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米 逆境のバーボン 救世主は・・・

2019-12-17 07:00:00 | 報道/ニュース

11月21日 NHK「おはよう日本」


トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争で
アメリカのバーボンの輸出が落ち込んでいる。
EUなどの対抗措置として関税を上乗せしているからである。
そうした中で老舗メーカーが救いを求めたのは意外な相手だった。

アメリカ南部ケンタッキー州にある蒸留所。
アメリカ独立の4年後である1780年創業の老舗として知られている。
社員わずか7名の小規模な蒸留所でありながら
世界的なウイスキーブームに乗って
数年前からヨーロッパや日本などに向けてバーボンの輸出を拡大。
今では売上の約10%を輸出が占めている。
(蒸留所オーナー アミル・ピーさん)
「ヨーロッパに自社倉庫を作りました。
 そしてアメリカにないヨーロッパ向けの700mlボトルを新たに作ったのです。」
しかしアメリカがEUの鉄鋼製品などに高い関税をかけたことへの対抗措置として
去年6月
EUがアメリカ製品に関税を上乗せ。
バーボンには25%の関税が追加され
蒸留所も大きな痛手を受けた。
(蒸留所オーナー アミル・ピーさん)
「自分たちが始めた貿易戦争でもなく
 違う業界で起きていることに巻き込まれている。
 鉄やアルミの業界で何かが起きているのなら
 その業界内で何とかすべきだ。
 私たちを巻き込まないでほしい。」
逆境を跳ね返すためにこの蒸留所が考え出したのは
バーボンの歴史を武器にする戦略。
「1780年に創業したケンタッキー州で最古の蒸留所だ。」
バーボンツアーを企画して
創業239年の蒸留所の敷地をメディアや一般客に公開し
魅力をアピールすることにしたのである。
実はこの蒸留所のバーボンには強力なファンがついている。
第18代アメリカ大統領のユリシーズ・グラントに
第7代アメリカ大統領のアンドリュー・ジャクソン。
清らかな水で作られた口あたりまろやかなバーボンは
歴代のアメリカ大統領に愛されている。
アメリカを築いてきた大統領のお気に入りのバーボンの歴史をアピールすることで
値段が高くても買ってもらえるブランドにしようと考えている。
ツアーの評判は上々。
海外メディアにも取り上げられるなど
着実に収益につながり始めている。
(蒸留所オーナー アミル・ピーさん)
「ツアーは急成長していて
 良いビジネスになっている。
 我々の愛すべき商品を利用して
 アメリカのウイスキーを再び世界に紹介したい。」
好んで飲んでくれた歴代の大統領に救いを求める伝統のバーボン。
歴史を武器に勢いを盛り返そうとしている。


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“地域のブランド” 神戸ビーフ 守れるか

2019-12-16 07:40:00 | 報道/ニュース

11月19日 NHK「おはよう日本」


神戸ビーフは
100年以上育てられてきた純粋な兵庫県の「但馬牛」のうち
肉の質など厳しい基準を満たしたものだけが認定されている。
しかし海外ではこの偽物が出回り
神戸ビーフのブランドを管理する団体では
監視員
いわば“ニセ神戸ビーフGメン”を委嘱して対策を強化している。

