことができた。
 ウクライナ危機も同様の平和的手段で解決してほしい。」
(ジークベルト・シーフケさん)
「私は世界は平和になると期待している。
 私が東ドイツ時代に何を経験し
 自由がないことが何を意味するのか
 そのことを若者たちは自国に持ち帰って伝えてくれるだろう。」
歴史を決して逆戻りさせてはいけない。
シェーフケさんは自由と平和の重みを伝え続けていくと決意をあらたにしている。

 

 

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