11月11日 編集手帳
悲観論者と楽観論者の違いを述べたジョークがある。
「この酒は南京虫の臭(にお)い がする」と説くのが悲観論者で、
「この南京虫は酒の臭いがする」と説くのが楽観論者であると。
酒と虫のどちらが好みかと問われたら、
答えに窮する。
楽観論に立っても手放しでは喜べず、
悲観論に立ってもさほど落胆するには及ばない。
世の中にはときに、
そういう出来事がある。
安倍首相と習近平国家主席による約3年ぶりの日中首脳会談は、
“楽”“悲”いずれのレンズも通さず、
裸眼で冷静に行く末を見守るべきニュースかも知れない。
政治的な演技としても習主席の仏頂面には興ざめしたが、
政治とは一説に「悲惨」と「不快」のどちらを採るかの選択だという。
中国が尖閣をめぐって不測の事態が起きる「悲惨」を避けるべく、
気の進まぬ会談を選択したとすれば、
失礼な仏頂面にもなにがしかの意義はあろう。
論語の「徳は…」をもじった戯(ざ)れ言に〈酒は孤(こ)ならず、
必ず隣(となり)あり〉とある。
隣り合った国の首脳同士が虫のにおわぬ美酒で肝胆相照らすには、
まだまだ時間がかかる。
悲観せず、
楽観せず、
長い旅の一歩である。