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ポーランド 日本との知られざる絆

2018-10-26 17:15:00 | 報道/ニュース

10月2日 国際報道2018


親日国として知られるポーランド。
実は
100年前の第一次世界大戦の終結のあと
シベリアで家族と生き分かれた多くのポーランド人の孤児たちを日本が受け入れ
その後 無事に祖国に送りかえしたという歴史があった。
この歴史を振り返るシンポジウムが開かれた。

10月1日 ワルシャワで開かれたシンポジウム。
約100年前に孤児として日本に滞在した人たちはすでに亡くなったが
この日はその孫や子どもが大勢集まった。
アンナ・ドラマツカさんの父親は
1920年 12歳のときに2人の姉とともに東京に渡った。
子どものころ父親から日本で体験したことをよく聞いたと言う。
(ポーランド孤児の娘 アンナ・ドラマツカさん)
「子どものころ
 父から日本について聞くのが楽しみでした。
 日本語の歌や
 数の数え方を教えてもらいました。」
第1次世界大戦当時 ロシア領だったポーランド。
シベリアには
そのロシアから独立を求めたなどとして流刑となった政治犯や
戦争を逃れて難民となったポーランド人が大勢いた。
大戦終結後 ポーランドは独立するが
ロシア革命などに伴う混乱で人々は祖国に帰ることができず
シベリアで過酷な生活を強いられた。
そんななか日本はポーランドから救済の要請を受け
シベリアにいた孤児など約800人を受け入れたのである。
日本で手厚い保護を受けた子どもたちは
その後 無事祖国に戻ることができた。
(ヴィエスワフ・タイス教授)
「孤児の保護は純粋に人道的な行為でした。
 そしてその後の2国間の協力関係にもつながっていったのです。」
シンポジウムには子どもたちを受けれた社会福祉法人の太田孝昭理事長も出席した。
ポーランド孤児を助けようと
当時大勢の日本の人たちから寄付が寄せられたと言う。
(太田孝昭理事長)
「日本の国全体がそういうことができたんだと。
 今 人道支援と言っても難しい問題があってなかなかできない。
 畏敬の念を持つというか
 尊敬する。」
約100年前
孤児の救済をきっかけに生まれた友好。
歴史は今も受け継がれている。




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東山区西海子町 ルバカサブル (Le bac a sable)

2018-10-26 08:20:29 | グルメ





    (食べログより)
  


地下鉄東西線東山駅2番出口より徒歩約1分

東山駅から112m

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