9月7日 おはよう日本
旧盆が明けた8月29日
沖縄嘉手納町の大通りにエイサー太鼓の音が響いた。
披露されたのは嘉手納町の千原(せんばる)地区に伝わるエイサー。
空手の型を取り入れた勇壮な舞は
150年以上前からほとんど形を変えていないという。
しかし現在の町の中に千原という地名は存在しない。
戦前の千原集落は54世帯が暮らすのどかな農村だった。
集落の中心にあった祠。
地域の伝統行事やエイサーの奉納が行われる住民たちの心のよりどころだった。
70年前 千原地区はアメリカ軍に集落ごと接収され
極東最大のアメリカ空軍基地へと姿を変えた。
散り散りになった千原の人々。
住民同士の絆だけは繋ぎ止めたいと復活させたのがエイサーだった。
いま踊り手の中心は若い世代である。
毎年 この時期に合わせ各地から集まる。
踊り手の1人 花城洸陽さん(20)はエイサーの復活に尽力した祖父や
幼いころに亡くなった父の話を踊り手仲間から聞かされてきた。
エイサーを通じて人々の絆の深さを実感したと言う。
(花城洸陽さん)
「エイサー無かったら誰とも接することなかったですよね。
父親は怖い人っていうイメージしかなかったんですけど
でも千原の人の話を聞くと親切にエイサーを教えてもらったとか
そういう人だったというのは千原で教えてもらうっていうか。」
千原の先輩たちが練習を指導した。
踊りとともにふるさとの歴史を受け継いでいってほしいと花城さんたちに語りかけた。
「みんなのおじいちゃんおばあちゃん、祖先から一緒に踊っていると
このエイサーを先輩から受け継いだものを守っていかないといけないので
一生懸命やりましょう。」
旧盆のエイサーを翌日に控えた28日
かつて千原地区があった基地のフェンス沿いを歩いた。
フェンスの向こうに広がる光景を前に
花城さんは故郷がたどった歴史の重みを感じていた。
(花城洸陽さん)
「どうやらここが僕のふるさとらしいと考えるとびっくりです。
千原エイサーを継承するなかにそういう思いを受け継ぐというのが重要な課題になってくるんじゃないか。
ここに来て初めて思いました。」
そして迎えた当日。
向かったのは戦後に場所を移して再建された祠。
先人への感謝を込めてエイサーを奉納した。
深夜まで続いたエイサー。
花城さんの胸にこみ上げてきたものは
ふるさとの歩みを後世に伝え残していく決意だった。
(花城洸陽さん)
「先輩たちに支えられて1回1回エイサーを躍らせてもらえる。
土地はもう僕らの手元に無いですけど
気持ちとか絆っていう部分をこれからもずっと継承していくことがやっぱり大事だと思います。」
9月5日 経済フロントライン
赤身の人気が高まったことで国内の和牛農家は変化を迫られている。
100頭余の黒毛和牛を育てている中植昭彦さん。
3代にわたって引き継いできたのは圧倒的な人気だった霜降り肉の生産である。
しかし2年前から思い切って赤身の肉の生産を半分にまで増やした。
(和牛生産農家 中植昭彦さん)
「全国の畜産農家は岐路に立たされている。
お客様のニーズが赤身にあるのであれば
そこに活路を見出すやり方もありではないか。」
中植さんは生後30か月で霜降りの黒毛和牛を出荷していた。
これに対して赤身では余分な脂肪をつけないために生後20か月で出荷している。
黒毛和牛の肉のおいしさを生かした赤身で勝負しようというのである。
これまでの霜降り肉に比べて脂肪の入りを出来るだけ抑えた赤身肉。
(和牛生産農家 中植昭彦さん)
「生後20か月で
フレッシュでジューシーさを最大限に発揮できるような設計の仕方・飼い方になっている。」
生産した赤身の肉は今年4月からスーパーで販売が始まった。
(阪急オアシス 畜産商品部 福田憲治チーフマネージャー)
「お客様には大変好評。
いい声をいただいている。」
和牛の赤身のニーズは飲食店でも広げ始めている。
今年3月には和牛の赤身専門店もオープン。
和牛ならではの柔らかさが人気を呼んでいるという。
(和牛赤身肉専門店 T'sGrill 高森雄大オーナー)
「赤身といえども和牛が一番おいしい赤身。」
一方 赤身の肉に付加価値を付けて売り出そうと言う農家もある。
鹿児島県薩摩町 和牛生産農家 福永充さん。
福永さんが取り組んでいるのが和牛の熟成肉である。
今年6月 1200万円かけて新たに熟成庫を導入した。
最新の技術で温度や湿度などすべて自動で制御している。
「熟成することによって必ずうま味を引き出すことができる。
赤身を付加価値をつけて売ることが大切だと思っている。」
東京で開かれた卸売業者や小売店向けの商談会。
福永さんは和牛の赤身の熟成肉を出品した。
和牛の熟成肉ならではの味が卸売業者にも好評だった。
(バイヤー)
「自分のところで熟成庫を持っているのがすごい。