世界各地の牛肉が集まるドイツ デュッセルドルフの食肉売り場。
商品に目を光らせている男性は
偽物を監視・通報する
いわば“ニセ神戸ビーフGメン”のフランク・アルバース氏である。
ヨーロッパの各国に神戸ビーフを販売している食肉バイヤーのアルバース氏のもとには
顧客などからも偽物の情報が寄せられるという。
(“ニセ神戸ビーフGメン” フランク・アルバース氏)
「神戸ビーフは私たちにとって最高級の食材です。
 偽物が流通し
 ブランドが傷つけられないよう保護することが重要だ。」
この日も偽物の情報が入ってきた。
送られてきた写真には“Kobe”の文字。
商品の紹介には“Kobeから来たWagyu”と書かれている。
あたかも神戸ビーフであるかのように表示されていた。
アルバース氏は早速この店に電話をかけ
やめるよう求めた。
「あなたの店のディスプレーに神戸ビーフがあるという写真が私に送られてきました。」
(“ニセ神戸ビーフGメン” フランク・アルバース氏)
「彼は“もう売っていない”と言っていたけど
 問題となるのが分かって少し怖がっていたよ。」
ニセ神戸ビーフはどこまで広がっているのか。
NHKは偽物を提供するレストランがあるという独自の情報を得てスペインへ向かった。
レストランはオフィス街の一角にあった。
店に入ってメニューに記されていたのは
Tropical Kobe Beef
約200gで69ユーロ(約8,000円)のステーキ。
実際に注文すると
神戸ビーフ特有のとろけるような脂のうま味はなかった。
次の日もう一度店を訪ねると経営者が取材に応じた。
経営者は厨房に案内し肉を見せてくれた。
使われているのはブラジルに持ち込まれて育てられた別の“Wagyu”だった。
神戸ビーフの知名度を利用したと
悪びれることもなく説明した。
(店の経営者)
「南米で育てられたのでトロピカルと名付けています。
 “トロピカル神戸ビーフ”と。
 正しくは“トロピカルWagyuビーフ”ですね。
 しかしWagyuについて知っている人は少ないので
 “トロピカル神戸”としているのです。」
ニセ神戸ビーフが堂々と販売されている実態が見えてきた。
ニセ神戸ビーフGメンに監視を依頼した神戸ビーフのブランドを管理する団体。
海外から今年だけで140件の偽物の情報が寄せられているという。
(神戸肉流通推進協議会)
「氷山の一角ですよ。」
神戸ビーフは血統を守り抜いてきた牛だけを使い
出荷するまでに
1頭あたり約150万円がかかるという。
偽物が広がり信頼が低下すれば価格の下落につながりかねないと
危機感が強まっているのである。
(神戸肉流通推進協議会)
「本物の神戸ビーフは1つしかないので
 他の名前で流通している“神戸”がついたような牛肉については
 やっぱり排除まで持っていきたい。」
ただ取り締まりには限界があるのも現実である。
もう1人の“ニセ神戸ビーフGメン”
モナコのリカルド・ジラウディ氏。
(“ニセ神戸ビーフGメン” リカルド・ジラウディ氏)
「ヨーロッパはとても大きく
 25の国があり
 私だけではチェックできないので
 私の代理店が情報を送ってくれることになっている。」
ジラウディ氏は
広大なヨーロッパの全ての情報は把握できないものの
寄せられた情報をもとに政府へ通報するなど
地道な活動が大事だと感じている。
神戸ビーフのブランドを守るため現地で目を光らせるGメンたち。
情報を幅広く集め
1件ずつつぶしていく努力が続く。


 

 

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ウラジオストク 右ハンドルが走る街

2019-12-15 07:00:00 | 報道/ニュース

11月18日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


ロシア極東に位置するウラジオストクは人口60万余の貿易が盛んな港町である。
坂道が多く
公共交通機関があまり発達していないため
移動手段の主役は車である。
ソビエト崩壊後には日本との貿易の窓口となったことで日本の中古車が急速に普及した。

