9月28日 おはよう日本
子どもたちが走ってやって来たのは駄菓子屋さん。
1個10円や20円の懐かしい駄菓子が100種類以上。
夕方 店内には子どもたちの元気な声が飛び交う。
夜は一転
大人たちの憩いの場所に。
酒のつまみは駄菓子。
夜になると“駄菓子居酒屋”になる。
去年10月にオープンした。
(客)
「駄菓子をあてにお酒がすすみます。
お酒って基本的に駄菓子とあう。」
「お菓子を食べながら
昔を思い出しながら飲む。
いい感じです。」
(駄菓子居酒屋 店主)
「駄菓子世代で育った人たちが
駄菓子をあてにお酒を飲む場所を作ってもいいじゃないか。
小さい子から大人まで楽しんでもらえる店になってほしい。」
子どもばかりか大人の心もつかむ駄菓子。
駄菓子の本を執筆している初見健一さんによると
戦後
貴重な砂糖ではなく
手に入りやすい黒糖などで作った菓子を“駄菓子”と呼ぶようになったそうである。
(フリーライター 初見健一さん)
「駄菓子の“駄”はダメの“駄”です。
安くて小さい子どもにあげるという意味。
甘いものを代わりに探し出してきて
苦肉の策として作った物がルーツ。」
駄菓子人気はマンガにも。
「だがしかし」。
駄菓子屋を舞台に
実際にある駄菓子の魅力や豆知識などがコメディタッチで描かれている。
東海地方の菓子メーカーも登場する。
その中の1つ
ポテトのスナック菓子 ポテトフライ。
38年前から発売されている人気商品の1つである。
製造しているのは豊橋市の菓子メーカー。
菓子メーカー社長は
マンガがテレビで放送された直後は売り上げが7割アップしたと言う。
(菓子メーカー 鈴木憲一社長)
「まさかこんなに大きな反響があると全然思っていなくてびっくりした。
家族団らんで食べていただくとありがたいなと思います。」
そしていま注目を集めているのがポン菓子である。
“ポン”の音とともに出来上がり。
ニンジンの袋に入っているイメージでおなじみである。
このポン菓子
実はアフリカの農業支援や食生活の改善に一役かっている。
南知多町にあるポン菓子会社。
社長の家田薫子さんは一昨年からケニアでポン菓子作りの技術を教えている。
ポン菓子の商品とともに
現地の農家が生産した穀物や豆類を美味しく食べられる加工技術も広がっている。
農作物に付加価値がついて
ポン菓子がケニアの人たちの暮らしを豊かにしているのである。
(菓子メーカー 家田薫子社長)
「ポン菓子の日本の技術がアフリカの人々の役に立つということに
もっと努力していきたい。」