非常に柔らかくて熟成しているので味わいも深くておいしかった。」
(和牛生産農家 福永充さん)
「食べた時にうま味が出る。
おいしいと言ってくれる。
これから積極的に売っていこうと思う。」
9月5日 経済フロントライン
東京 新橋。
オフィス街の真ん中でバーベキューを楽しむことができる店がオープンした。
売りはオーストラリア産の赤身の牛肉。
オーストラリア政府と生産者団体が一体となって日本市場に売り込みを図っている。
(豪州食肉家畜生産者事業団 アンドリュー・コックス駐日代表)
「オーストラリアにとって日本はとても大事な市場です。
厚切りステーキをバーベキューで家族や友だちと食べてもらいたいです。」
東京 高円寺のオーストラリア産やアメリカ産の赤身の肉を低価格で提供する立ち食いのステーキ店。
2年足らずで全国に57店舗を展開。
急成長を続けている。
好きな肉を食べたい分だけグラム単位で注文できる。
特に赤身は脂身が少なくヘルシーだとして女性や中高年にも人気である。
(「いきなりステーキ」運営会社 一瀬邦夫社長)
「赤身の肉というのは肉質が現代人に合っている。
それと値段。
日本の肉はおいしいが値段が高い。
来年の春には100店舗になる。
もっと大勢のお客さんに食べてもらいたい。」
さらに外国産の赤身の肉を提供する高級店も登場。
東京 六本木にオープンしたのはニューヨークが本店のステーキ店。
看板メニューはアメリカ産赤身の熟成肉。
値段は2人分で1万5千円から。
(客)
「噛めば噛むほど肉汁が出てきて
塩コショウで食べるのが一番おいしい。」
「赤身の熟成肉は決して柔らかくなくてかみごたえがあって香りも強くて
新鮮です。」
熟成肉は一定期間置いて旨みや香りを高めた肉である。
この店では温度を約2℃
湿度80%程度に常時保ち
風を当てながら30日余りかけて熟成させている。
アメリカでは富裕層にも人気が高く
その味を求める多くの客が訪れているという。
(ウルフ・ギャング・ステーキハウス 高橋功店長)
「熟成肉は噛んだ瞬間にパツンと切れる感じ。
一度体験してもらいたい。
食べてみて初めてこういうものなんだと知ってほしい。」
9月5日 おはよう日本
埼玉県立浦和高校。
夏休み明けに1年生全員が提出したレポート。
“IT断食”といってスマートフォンやパソコンなど一切のIT機器を使わず1日を過ごすという情報の授業の課題である、
1年生の荻原浩斗さん(15)は工芸の課題のため夏や水中に登校した1日
スマホを使わないことにした。
「携帯は家に置いて来た。
ちょっと不安。」
いつもなら作業の合間にスマホを取り出してしまうが
この日は手元に無いので黙々と作業を続ける。
作業開始から1時間 荻原さんは周りが気になり始めた。
「友達が携帯を維持ていると自分もやりたいなと。」
帰宅前にしている自宅への連絡もこの日は公衆電話。
慣れないテレフォンカードに悪戦苦闘する。
なんとかかけられたが誰も出ない。
「つながらない。
とりあえず家に帰る。」
帰宅後の勉強でもスマホは手にしない。
いつもはスマホや電子辞書で英単語の意味を調べているという荻原さん。
紙の英和辞典を使うしかない。
「いつも使っていない辞書を使うと手こずってあんまり進まなかった。」
(荻原浩斗さんの母親)
「手軽に携帯で調べ出すと
その時に友達から連絡が入ったりしたらLINEで話し出したりもあり得なくはないので
誘惑は多い。」
なぜ高校生に“スマホを使わない日”を設けさせたのか。
木戸俊吾教諭は
休み時間にも生徒たちがスマホをいじっていてお互いのコミュニケーションが少なくなっていると感じていた。
(木戸俊吾教諭)
「高校に合格してからスマホを買ってもらう子どもが多いので
入学してから3~4か月たって
夏休みのときに使い方を振り返ってもらう。
体験で自分はこれだけ駄目だったんだまずかったんだと気付いてくれれば
そこで作ったルールというのは守っていきやすいのではないか。」
スマホを1日使わなかった荻原さん。
ふだんスマホに気を取られ勉強時間がいかに減っているか実感したと言う。
「“IT断食”は初めは正直やるのが嫌だったが
やることで自分がいかにIT機器に依存していたかわかった。
使う時使わない時にメリハリつけてIT機器を活用していきたい。」
1日使わなかっただけで1,000件以上のメッセージがたまっていたという生徒もいて
読んだり返事をしたりいかにスマホに時間をさいていたかを実感したそうである。
9月10日 編集手帳
河竹黙阿弥が書いた芝居『村井長庵』に、
登場人物がカミナリ談議を交 わす場面がある。
「雨が降らねえのに光るのは豊年のしるしだ」
「稲光がござりますと、よう実が入ると申します」
冒険の旅に出た少年たちを一瞬、