ウラジオストクのヨーロッパ風の街並みを走る車の9割近くが日本車である。
その多くは日本から輸入された中古車。
日本車の安全性能や快適さへの信頼は高く
ロシアの国産車より価格は割高だが人気を集めてきた。
車は右側通行だが
多くのドライバーは右ハンドルのまま走っている。
(市民)
「右ハンドルなので追い越しは難しいですが
 もう慣れました。
 この町では心臓は「左側」でハンドルは「右側」です。」
右側のハンドルで教習を受けることが出来る自動車教習所。
ロシアの教習所は通常は左ハンドルだが
ウラジオストクでは日本の中古車を購入する人があまりにも多いため
特別に右ハンドルの講習も行っていて多くの人が受講している。
(教習生)
「右ハンドルの車を買ったからです。
 祖父も父もみな右ハンドルで運転していて
 遺伝のようなものです。」
日本の中古車が集まるロシア極東最大の市場がウラジオストク郊外にある。
小高い丘の上にある“グリーンコーナー”と呼ばれる一帯である。
東京ドーム約3個分の広さに数千台の車。
そのほとんどが日本から輸入された中古車だということである。
この一角で16年にわたって販売を続けてきたシュルジェンコさん。
現在店では約100代の日本車を取り扱っている。
10年前までは週に20台売れた時もあったが
今では1台売れるかどうかと状況が一変したという。
(中古車販売店 シュルジェンコさん)
「価格は150万円ですが
 ほぼ半分が税金です。
 普通ではないです。」
ロシア政府は国内の自動車産業を優遇しようと
日本の中古車に輸入関税の引き上げや使用の制限などを繰り返し課してきた。
(中古車販売店 シュルジェンコさん)
「規制が続くと考えたくない。
 仕事を失うかもしれません。」
日本の中古車への風当たりが強くなるなか
右ハンドルを見つめ続けた人がいる。
作家のワシリー・アフチェンコさん(39)。
アフチェンコさんが子どもだった1980年代
日本から中古車の輸入が始まり
ウラジオストク市民の文化や政治まで大きな影響を与えた。
アフチェンコさんも
多様な形で美しく
移動する技術に優れた日本車の魅力にひかれていった。
23才で免許を取得してからは右ハンドルの日本車を11台乗り換えてきた。
そして2009年には
「右ハンドル」というタイトルで小説を執筆。
右ハンドルの日本車をヤポンカ(日本の娘)に例えたりするなどして
日本車の魅力や代わっていく環境の変化を描いた。
(小説家 ワシリー・アフチェンコさん)
「恋をした気分です。
 日本車に乗ることで新しい世界を見つけました。
 右ハンドルは我々の人生なので
 記録に残そうと思ったのです。」
この日アフチェンコさんは中古車を探しにグリーンコーナーに向かった。
(作家 ワシリー・アフチェンコさん)
「この辺りも車があってもっと賑やかでしたね。」
市場にはブリッド車や電気自動車も並んでいて
アフチェンコさんも真剣に見ていた。
「タンクは2つですね。」
「そうです。」
「ハイブリッド専用ですね。」
「はい 電気でも動きます。」
ピークを過ぎた日本の中古車市場を憂う一方
アフチェンコさんは
右ハンドルがあったからこそ
日本食や日本製品などがウラジオストクで広がりつつあると考えている。
(作家 ワシリー・アフチェンコさん)
「完全に寂しい状況ではないです。
 日本車は減ったかもしれませんが今でも多くのファンがいます。
 車種ごとに愛称がつけられていて
 私たちの文化に溶け込んでいます。」
アフチェンコさんの小説の一分にはこうある。
彼(日本人)よりも私の方が君を愛している。
君とは長いこと一緒だけど
これからも同じように毎日君が必要だ。

 

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高崎市箕郷町上芝 マウントクック

2019-12-14 17:46:38 | グルメ

 

 
              (食べログより)

  



群馬県高崎市箕郷町上芝830-4

http://www.mountcook.jp/

 

 

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防衛大学校「棒倒し」がもたらすのは?

2019-12-14 06:41:59 | 報道/ニュース

11月18日 NHK「おはよう日本」


防衛大学校伝統の「棒倒し」。
11月17日
年に一度の熱き戦いが繰り広げられた。
たった2分間の棒倒しが
彼らにもたらしたものとは。

防衛大学校の朝は6時から始まる。
約2,000人の学生が将来幹部自衛官になるための教育・訓練に励んでいる。
近年は女子学生も増えてきている。
その防衛大学校で昭和30年から続く伝統行事「棒倒し」。
自衛官に必要は気力・体力を培い
戦略を練る訓練として大切にされてきた。
棒倒しは
2組に分かれそれぞれの陣地に棒を立て
およそ80人で1本の棒を守り
80人の敵が攻撃してくる。
先に相手の棒を倒した方が勝ちとなる。
オレンジカラーの第4大隊は過去15年間優勝がなく最も優勝から遠ざかっている。
4大隊を率いる藪大路さん。
実は藪さんが大切にしているのがコミュニケーション。
上級生と下級生が一緒に食事をすることで下級生が委縮しないようにと気を配っていた。
(4大隊 1年生)
「こういう機会があまりないので
 4年生としゃべる機会をいただけてありがたい。」
(4大隊総長 藪大路さん)
「やるとこはやる。
 やらないとこはしっかり談笑してコミュニケーションを深める。」
実戦練習はすべて大隊の中だけで行う決まりになっている。
ここで実は女子が活躍していた。
他の大隊の練習をビデオで撮影し戦略を立てる役割を担っている。
さらに女子の活躍する場面。
けが人が後を絶たない本番さながらの練習。
これは戦場での後方支援の訓練でもある。
そして練習内容について男子学生と協議する姿も。
厳しい練習でけが人が続出するなか
藪さんはこのまま続けるべきか悩んでいた。
その夜
それでも続けることが成長につながると告げた。
「やるなら覚悟を持って挑んで
 ぬるい気持ちがあったらけがします。」
そして迎えた棒倒し本番。
4大隊初戦の相手は
チームカラー赤の1大隊。
1大隊の攻撃陣は四方を取り囲むように攻め上がる。
対する4大隊は果敢に突進。
正面突破を狙う戦法に出た。
しかし
(アナウンス)
「ただいまの試合30秒で1大隊の勝ち。」
今年も優勝には届かなかった。
(4大隊総長 藪大路さん)
「いつかこの負けがあったから優勝できたという報告を
 部隊に行ってからもずっと待っています。
 俺たちの意思を受け継いで頑張ってくれ。
 1大隊に勝ちたかったけど
 でもみんなとこの2か月やってこられてよかった。」
本気になって取り組むことでしか得られない貴重な経験である。
(4大隊総長 藪大路さん)
「棒倒しがなかったらこんなに成長できなかった。
 これからの人生の中でも大きなものだったのではないかと思う。」



