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エチオピア 日本 時空を超える旋律

2019-09-21 07:00:00 | 報道/ニュース

8月29日 NHKBS1「国際報道2019」


エチオピアの首都アディスアベバのナイトクラブ。
ジャズやロックなど様々なジャンルと融合したエチオピアの音楽が楽しめる。
キーボードを演奏するのは音楽プロデューサーのアベガス・シオタさん(56)。
エチオピア人の父と日本人の母を持つアベガスさん。
エチオピアを代表するプロデューサーとしてこれまで数々のヒット曲を生んできた。
(アベガス・シオタさん)
「エチオピア音楽の独特さは
 これまで社会が閉鎖的であったことに由来します。
 外国音楽の影響も受けてはいますが
 エチオピア人は民族音楽的な曲を好みます。」
エチオピアの民族音楽は
千年以上の歴史があるエチオピア正教の讃美歌などから派生したと言われる。
その特徴はどこにあるのか。
(アベガス・シオタさん)
「エチオピアらしさは音階にあります。」
エチオピアに古くからある音階は日本の伝統音楽によく似ている。
(アベガス・シオタさん)
「偶然にも“平調子”(日本の箏で使われる音階)にとても良く似ています。」
それだけではない。
アベガスさんはエチオピア音楽は実際に日本の歌謡曲から影響を受けたと指摘する。
(アベガス・シオタさん)
「エチオピアの兵士は朝鮮戦争に派兵されました。
 休暇中 日本を訪れた人々もいました。
 中にはミュージシャンもいて
 日本の音楽の影響を持ち帰ったのです。」
エチオピアは今から70年近く前
朝鮮戦争に約6,000人を派兵した。
120人以上のエチオピア兵が命を落とすという厳しい戦いの一方で
つかの間の休暇で日本を訪れる兵士も数多くいた。
当時 日本を訪れた兵士(87)は
(元兵士 ステファノスさん)
「たくさんの日本の音楽を聴き
 とても興味深いと感じました。
 いくつかの曲はエチオピアの音楽に似ていました。」
さらに帰国した兵士の1人が滞在中の恋の体験を曲にし大ヒットした。
(作曲者 シェワンダンネさん)
♪ 極東にいたあのころ
 日本人女性と恋に落ちた
 熱愛に燃えたあのころを決して忘れない
(作曲者の息子 ミキヤスさん)
「その日本人女性は日本の音楽をたくさん聴かせてくれたそうです。
 日本の音楽に着想を得て
 この曲のメロディーができたんです。」
今でも知らない人がいないというこの曲。
エチオピアに昔からあるメロディーと似ていたため
人々を強く引きつけたという。
(音楽プロデューサー アベガス・シオタさん)
「その時代以降
 エチオピアにも演歌っぽい曲が出てきました。」
ナイトクラブの舞台に立ったアベガスさん。
演奏するのはもちろんこの名曲である。
♪ 極東にいたあのころ
 日本人女性と恋に落ちた
 熱愛に燃えたあのころを決して忘れない
(客)
「みんな大好きな曲。
 世代を超えて受け継がれている。」
「エチオピアと日本は同じ音階を共有しているんだ。」
遠く離れた日本とエチオピア。
両国の間には時代を超えた共通の旋律が流れ続けている。
(音楽プロデューサー アベガス・シオタさん)
「1950年代
 ごく短い間に生まれた両国のつながりが
 こんなに長く続くなんて驚きです。
 私の夢はさらに新たな日本とエチオピアの合作を生むことです。」

 

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