稲光が照 らす。
主人公がつぶやいた。
〈神がわたしの写真をお撮りになった…〉と。
こちらはスティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』(山田順子訳、新潮文庫) の一節である。
豊年満作の前触れであれ、
神様の“激写”であれ、
洋の東西を問わず、
そばに落ちない限りは好意をもって迎えられるのが雷というものであるら しい。
このところ、
列島の広い地域で大気の不安定な状態がつづく。
人いちばい苦手な身はきのうも午後、
埼玉県内で高校生のそばに雷が落ちたと聞いて心配し た。
好意を寄せかねる稲妻に、
台風が抜けても油断がならない。
雅号「変哲」、
小沢昭一さんに雷の句があった。
〈稲妻よ百鬼夜行の世を叱れ〉。
凶悪な殺人者 がいるわ、
無分別の愚か者がいるわ、
稲妻だって地上を叱りたいときもあるだろう。
遠くから音で脅かすぐらいで、
矛を収めてほしいものである。
9月6日 編集手帳
「ネタ」という言葉を辞書で引くと、
「種(たね)」の倒語と出ている。
読みは逆さまだが、
「もとになるもの」「材料」といった意味はそのままで、
「話のネタ」などと使う。
作家の林望さんは10年前に上(じょう)梓(し)した『帰宅の時代』で、
家庭の会話を畑の植物に見立て、
その畑を日頃から耕しておくことを「会社一辺倒」でやってきた人々に勧めた。
〈日ごとの手入れを怠って草ボウボウにしておいた荒れ畑には、
会話の花など咲きはしない〉
国家公務員の始業と退庁を早め、
夕方からの自由な時間を増やす「ゆう活」が先週の月曜で終わった。
国会の会期延長の影響もあり、
政府の狙い通りには定着しなかったようだが、
長時間勤務を見直す機運を世の中に呼び覚ます効果はあった。
日のあるうちに電車に乗り、
夕餉(ゆうげ)の畑にまく 「話のネタ」をあれこれ考えながら家路を急いだ方もあろう。
実りの秋とはいうけれど、
夏に種をまき始めたところである。
いまは収穫のことなど考えずに「継続は力」と思い切るときだろう。
日が沈んだら家の外に用はない。
そう発想を変えて、
日照時間の短くなっていく季節を過ごすのもいい。
9月3日 キャッチ!
多民族国家のインドネシアではさまざまな人たちが思い思いのファッションでジョギングを楽しんでいる。
インドネシアはイスラム教徒が国民の約9割を占める。
多くの女性たちは走るときでも「ヒジャブ」と呼ばれるイスラム教徒のスカーフをつけて走っている。
「ヒジャブは気にならないわ。」
彼女らの次に目を引くのが肥満傾向にあるメタボな人たちである、
「もちろん体重を落とすためさ。
目標は85キロ!
今は102キロ。」
ジャカルタでは意外に肥満傾向にある人たちが多いことに気がつく。
人口1千万人以上のジャカルタ。
めざましい経済発展とともにここ数年問題視されているのが人々の肥満である。
もともと揚げ物などを好むインドネシアの人々。
欧米のファスフードなどの影響もあり
余分なカロリーの接種が原因とされている。
またオフィスの中でデスクワークに追われる人も増えている。
放送のシナリオ制作会社で働くアメリアさんは日ごろ体を動かすことはほとんどないと言う。
(シナリオ製作会社役員 アメリアさん)
「パソコンの前で座りっぱなし。
いつも食べてばかりいます。」
肥満など生活習慣病が意識され始めており
シェイプアップすることが人々の大きな関心事となっている。
なかでも人気はシューズがあれば手軽に始められるジョギング。
2年前のジャカルタマラソンの開催がブームに拍車をかけた。
しかし問題はジャカルタの劣悪な道路事情である。
歩道に穴があいていることも多いだけでなく
それをよけて車道にはみ出ると渋滞を避けてすり抜けるバイクと接触する危険性がある。
快適に走るにはスポーツクラブの入会も選択肢としてあるが
利用料金は日本円で月額約4,000円~と
平均月収が約3万円のインドネシアではかなりの金額である。
そこで安く安全に走ろうと人々が集まるのがジャカルタ中心部にある競技場。
周辺はジョギングコースではないが路面が整備されて走りやすくなっている。
年中最高気温が30度を超えるジャカルタ。
日中の炎天下はジョギングには適していない。
「夕方から走っているわ。
健康的な生活を送りたいから。」
そんなジョギング愛好家たちが待ちわびる日がある。
毎週日曜日の午前中 ジャカルタ中心部の道路約6kmが歩行者天国に変わるのである。
普段はゆったりと見られない車道側から見える景色を楽しみながら走れる。
この日も日が高くなる前の涼しい時間にジョギングを楽しもうとたくさんの人たちが集まった。
「人が少ないときは走っていますよ。
歩くよりいいですから。」
「健康のためよ!
