8月31日 NHK「おはよう日本」
「はるかのひまわり」。
阪神淡路大震災で亡くなった少女にちなんで名づけられたひまわりで
命の大切さを伝えるシンボルともなっているが
今年 歌会始で上皇さまの歌に詠まれたことからあらためて注目されている。
去年 西日本豪雨で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町。
この夏初めて「はるかのひまわり」の花が咲いた。
東日本大震災の被災地など全国の被災地をつなぐシンボルとして各地で花を咲かせている。
このひまわりのためを配布し全国に広げる活動を続けている菊地いつかさん。
いつかさんは阪神淡路大震災で妹を亡くした。
妹の加藤はるかさん。
当時 小学6年生だった。
はるかさんが亡くなった自宅の跡地にはたくさんのひまわりが咲いた。
それが「はるかのひまわり」と名づけられ
命の大切さを考えるきっかけにしてほしいと
全国の学校などに種が配布されたのである。
(菊地いつかさん)
「震災がいろんな人の記憶から薄れていくから
ひまわりを通して“忘れないで”と言ってたのかな。
とりあえず自分が動ける間は咲かせ続けたい。」
今年は「はるかのひまわり」が大きく注目されるきっかけがあった。
2月に皇居で行われた平成最後の歌会始で上皇さまの歌に詠まれたのである。
(上皇さま)
贈られし ひまわりの種は 生え揃ひ
葉を広げゆく 初夏の光に
上皇ご夫妻は14年前
天皇皇后として阪神淡路大震災の追悼式に参列。
そのとき ひまわりの種を受け取り
お住いの庭で大切に育てられてきた。
反響は大きく
種を送ってほしいという依頼が全国から相次ぎ
例年の5倍の1万5千件にものぼった。
(菊地いつかさん)
「びっくりしましたね 本当に。
まさか震災から24年経って
いまだにそうやって気にかけてくださって
すごく感謝です。」
「はるかのひまわり」が注目されたこの夏
いつかさんは去年生まれた娘とひまわりを育てている中学校を訪れた。
(中学生)
「大切な貴重なひまわりをこの学校で育てることが出来てうれしい。」
「ひまわりの種を植えていくことで
震災があったことをこれからも伝えていくことが出来たらなと思います。」
(菊地いつかさん)
「来年25年を迎えるけれど
ここの中学生たちも生まれる前の話ですし
ひまわりを植えて
自分たちで何かを考えようとしてくれているのはうれしい。
娘が自分もやりたいと言ったらいいし
やりたくないというのならそれでいいのかな。
ただ どこか他の所で一緒にひまわりを見てみたりしてみたい。
来年くらいは一緒に種まきできるかな。」