8月15日 読売新聞「編集手帳」
終戦の年の5月25日、
のちに作家となる18歳の北杜夫さんは東京最後の空襲を体験した。
「山の手空襲」である。
翌日、
自転車で青山から渋谷にかけてを走って目にした光景を、
『どくとるマンボウ追想記』に書き残している。
建物はことごとく焼き払われ、
「空洞となったビルや倉庫」がぽつりぽつりと残るだけ。
表参道の入り口にはおびただしい数の遺体が積み重ねられていたという。
青山、
渋谷、
表参道。
できれば若い方に今の東京一等地との景色の違いを心に留めていただきたく、
青山育ちの北さんの随筆を引いた。
<八月十五日>。
そう題する詩がかつて、
本紙の「こどもの詩」欄に載ったことがある。
<終戦記念日
どうして日本が負けた日が
記念日なの>(小学3年生・男子)。
この疑問に選者の詩人、
川崎洋さんがじつに簡潔明瞭な評を寄せている。
「またとない反省の日だからです」
きょうがまたとない日となる。
なぜ戦争をしたか。
なぜ戦没者は310万人に及んだか。
痛みとともに歴史を省みつつ、
考える日だろう。
そして華やぐ街を今、
なぜ安心して歩けるか。
その理由も記念日に教わろう。