女の子はスリムでいなくちゃね。」
この7月 インドネシアに初めて出店した日本のスポーツ用品メーカーも
今後の盛り上がりに期待を寄せている。
(スポーツ用品店 販売担当 M・キャッパさん)
「インドネシア人の健康志向は間違いなく高まっています。
ジョギングはジャカルタだけでなくインドネシア全域でブームです。」
インドネシアで火がついたジョギングブーム。
健康意識の高まりとともに多くの人々をランナーへと変えている。
9月2日 キャッチ!
ヨーロッパからの移民によって伝えられたチーズはブラジルで盛んに食べられていて
生産量も EU、アメリカに次ぐ量となっている。
しかしイタリアのモッツァレラやフランスのカマンベールのような代表的なチーズがないため
世界的な知名度はあまり高くない。
サンパウロ市内のチーズ専門店。
(客)
「カナストラチーズが大好きです。」
「カナストラチーズを探しに来ました。
このチーズが1番好きなんです。」
(チーズ専門店店員)
「予約待ちのリストです。
カナストラ、カナストラ、カナストラ・・・。
ブラジルで最高のチーズですから。」
いま国内でブームとなっている「カナストラチーズ」。
ブラジル連邦政府の文化省は
2008年 古くから独特の製法が守られてきたこのチーズを文化的価値の高い商品に認定した。
カナストラチーズの特徴は
きめが細かく
牛乳の甘みと柔らかな酸味の絶妙なバランスにある。
カナストラチーズ唯一の産地 南東部カナストラ地域。
カナストラ山脈に面するなだらかな丘が続くこの地域は
1日の気温の変動が少なく
チーズ作りに向いているとされ
古くから多くの小規模農家がチーズの生産に携わっている。
この地域のチーズ生産者 マシャード・ルシアーノさん。
チーズ作りひと筋30年のルシアーノさんは
カナストラチーズに魅せられ約15年前に家族でこの土地に移ってきた。
カナストラチーズが持つ風味の秘密。
それはすべての工程が手作りであること。
そしてこの地域で受け継がれるあるものを使うことにある。
しぼりたての牛乳に注ぎ込まれた液体は地元で「ピンゴ」と呼ばれる酵母である。
チーズを型に入れて水気を抜いた後に出てくる滴の中に凝縮されていて
集めたピンゴは次の日のチーズの酵母として使う。
ただこのピンゴはとても繊細である。
牛乳を搾りだす時に雑菌が付いたり
何らかの原因で工房の中に雑菌が入ると
チーズを熟成させるピンゴの中の菌がいなくなる。
ピンゴに異変が起きると
酸味や苦みが強いチーズになってしまったり
熟成がなかなか進まなかったりすると言う。
そのため経験のある生産者でも味のレベルを保つことが難しい。
この日も納得できるチーズができなかったルシアーノさん。
知り合いのチーズ生産者のところに別のピンゴをもらいに行った。
カナストラ地域のチーズ生産者たちは
質の高いピンゴを200年もの間たがいに融通し合いながらその味を守り続けてきたのである。
これまでなかなか日の目を見なかった伝統のチーズ。
そこには連邦政府が厳しい規制を課してきた事情があった。
食品の衛生管理を担当する省庁が
生の牛乳を使った乳製品に対して厳格な衛生基準を強いていたため
州外にチーズを販売することを禁じていたのである。
販売を州内に限られていたチーズ生産者に対して地元の政府は強力な支援を続けてきた。
伝統のチーズの生産を続けてほしいと
工房を持てない生産者に対して共同の施設も建設して生産者に提供して来た。
(州政府関係者)
「私たちの役割は地元の農家が質の高い牛乳を生産し
その結果 質の高いチーズを作れるよう手助けすることです。」
そして2年前 州政府は連邦政府に掛け合い
定期的に牛乳やチーズを研究機関などに検査に出すことを条件に
カナストラチーズを州外で販売できる許可を取り付けた。
ルシアーノさんも広くカナストラチーズを知ってもらおうと
現在 州外での販売手続きを進めている。
(チーズ生産者 ルシアーノさん)
「将来カナストラチーズを世界中の人たちに紹介することができればと思っています。」
ブラジルのオリジナルチーズとして注目が集まりつつあるカナストラチーズ。
ルシアーノさんたち生産者がはぐくんだ伝統の味が世界に広がろうとしている。
9月1日 キャッチ!
