(食べログより)
ゆりかもめ 台場駅 南口 徒歩5分
ゆりかもめ お台場海浜公園駅 南口 徒歩7分
りんかい線 東京テレポート駅 徒歩3分
東京テレポート駅から366m
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4月8日 おはよう日本
今年2月
ボツワナで開かれた式典。
この国で初めての柔道場が完成したのである。
道場の名前は「センセイイツボ記念道場」。
この地で柔道の普及に力を注いだ日本人青年の名前をとってつけられた。
井坪圭祐さん。
幼いころに柔道を始め
インターハイにも出場した。
強豪の東海大学でも柔道に打ち込み
卒業後
青年海外協力隊に応募。
4年前
「柔道を広めたい」とボツワナにやって来た。
井坪さんは地元の小学校を回って柔道教室を開き
熱心に指導してきた。
このころ井坪さんがアフリカの地で柔道にかける夢を語った音声が残されている。
(話 井坪圭祐さん)
「ボツワナに来てよかったと胸を張って言えます。
柔道が大好きな子どもたちの笑顔に囲まれて
強くなりたいという選手たちと稽古して汗を流して
2020年の東京オリンピックを採取目標に掲げて
彼らに夢を語っています。」
井坪さんは
技術だけでなく
柔道で最も大切な“相手を敬う心”を伝えようとしていた。
(生徒)
「井坪先生はいつもみんながわかるように教えてくれた。
みんな先生のことが大好き。
お父さんのような友だちのような人だった。」
しかし突然の悲劇がおそう。
南アフリカでトレーニングを兼ねた登山で滑落事故に遭い
帰らぬ人となったのである。
井坪さんが強く願っていた専用の柔道場。
式典には特別な人が招待されていた。
リオデジャネイロ五輪の金メダリスト 田知本遥さん。
井坪さんとは東海大学柔道部の同期で
親友だった。
(田知本遥さん)
「小さい子どもたちがみんな私に礼をする。
驚いた。
井坪君が教えたかったことがこうやって始まっているとしたら
そんなうれしいことはない。
田知本さんにとって井坪さんは大きな支えだった。
スランプに陥り柔道を続けるか迷っていた時も
繰り返し励ましてくれたと言う。
この日田知本さんは
南アフリカケープタウンの囲坪さんが亡くなった場所を訪れた。
(田知本遥さん)
「『いつも応援しているからね』と言ってくれた言葉を思い出して
彼のおかげで
柔道家としての自分がいる。」
いま井坪さんの夢はボツワナの若者たちに受け継がれている。
教え子の1人 ガビン・モホパさん(21)。
井坪さんと出会う前
どう技を磨けばいいかわからず行き詰っていたガビンさん。
ガビンさんの素質を見抜いた井坪さんは
柔道の基礎から見直そうと
毎日厳しいけいこを続けた。
ガビンさんは1年足らずでアフリカの大会で優勝するまでになった。
井坪さんとの二人三脚の日々。
別れはあまりに突然だった。
(ガビン・モホパさん)
「亡くなった日もメールをくれた。
信じられなかった。
また井坪さんがひょっこり柔道場に現れるんじゃないかと。
でもその日は来なかった。」
ショックのあまり練習にも身に入らなくなったガビンさん。
再び柔道に向き合う気持ちにさせたのは
井坪さんの残した言葉だった。
日々公開していた柔道ノートである。
「君の柔道を貫こう」
「畳の上に立つ選手は
誰もが強くなりたいと必死なんだ」
「休んでいる暇はない
前を見よう」
井坪さんの1つ1つの言葉にもう一度向き合った。
そして去年
ガビンさんはボツワナで初めての柔道代表として
リオデジャネイロ五輪の大舞台に立ったのである。
結果は初戦で一本負け。
しかしガビンさんは囲坪さんの教えを胸に前を向いている。
(ガビン・モホパさん)
「井坪先生の夢をかなえることが私の夢。
2020年の東京オリンピックに出場したい。
先生に喜んでもらいたい。
その夢に向かって頑張る。」
日本御柔道家がアフリカに残した夢。
若者たちの心に今も生き続けている。