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熊川哲也の新作“クレオパトラ”

2017-11-02 06:00:00 | 報道/ニュース

10月11日 おはよう日本


バレエ「クレオパトラ」。
絶世の美女クレオパトラのドラマティックな半生を描く。
古代エジプトとローマを舞台に権力闘争や殺し合い
人間の愛や欲望を描く歴史スペクタクル作品である。
このクレオパトラはバレエダンサー熊川哲也さんが率いるバレエ団が
ストーリーも振り付けもすべて一から作り上げたオリジナル作品である。
「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」など
今でも演じ続けられている古典的作品は実は世界でも10余しかない。
今回熊川さんはそれに匹敵する新しい作品を作りたいと
1年以上かけ2時間の大作を作り上げた。
9月の都内の稽古場。
今回熊川さんは自らは出演せず
芸術監督として新たな舞台に挑む。
目指したのはこれまでのバレエに見られない新たな表現である。
単純な美しさではなく
人間の内面や感情をどう表現するか
模索を続けていた。
さらに舞台美術にはあえて異なる分野のデザイナーを起用した。
世界中でオペラの舞台を作ってきたダニエル・オストリングさんである。
立体的でスケール感のある舞台はオペラならでは。
(熊川哲也)
「オペラやクラシック音楽と比べて
 バレエの作品は数が少なく10数作品しかない。
 われわれ古典芸術を継承するものは
 当然新作を生んでいかなければいけない。」
10代で海を渡り
イギリスロイヤルバレエ団で活躍していた熊川さん。
日本のバレエを盛り上げたいと26歳で帰国。
自らバレエ団を設立。
完全オリジナルの長編作品を作ることは長年の目標の1つだった。
クレオパトラには“日本バレエの力になりたい”と
海外から帰国したダンサーも多く出演する。
小林美奈さん。
14歳で世界最高峰のロシアのバレエ学校に留学し
その後も海外のバレエ団で活躍してきた。
今回クレオパトラの付き人など重要な役をつとめる小林さん。
日本のバレエのレベルの高さをアピーする作品になればと考えている。
(小林美奈さん)
「日本のバレエが世界にひけを取らないくらい大きく成長していったらいい。
 それを作り上げる一員として精一杯努めたい。」
公演初日
全国から2千人のバレエファンが集まった。
当時の権力者たちを魅了した妖艶なクレオパトラが独特な振り付けで現代によみがえる。
古典バレエには見られない官能的な踊り。
小林さんもソロを踊りきった。
(観客)
「バレエのタブーというような人間描写。」
「歴史の1ページに立ち会った気持ち。」
(熊川哲也さん)
「素晴らしい作品が旅立ってくれた。
 親心な気持ちと
 今までの大変な時間が報われた瞬間で
 自分の中では集大成。」




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今ふたたび東京五輪音頭

2017-11-01 06:00:00 | 報道/ニュース

10月10日 おはよう日本


昭和39年
アジアで初めてのオリンピックが東京で開催された。
日本の戦後の復興を世界に示す大会となった。
大会を盛り上げようとある曲が作られた。
その名も「東京五輪音頭」である。
軽快な歌と踊りは大流行し多くの人に親しまれた。
そして今
50年のときを経て東京五輪音頭は新たに生まれ変わっている。
1番から5番までの歌詞を3人の歌手が個性豊かに歌いあげている。
この曲はインターネットで全国に公開。
各地で練習が始まっている。
埼玉の小学校では9月に行われた運動会でいち早く披露。
53年前に踊ったことがあるというお年寄りたちも踊りの発表会に向けて励んでいる。

歌詞を作ったのは島根県出身の宮田隆さんである。
当時島根県庁に勤める公務員だった。
♪待ちに待ってた世界の祭り
 西の国から東から
宮田さんの長男の洋さん。
当時お父さんが作詞に熱中していた姿を覚えているという。
(宮田洋さん)
「父はもともとは県庁職員なので普通の仕事もしないといけない。
 作詞活動があるときには旅館に引きこもって
 全部をシャットアウトして書いていたという記憶がある。」
その熱意が実を結び
応募した東京五輪音頭の歌詞が見事選ばれたのである。
復興した日本の晴れ姿。
高揚感をうたった歌詞に宮田さんはある思いを込めていた。
それは平和への願いである。
(宮田洋さん)
日本が日中戦争・太平洋戦争へと突き進んでいた。
宮田さんは中国・フィリピンへ従軍し捕虜も経験している。
(宮田洋さん)
「捕虜になったときはつらかったと言っていました。
 いつ殺されるか分からないし
 順番が回ってきたら殺される。」
しかしあるときアメリカ兵からかけられた言葉に
宮田さんは心を動かされたと言う。
(宮田洋さん)
「日本人もアメリカ人もみんないい人なのに
 お互い殺し合いをしなければならない。
 “戦争がなく平和なら殺し合いをしなくていい”
 というアメリカ兵の言葉が一番印象的だったと。」
人種や国の垣根を超えて人と人として認め合う。
宮田さんのその思いがにじむのが東京五輪音頭の3番の歌詞である。
♪すがた形は違っていても
 いずれ劣らぬ若い花
 ヨイショコーリャ若い花
 オリンピックの庭に咲く
(宮田洋さん)
「自分の体験や親友が亡くなっているなかで自分は生きて帰ってるから
 平和への思いは強かったと思う。
そして東洋オリンピックの開会式をスタンドで見つめた宮田さん。
あらためて平和への思いを手記に綴っている。
“待ちに待ってた世界のまつり”
私は東京五輪音頭の一説にこううたった
それがいま実感として目の中に飛び込み
耳を打ち
胸をジーンとさせる 
それにしてもどうしてこんなに明るい純粋な世界の仲間が
殺し合い憎しみあい
戦争という愚を引き起こすのであろうか
私は改めて平和への願いを込めて
この偉大なセレモニーの感動にひたる
それから53年
宮田さんの思いは色あせることなく今に引き継がれている。
50年以上前に誕生した東京五輪音頭。
その歌詞はいま改めて平和への尊さを問いかけている。



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