9月12日 おはよう日本
新潟県妙高にあるベンチャー企業
コネㇰテックジャパン 社長平田勝則さん(54)。
創業から9年
半導体関連の事業を展開している。
32人の社員のうち50代と60代が半数以上。
その多くがリーマンショック後にリストラの対象となった技術者である。
かつて大手電機メーカーに勤めていた平田さん。
会社を起ち上げたのはリーマンショックのつらい経験を跳ね返すためだと言う。
当時勤めていた会社では平田さんがいた半導体部門もリストラの対象になった。
管理職だった平田さんは
会社の方針に従い同僚たちにリストラを言い渡した。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「本当に地獄絵図のところだった。
自分の力のなさ
ふがいなさと怒り
たまらない数か月間だった。」
会社を去った技術者の能力や志の高さを知っていた平田さん。
その力を集めれば世界で挑戦できると考え
新たに会社を起ち上げる決断をした。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「自分で手塩にかけて共に学んできた仲間を
リーマンという訳のわからない事象で切らざるを得なくなった時に
いまこそさらに“人こそ大事なり”であるべきではないか。。」
創業メンバー3人で工場をかまえたのが平田さんの地元 新潟だった。
当初5年間は苦しい経営が続くが
10年後世界に通用する高い技術の開発を目指した。
今年実現したのが
これまでより低い温度で半導体のチップを取り付ける技術である。
従来は260度まで温度を上げないと装着できなかった半導体を
80度で取り付けられるようにしたのである。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「260度という温度ではペットフィルムが変質
ほぼせんべいに近いくらいバリバリ。
80度で特性を変えることなく半導体を実装できる。」
衣服や医療器具など柔らかい素材でもセンサーが装着できるとして
用途はさらに広がるとしている。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「半導体がいたるところに実装できさえすれば
いろんなサービス
産業が生まれてくる。
新産業を引っ張っていくトリガーに我々はなりたいと願っている。」
一度は挫折を味わった技術者たち。
世界で勝ち抜くには何が必要なのか。
毎朝 平田さんが理想とする経営者
松下幸之助の言葉を全員で読み上げる。
(松下幸之助 「道をひらく」より)
道をひらくためには
まず歩まねばならぬ
心を定め
懸命に歩まねばならぬ
挑戦を続けなければ道は開けない
リストラでつらい経験をした技術者たちが心をひとつにする時間である。
出身メーカーは異なるが
もう一度自分の力を試したいという思いが集まった技術者たち。
少人数でも世界に挑戦できると自信を深めている。
(内藤弘之さん)
「わくわくしますね。
また私の力が役に立つんだ。
世界で戦えるのではないかと本気で思っている。」
技術者たちが挑戦の部隊に定めたのは台湾。
世界的企業が集まる台湾の見本市。
取引先を一気に拡大したいと考えた。
半導体チップを低温で取り付ける
あの技術をアピールする計画である。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「大きく道が開けるのではないかと思っている。」
「300引き合いは絶対ゲット!
勝負どころだよな。」
9月5日 台湾。
いよいよ平田さんたちの勝負の日。
世界の680の企業が出展する見本市。
最新の技術や製品が紹介され
3日間で5万人近くが訪れた。
平田さんたちの展示ブース。
小さな会社が要求に応えられるのかという指摘もあった。
(中国企業の社員)
「魅力的な技術だが
量産したときに同じ性能を出せるか。」
一方 前向きな評価も相次いだ。
(台湾企業の技術者)
「装置を小型化しようとしているが
これはすごい技術だ。
技術力に驚いている。
まさに探していたものだ。」
商談に向け交換できた名刺の数は目標を超え328枚にのぼった。
「技術の商談がどんどんくる。
この紙1枚
この1行からわれわれはモノが作れる。」
10年前のつらい経験から這い上がった技術者たち。
逆襲に向けた挑戦はこれからも続く。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「自分自身として一番成長できたのがこの10年。
10年前より よりタフな人間になれているし
よりアグレッシブで
よりチャレンジングな人間になれたのは
ああいうショックが
人が起こしたことだけれども
それに巻き込まれた中で見えたことではないかと思う。」