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ラグビーブームを生かせ!競技人口どう増やすか

2019-12-13 07:00:00 | 報道/ニュース

11月15日 NHK「おはよう日本」


ラグビーW杯の熱狂が冷めやらぬなか
全国各地でラグビーの体験会が開かれている。
定員を超える応募が押し寄せた会場も。
いま多くの子どもたちがラグビーへの関心を高めている。
「面白かったです。」
「見るのも楽しいんですけど
 やるのも楽しいですね。」
競技人口を増やそうと取り組んできた日本のラグビー界。
前回のW杯での強い後悔があった。
4年前の大会
日本代表は強豪南アフリカを破り人々を熱狂させた。
このときも大きなラグビーブームが沸き起こった。
一時は伸びた全国の競技人口。
しかし継続して増やすことが出来ず目標の数字には遠いままである。
ブームを定着させるにはどうすればいいのか。
普及に力を入れてきた熊本県ラグビー協会の杉山眞一さん。
壁となっていたのは体験会のメニューだった。
実戦形式のやり方がラグビー初心者には難しい内容だったのである。
(熊本県ラグビー協会 杉山眞一さん)
「コーチがつきっきりでずっと教えている。
 その子はもうへとへとになって“疲れたぁ”だけで終わって次から来ない。
 もっとシンプルにわかりやすい方が
 子どもたちのニーズもつかめるし楽しめる。」
そこで杉山さんたちは体験メニューを一新した。
ボールを持って走るリレー。
ボールを持ってぶつかっていく練習。
ディフェンスの間をくぐり抜けるゲーム。
ラグビーの楽しさを実感できる簡単なメニューを考えた。
「走って楽しかった。」
「思いっきり走って運動できるし
 ずっとやっていきたいなと思います。」
さらには子どもたちの母親にも体験会のサポートに加わってもらう。
ラグビーを続けてもらうには親の理解も欠かせないという考えである。
(熊本県ラグビー協会 杉山眞一さん)
「保護者って本当に強力なサポーターなんですよ。
 むちゃくちゃ強力。
 チームのファンになってくれるし
 ラグビー自体のファンになってくれるはず。」
競技人口の増加を見越して
指導する体制を整えようという動きもある。
日本ラグビー協会は
指導者の資格がとれる年齢を20才から18才に引き下げた。
より早い段階からラグビーの指導を志す人を増やそうというのである。
(19才の大学生)
「大人になった時もラグビーに携わり続けたいと思うので
 違う角度からも挑戦しようかなと思って。」
(日本ラグビー協会 川合レオさん)
「高校生まででキャリアを終えるけれども
 ひきつづきラグビーにかかわりたいと思ったときに
 資格が取れなくて指導ができない状況はおかしいと思ったので
 受け入れ側として万全な指導体制を整えたいという意味で
 指導者を増やしたいと思っています。」


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“蜜月” ロシアと中国 周辺国にも波及

2019-12-12 07:00:00 | 報道/ニュース

11月14日 NHKBS1「国際報道2019」


BRICSを構成する新興5か国。
そのなかで最近蜜月ぶりが目立つのが
Rのロシア
Cのチャイナ。
このふたつの大国は
周辺国も巻き込んだ新たな連携の機運を生み出している。