急速な経済発展をけん引してきた中国南部の広東省。
安い豊富な労働力を背景に製造業が集結し“世界の工場”として知られてきたが
いま相次いで工場が閉鎖されている。
5年前から操業を開始し約1,000人もの従業員を抱えていた日系企業は
今年2月に工場を閉鎖した。
(元従業員)
「勤務中に突然もう来なくていいと言われた。
どうすればいいのかわからない。」
工場閉鎖の原因の1つが人件費の高騰だった。
アメリカのIT企業も工場を閉鎖。
中国で9,000人の従業員を解雇し生産拠点をベトナムに移転することを決めた。
この工場がある東莞(とうかん)では最低賃金がこの10年で3倍以上に上昇。
この会社でも人件費の大幅な上昇が収益を圧迫していた。
中国よりも賃金が安い東南アジアとの競争にさらされる製造業の経営者は労働者の大量解雇に踏み切らざるを得なかった。
一方 賃金が原因で買いこさえた工場労働者は
沿海部の別の都市で仕事を探したり
物価が安い内陸部の工場に移って行っている。
都市部周辺の製造業はコスト削減と同時に生産効率を上げるために思い切った取り組みを始めている。
自動車などの部品を製造する中国企業の工場では従業員を2割削減し
代わりにロボットを54台導入した。
これによって作業時間が大幅に短縮され生産効率は6倍に上がった。
この工場では今後さらにロボットの導入を進め
現在400人いる従業員を100人にまで減らす予定である。
ロボットの値段は1台数千万円と高額だが8年でコストを回収できるとしている。
(工場責任者)
「ロボットを導入した結果 不良品が無くなり製品の質が向上した。
生産効率も上がり競争力が大幅に強化された。」
日系の中小企業が数多く進出している広東省東莞。
大規模な生産ラインで大量に製品を作る大企業に比べ
少量の生産にとどまる中小企業にとっては高額なロボットを導入することは簡単ではない。
石川健一さん(56)は18年前から東莞で音響メーカーを経営している。
最盛期に280人いた従業員は120人へと6割減らし人件費を抑えてきた。
人数が少なくてもより高度な技術を身に着けてもらおうと従業員の育成に力を入れている。
石川さん亜最も期待しているのが入社7年目の設計担当の鄒(しゅう)福甫(ふくほ)さん。
高い性能を実現するため品質改善のための機能に妥協は無い。
経験とノウハウが必要な業種では従業員の技術力こそが会社の大切な資産。
高度な製品開発につなげるよう鄒さんへの指導にも熱が入る。
(設計担当 鄒福甫さん)
「たくさんのことを学べるので仕事が楽しいです。
石川さんが教えてくれた品質と技術を徹底しています。」
ここ数年 中国の製造業ではより賃金の高いサービス業などの第3次産業へ転職する人も多く
深刻な人材不足が続いている。
東莞の日系企業で作る団体の会長も務める石川さん。
日系企業の代表が集まり工場で働く人材を確保するにはどうすればいいかを話し合った。
「会社でやった対策は寮を無料化するとか。」
「従業員の福利厚生をより一層行わないと今後ますます採用が厳しくなる。」
人材確保が厳しさを増す製造業。
中国で生き残るためには
労働市場の最新情報を共有するなど日系企業同士の連携を深めていくことが需要だと考えている。
(音響メーカー社長 石川健一さん)
「各企業が困っている問題点について意見を出し合いながら共有して解決していく。
日系企業同士 情報交換のスクラムを組んで中国で頑張っていきたい。」
8月31日 おはよう日本
怒るべき時に怒り
そうでない時にはむやみに怒らない
怒りの感情をトレーニングすることをアンガーマネジメントという。
都内の大手総合商社では2年前から定期的にアンガーマネジメントの講習会を開いている。
「怒らなければいけないことは上手に怒ることができるようになって
怒らなくていいことは怒らない。
その線引きができるのがアンガーマネジメント。」
三井物産 大野朝之さんは石油事業にかかわるリーダーである。
日ごろから調整事が多くて
ときにイライラが爆発することも。
たとえば新たな事業の構想を提案した時
前例が無いからできないとはなから否定。
売り言葉に買い言葉で言い合いになって建設的な話し合いにならなかったと言う。
(三井物産 大野朝之さん)
「おもしろくないです。
声を荒げたりして。
自分自身も怒りを完全に100%うまくコントロールできている自信はなかった。」
セミナーではまず最初に怒りの原因を探った。
原因となるのは人それぞれの“こうあるべき”という価値観の違いである。
