9月23日 おはよう日本
リーマンショックで日本では大量の失業者があふれた。
非正規社員の派遣切りなどが社会問題になった。
中でも真っ先に職を失ったのが大勢の日系ブラジル人たちだった。
全国で2番目に多い静岡県でも多くの人たちが日本を後にし
今では半数に減少した。
この10年で現場では外国人をめぐる雇用のあり方が大きく変わってきた。
この10年で従業員の雇用のあり方の見直しを迫られた浜松の自動車部品メーカー。
リーマンショックで受注件数が半減し厳しい状況に追い込まれた。
当時 生産現場の主翼を担っていたのは外国人の派遣労働者。
従業員の4割を占めていた。
受注の減少と業務の効率化に対応するため
外国人の雇い止めを余儀なくされたのである。
(自動車部品メーカー 社長)
「リーマンショックを迎えた時
仕事が半分になった。
それくらい厳しい数字だと思う。
リーマンショックというのは。」
その後 新しく開発した技術が大手自動車メーカーに採用され
なんとか業績を回復させたが
いま深刻な人手不足に直面している。
かつて主力となった日系ブラジル人たちは
派遣切りされたあと母国に帰ってしまい
戻って来ることはない。
この会社が頼ったのが外国人の技能実習生である。
技能実習生は働きながら日本に滞在しさまざまな技術を学ぶ。
実習生は全員がフィリピン人。
日本語が不自由な彼らのために
フィリピン人の指導役を雇っている。
今では従業員の2割近い14人の実習生が働いている。
(フィリピン人 技能実習生)
「最初は難しいが
もっと働いて
慣れた。」
人手不足が深刻な会社にとって実習生は大切な存在だが
頼り続けることはできない。
実習生の在留期間が5年に限られているからである。
会社の屋台骨を支えていく社員をどう生み出していくのか。
外国人の雇用のあり方をいま見つめ直すようになった。
(自動車部品メーカー 社長)
「問題は幹部候補生。
これから10年先20年先を背負っていく社員を育てる
作り上げる。
その社員がいない
入らない
これがきつい。
そういう日本人を求めている。
それでも足りないなら
外国の人で同じ夢を持ってくれるなら。」
一方で外国人を正社員として採用することで定着を図ろうとする企業も出てきた。
ブラジル人のパウロさんは掛川市にある食品の輸入販売会社の経営者。
国内のレストラン向けの肉や豆などの食材を扱っている。
この会社の12人の従業員は日系ブラジル人。
全員が正社員である。
日系人は日本人と同様に自由に仕事に就くことができるため
不安定な派遣社員としてではなく
正社員として雇っている。
正社員の採用にこだわるのは10年前に経験があるからである。
当時ひとりで事業を始めていたパウロさん。
派遣で働くブラジル人たちが次々と職を失っていく姿を目の当たりにした。
事業を拡大させながら
経営は苦しいながらも
少しずつ正社員として雇うようになったのである。
(食品輸入販売会社 パウロ社長)
「危機の時はみんなで乗り越えなければならない。
彼らに安定した仕事を与えようと考えた。」
この会社に正社員として採用された日系2世の男性。
リーマンショックで派遣切りにあい
家族ととともに路頭に迷うところだった。
(日系2世の男性)
「衝撃を受けた。
仕事にも慣れていたし
悲しい気持ちだった。
非常に厳しい状況になった。」
働けば働くだけ収入が増えた派遣労働者のころと比べると
月収は最大で3割減ったが
いまは安定して働けることに満足している。
(日系2世の男性)
「日本に来てから図と私は派遣社員だった。
契約を切られたり
給料も変動していた。
正社員として安定することが私にとって一番大事だ。」
静岡県では
この10年で外国人の派遣社員の割合が減少する一方で
正社員を希望する外国人が増加。
今では働く外国人のうち正社員が約3割を占めている。
パウロさんの会社はこの10年で売り上げが約3倍に伸びた。
正社員として安心して働いてもらうことが
いまの事業の拡大につながったと感じている。
(食品輸入販売会社 パウロ社長)
「いつクビにされるかもしれない
他の職場に移されるかもしれない
すると気持ちよく仕事はできない。
安心感がないとだめ。
日系ブラジr人たちにとって
正社員は派遣社員として働くよりメリットがある。
会社にとっても従業員が安定して働いてくれることはとても良い。」