おそろいのエプロンでロシア風クレープを焼くプーチン大統領と習近平国家主席。
両国の国交樹立から70年という節目。
ロシアの国営テレビはこうした映像を繰り返し放送し
両国の蜜月ぶりを演出している。
友好ムードは市民レベルでも高まりを見せている。
ロシアの世論調査によると
中国の印象について
“よい”と答えたのは70%。
5年前に比べて15ポイントも増加した。
(モスクワ市民)
「両国の関係は非常にいいので
 今後さらに友情をはぐくむでしょう。」
そんななか注目されたのは10月のプーチン大統領の発言である。
(ロシア プーチン大統領)
「中国との関係は戦略的パートナーシップで
 完全な意味での“同盟”だ。」
この場でプーチン大統領は
中国のミサイル警戒システムの構築を支援していることを明かした。
両国の連携が軍事分野でもかつてなく進んでいることを内外に知らしめたのである。
ロシアと中国の接近は
これまでふたつの大国の間で注意深くバランスをとってきた国々にも影響を与えている。
中央アジア キルギスのジェエンベコフ大統領。
NHKのインタビューに対し
ロシアとの関係を引き続き強化する一方で
中国の一帯一路のプロジェクトにも参加し
関係を重視していくことを示した。
(キルギス ジェエンベコフ大統領)
「ロシアも中国も隣人であり
 今後もわが国と両国との関係がいっそう強化されていくと信じている。」
ロシアか中国化という択一的な考えではなく
両社とともに関係を発展できると強調したのである。
専門家は
ロシアと中国が良好な関係を背景にして新たな秩序が生まれる可能性を指摘している。
(中央アジア情勢に詳しい 国際政治学者 アンドレイ・グロジン氏)
「中央アジアの国々は中国の経済力とロシアの安全保障に依存している。
 両国は衝突する可能性もあるが
 首脳同士の関係により円滑に進んでいる。」
今年9月 ロシアが呼び掛けた大規模な軍事演習。
去年も参加した中国に加えて
今年は中央アジア各国やインドなども軒並み加わった。
演習にはキルギスのジェエンベコフ大統領の視察に訪れていた。
(キルギス ジェエンベコフ大統領)
「先進技術や高度な武器が使用され
 自衛の課題を確認した。
 理想的な軍事演習だった。」
“蜜月”とまで言われるロシアと中国。
周辺国を巻き込み
影響力を拡大させている。

 

 

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パレスチナ 友好国との連携で経済活性化

2019-12-11 07:00:00 | 報道/ニュース

11月14日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


パレスチナは長年イスラエルの占領下にあり
物流や人の移動が制限されている。
そのため貿易収支は輸出が輸入の5分の1以下と赤字が続き
経済が低迷している。
こうしたなか
世界最大のイスラム教の国との経済交流を通じて活路を見出そうとする動きが始まった。