「私たちが怒る理由は
自分が信じている“べき”が裏切られたとき。」
(大野朝之さん)
「信頼とか約束を裏切られたときむかつくので
それは守るべき。」
自分と同じ価値観と違う価値観。
自分と価値観が少し違っても許容できる範囲をあらかじめ見極めておくことが大切だと言う。
(大野朝之さん)
「理想と現実のギャップからくる個人差。
そういうところに怒りが根ざしているのがわかった。
いろいろな観点から怒りに向き合うためのヒントが得られた。」
セミナーから3日後
大野さんは全員を集めてそれぞれの価値観について考えてもらうことにした。
(大野朝之さん)
「自分が十四だと思うことを“1”
重要じゃないことを“8”
順位をつけていただきたい。」
仕事に臨むときのこうあるべきという姿勢8つについて優先順位をつけてもらった。
“大きな声であいさつすべき”という項目では優先順位に大きな開きが生じた。
(大野朝之さん)
「“当然のことができていないんじゃないか”というところに
それは当然だと思っている人は不満を感じる。
当然すべきことなのにしないじゃないかと。」
普段は気に留めない些細な行動にも不満の種があることがわかった。
(大野さんの部下)
「ほかの人と考えが違うことを知って勉強になった。」
「ただ怒るだけでなく相手を尊敬して価値観を共有することが大事。」
大野さんは今後も話し合いをもって職場環境を改善していきたいと考えている。
(大野朝之さん)
「逃げるわけにはいかない。
怒りと1つ1つ向き合って怒りを解きほぐして
期待感を強めていけるよう組織長として握割を果たしていく。」
8月29日 経済フロントライン
ヨーロッパ北東部バルト海に面したエストニア。
「これがIDカードです。
中にICチップが入っています。
お店に行くときも簡単に支払いができて便利です。」
薬局を訪れた男性がICカードを取り出した。
カードに記されている11ケタの番号を入力すると病院からの処方箋が表示される。
エストニアではこの番号によって病院の診察情報などを薬局と共有。
番号を打ち込むだけで薬を受け取ることができる。
エストニアのIDカードには
医療・社会保障の他
運転免許証・パスポートなど様々な情報がこの11ケタの番号につながっている。
銀行取引や買い物はもちろん
手続きが煩雑な会社の設立でさえこのシステムなら10分で出来るという。
さきほど薬局を訪れていたトリスタン・プリーマギさん。
映画評論家をしている彼にとって仕事でもこのIDカードは欠かせない。
番号と内蔵されたICチップ、パスワードで本人であることを確認。
原稿を執筆している出版社との契約も自宅でできるようになった。
(トリスタン・プリーマギさん)
「これまで外に出かけて契約を交わしていましたが
いまは家に居ながら10分で出来るようになりました。」
さらにこんなことまで・
(エストニア ターヴィ・ロイバス首相)
「世界で最もIT化が進んでいる国の投票方法を説明しましょう。」
電子投票である。
10年前から実施され
いまでは有権者の約30%が自宅や勤務先から投票するという。
(エストニア電子投票委員会委員長 ターヴィ。マーティンズさん)
「IDカードを使ってもらうことで行政の効率化を図ることができます。
もちろん使う側にとって便利でなくてはいけません。」
9月4日 編集手帳
いまごろの季節だろう。
寺山修司に一句がある。
〈秋風やひとさし指は 誰の墓〉。
澄みわたった青空を指して立つ指が目に浮かぶ。
この指とまれ。
遊び仲間を誘った子供の昔が懐かしい。
無邪気な鬼ごっこならばともかく、
「“いじ め”ごっこするもの、この指とまれ」と呼びかけても、
良識ある国は耳を貸さない。
式典の性格が友好的でないとして欧米の主要国が首脳の参加を見送ったのは当然だろう。
中国政府が軍事力を誇示するとともに反日宣伝の舞台として用いた「抗日戦争勝利70年」の記念行事と軍事パレードである。
近隣諸国で評判の悪 い腕ずくの外交を習近平政権が改める可能性。
潘基文事務総長の出席によって傷ついた国連の中立性…。
ひとさし指の墓に埋葬されたものはいろいろありそうで ある。
寺山で思い出した詩の一節がある。
〈ふりむくな/ふりむくな/後ろには夢がない〉(『さらばハイセイコー』)。
かつて日本が中国を侵略した過去を思うとき、
「ふりむくな」と言うつもりは断じてない。
ないが、
悪意をこめて後ろ“ばかり”を振り向くのはまた話が別だろう。
あまりにも夢がない。
8月30日 おはよう日本
独自のコーヒー文化をはぐくんできたトルコ最大の都市イスタンブール。
街のカフェはいつも人であふれている。
トルコでは飲み終わっらカップに残ったコーヒー豆を見て
想像力をかき立て
未来を占うという伝統的な風習もある。
「いいのが出た?」
「悪くないわ。
もうすぐ決断する時が来るわ。
人生の分かれ道みたい。」
しかしトルココーヒーを取り巻く状況は大きく変わりつつある。
街のいたる所に外資系の新しいカフェが次々とオープン。
今ではイスタンブールのカフェのかなりの部分を占めるようになった。
人気のメニューは欧米風のドリップコーヒーである。
また最近ではトルココーヒーを提供するカフェでも
手間を省き簡単にいれられる機械が普及。
昔ながらの手作りのトルココーヒーを出すカフェはほとんど無くなった。
(カフェの客)
「朝はカフェラテ
夜はアメリカンを飲むわ。
トルココーヒー以外の味も大好きよ。」
昔ながらの味を守っていこうと
トルコ政府はトルココーヒーをユネスコの無形文化遺産に申請。
2年前 トルココーヒーの技術や文化を次世代に引き継いできたことなどが評価され
認定された。
オフィス街の大通りから1本入った路地裏。
老舗のカフェで伝統の味を守り続けてきた職人がいる。
カフェ店主のジェミル・フィリクさんである。
ジェミルさんが職人になったのは15歳のとき。
貧しく職がなかった当時 兄がいたこの店で働くようになった。
その後 店を継ぎ
50年近くコーヒーを淹れ続けてきた。
こだわりはコーヒーの泡である。
専用のなべでじっくりと火にかけ沸騰する直前に火から離す。
表面の白っぽい泡をコーヒーに混ぜ込むようにそそぐ。
時間をかけて生まれたこのきめ細かな泡が味をまろやかにし
おいしさの決め手になると言う。
(カフェ店主 ジェミル・フィリクさん)
「手をかけなければおいしいコーヒーはできないよ。」
ジェミルさんは味を左右するコーヒー豆にもこだわっている。
世界的なコーヒー豆不足や通貨リラの値下がりの影響で
コーヒー豆の値段はこの4年で50%上昇。
そのため多くの店が安いコーヒー豆に切り替えてきた。
しかしジェミルさんは最高品質のブラジル産の豆を使い続けている。
(カフェ店主 ジェミル・フィリクさん)
「いろいろな豆が出回るようになったが
質の悪い豆を使っては店も長続きしない。
伝統の味を壊すことになってしまうよ。
豆こそが命なんだ。」
ジェミルさんのコーヒーを求めて
店には1日500人以上の客が訪れる。
(カフェの客)
「36年前からコーヒーはこの店と決めている。
まさに職人技が生み出す味だ。」
「ここに来ればゆったりとコーヒーを飲んで友達とおしゃべりができる。
特別な場所よ。」
息子のジュネイト・フィリクさん(35)。
は10年前から父の仕事を手伝っている。
店を継ごうとコーヒーの入れ方を学んでいるが
まだまだ父の味には及ばない。
長年人々から愛されてきたこの店のコーヒー。
ジュネイトさんは父の味を受け継ぐことに生きがいを感じていると言う。
(ジュネイト・フィリクさん)
「父に追いつくにはまだまだ時間が必要です。
この店で初めてトルココーヒーを知る人もいるので
もっと多くの人にこの文化を知ってもらいたい。」
(カフェ店主 ジェミル・フィリクさん)
「トルココーヒーは命の限り守っていきます。
次の世代もきっと頑張って守ってくれるでしょう。」
親子の思いが詰まった1杯のコーヒー。
今日も路地裏で人々の憩いの場を作り出している。
8月29日 経済フロントライン
ビジネスマンの客が多い東京中央区の大型書店。
いま大人向けの学習本が売れている。
数学・物理・理科・社会
むかし習った教科をもう一度学び直したいというニーズに応えたものである。
なかでも人気は歴史。
「もう一度読む教科書」シリーズは今年4月に累計販売部数は100万部を突破した。
(八重洲ブックセンター 事業推進課 高杉信二さん)
「大人になってからも旅行に行ったり時代劇を見るときに必要な知識だったりする。
そういうところで“学び直し”に挑まれる方が多い。」
都内の飲食店では教科書を使った勉強会まで開かれている。
「大人になってみると
そういえば教科書に載っていたなということが多かった。
そうしたらもう1回やり始めても面白いかなと思った。」
大人向けの教科書を出した出版社。
教科書の市場が少子化で縮小するなか大人向けに編集し直し発売した。
学生向けではカラーページを多く使っているが
大人向けでは文字が読みやすいようにモノクロにしている。
また試験勉強に必要な太字のキーワードもなくしコラムを増やした。
大人の読み物として工夫したところ予想外のヒットとなったのである。
(山川出版社 編集部 山岸美智子さん)
「社会に出ていろいろな経験を積まれた方たちが
こういうことってどうだったんだろうと考えてもらう素材として有効。」
おもちゃ業界も大人の学び市場に参入している。
子どもに人気のレゴブロック。
より高度なテクニックを学びたいという大人のファンの声に応え18歳以上限定の教室が開かれるようになった。
教えるのはブロック製作が専門のプロの講師。
形だけでも2400種類以上のパーツがあるレゴブロック。
どうすればイメージ道理の作品がつくれるのか
選び方から配色までプロのテクニックを丁寧に教える。
月に1回開かれるこの教室は授業料3千円。
講義を受けたあと生徒の多くは商品を購入していくと言う。
(大人向けの教室を主催 マーリン・エンターテインメンツ・ジャパン 遠藤利明さん)
「私どものショップで買っていただいて自宅で遊ぶ人が最近増えてきている。
大人のための機会創出は非常に意味のあることだと思っている。」
全国に家庭教師を派遣している会社も大人向けのビジネスに参入している。
始めたのが「大人も家庭教師」。
語学や資格取得だけでなく音楽やスポーツといった趣味の分野まで講座数は50にのぼる。
夜11時 フットサルのレッスン中のIT企業に勤める高沢知史さん(30)。
友人とフットサルチームを起ち上げたものの周りにのレベルについていけず家庭教師を頼んだ。
(高沢知史さん)
「いい大人がみんなの前で練習するのもちょっと恥ずかしいなというのがあった。
マンツーマンで教えてもらうのも上達が早いかなと思った。」
料金は1時間2900円~だが
先生が元プロなどの場合 数万円にのぼる場合もあるという。
(トライグループ 広報担当 物部晃之さん)
「大人の方が学びたいというのがどこにあるのかとらまえながら
それに合わせたサービスを提供していくことによって
この事業は無限の可能性を秘めている。」
大人が学ぶためのスペースを貸し出す不動産会社も登場している。
閉鎖したトランクボックスを改装して去年10月にオープンしたこの施設。
俳句講座など様々な学びのスペースを提供している。
さらに「部室」と呼ばれるスペースを設け
月5万円~11万円で貸し出している。
レコード部は
30人いる部員がそれぞれ持ち寄ったコレクションを共有したり情報交換したりする場として使っている。
(レコード部部長 橋本真吾さん)
「聴かず嫌いだった音楽にも出会えてすごく価値感が広がった。」
これまで本屋研究部やコーヒー部など15以上の部活に貸し出している。
(不動産会社リビタ 川島史さん)
「利用者の方たち発信でいろんなイベントが日々起こっているような場所にしていきたい。」
大人も学ぶという新たなマーケット。
今後も拡大が期待できると専門家は指摘する。
(博報堂 新しい大人文化研究所 坂本節郎さん)
「会社だけ仕事だけではなくて自分のプライベートを充実させたいとか
どうやって充実させるかというときに
“学び”というのが出てきている。
“学び”というのはマーケットを深化・拡大させるそういった力を持っていると思う。」
8月30日 編集手帳
日本人の母を持ち、
幼少期を奈良で過ごした。
だから日本人にあまり過酷なことはしないだろう。
ダグラス・マッカーサーに関するそんな「流言」を終戦直後の警察が記録している。
川島高峰著『敗戦』(読売新聞社、
1998年 刊)で知った。
連合国軍最高司令官を巡る根拠のない話は、
様々に形を変えて流れていたらしい。
祖母や乳母が日本人という説もあったそうだ。
8月の終わりが近い。
手元の現代史年表に、
70年前のこの月30日の出来事として記されるのは、
マッカーサーの厚木飛行場到着である。
サングラスとコーンパイプが印象的 な写真をいま見ても、
日本人との血縁を思わせるものは何もない。
敵国の指揮官だった人物を最高権力者として迎えた時、
濃密な縁が元々あったとでも考えなければ、
日本人として心の折り合いがつかなかったということか。
ともかくも、
こうして始まった占領下に戦後日本の原型ができた。
日米の交戦の事実すら知らない若者がいると聞く。
それが本当なら、
マッカーサーのことなどなおさら知るまい。
その時代の教訓がある。
語り継ぐべき「70年」は8月の先にもある。