パレスチナ暫定自治区の主要都市ナブルス。
地元産のオリーブ油とナツメヤシの加工販売をしているジアドさん。
10年前から輸出を開始し
去年の輸出額は日本円で7億円だった。
(食品加工販売業 ジアドさん)
「パレスチナには素晴らしい農産品があります。」
地元経済の発展のためにも販路を拡大し輸出を増やしたいジアドさん。
頭痛の種となっているのがイスラエルがパレスチナに課している物流の規制である。
パレスチナは貿易港を持っておらず
輸出にはイスラエルの貿易港を利用せざるを得ない。
物品を港に運ぶことも容易ではない。
検問所ではパレスチナからやって来たトラックはいったん積み荷を持ち上げて
もう一度イスラエルのトラックに積み替えなければならない。
その理由は
パレスチナのトラックはイスラエルへの乗り入れが禁止されているからである。
積み荷は厳しい検査を受けなければならず
コンテナへの積み方にも厳しい制限がある。
このため
コンテナ1つあたり日本円で18万円余の追加コストと
多くの時間を費やさなければならないとジアドさんは言う。
(食品加工販売業 ジアドさん)
「治安が悪化すると商品は倉庫に戻され
 さらに1週間待たされます。
 物流の規制によりコストがかさむため
 私たちの商品は価値競争力がありません。」
さらに人の移動の制限もビジネス拡大の障害になっている。
パレスチナには空港がなく
イスラエルの空港を使うことも通常許されていない。
ジアドさんは外国で商談を行う場合
毎回隣国のヨルダンにいったん陸路で出国し
そこから第3国に渡航している。
そうしたなかパレスチナ企業とのビジネスに乗り出した国がある。
世界最大のイスラム教の国
人口2億6千万人のインドネシアである。
インドネシアは1960年代
植民地支配を受けていた国々の独立をリードする主要国だった。
その伝統から
31年前 いち早くパレスチナを国家として承認し
市民レベルでもイスラエルの占領に強く反対している。
ヨルダン川西南のエリコ。
今年7月
インドネシアの企業9社がパレスチナ企業70社と商談会を行った。
イスラエルとの国交がないため
インドネシアのビジネスマンはパレスチナ暫定自治区を訪れることは難しいのだが
日本政府の働きかけで実現した。
商談会に参加したジアドさん。
インドネシア最大の経済団体の副代表でさまざまな事業を展開するムフティさんと話す機会を得ると
国産のオリーブ油やナツメヤシの販路を拡大したいと熱心に売り込んだ。
ムフティン自身もパレスチナに連帯感を寄せているとあって
前向きな反応が得られた。
(インドネシア商工会議所副代表 ムフティさん)
「パレスチナ人は兄弟同様なので
 何とか助けたいのです。
 ただ支援を差し伸べるだけでなく
 両者間の貿易を活発にすれば
 もっと良好な関係を伊豆居ていけます。」
パレスチナでの商談会から3か月後
ジアドさんの姿がインドネシアの首都ジャカルタで開かれた見本市会場にあった。
ムフティさんのインドネシア商工会議所が
パレスチナを支援しようと
会場に専用ブースを無償で設置してくれたのである。
ムフティさんとの再会を喜ぶジアドさん。
待っていたのは朗報だった。
インドネシア政府がパレスチナの求めに応じて
関税なしでオリーブ油とナツメヤシを輸入することに最終的に同意したのである。
ジアドさんの農産品は年内にもインドネシアに輸出できる見通しになった。
ムフティさんの商工会議所は
来年4月のラマダンに合わせて
ジアドさんが出荷するパレスチナ産のナツメヤシの販売促進キャンペーンの実施を約束してくれた。
(食品加工反外業 ジアドさん)
「巨大市場への足掛かりが得られて
 大変興奮しています。」
占領というハンデを背負い経済が低迷するパレスチナ。
パレスチナとの連帯感を寄せるインドネシアとの間で始まった新しい経済交流に
熱い視線が注がれている。


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香川 観光客を関係者に!1杯のカップから

2019-12-10 07:00:00 | 報道/ニュース

11月14日 NHK[おはよう日本」


香川県三豊市にある父母ヶ浜(ちちぶがはま)。
絶景が撮れるスポットとしてSNSで人気になっている。
この浜には観光客の声を聞いて街づくりに生かそうという人がいる。
その方法は
コーヒーを買ってもらうことである。

三豊市にある父母ヶ浜。
潮溜まりに鏡のように反射する写真がSNS映えすると
最近 人気の観光地である。
去年はおよそ26万人が訪れた。
一方で地元からはこんな声も上がっている。
(地元のボランティア)
「通勤の時に道路が混雑したら40~50分帰る時間が延長になる。
 すごい渋滞になるから。
 観光で来てくれるのはうれしいけど
 地元の人は迷惑に思ったことがある。」
こうした観光客と地元の人との距離を縮めようとする取り組みが始まった。
10月 父母ヶ浜で少し変わったコーヒースタンドを開いた今川さん。
「カップの色を選んでいただきたいんですけど。
 これがアンケート形式になっています。
 “興味のあるものに1杯を”ということで
 “1杯が1票に”
コーヒーを買う時お客さんに父母ヶ浜への要望を表す5色のカップを選んでもらう。
赤ーもっときれいな浜を
緑ーもっとくつろげる場所を
白ー三豊を知りたい
黒ー水回りをよく
茶ー夜楽しむ場所を
父母ヶ浜をより良くするために何が必要かを
観光客にも考えてもらうという取り組みである。
カップは色別に集計し
数が多いものから実行に移す。
オープンから2週間。
最も要望が多かった“浜の清掃”を始めた。
(今川さん)
「小さい頃はここによくみんなで
 自治会の人たちと泳ぎに来ていたりとか
 焚火したりとか
 鍋したりとか。」
地元育ちの今川さん。
浜が急速に変わるなか
危機感を感じこの取り組みを始めた。
(今川さん)
「たくさんの観光客の方が来るようになったんですけども
 ただ写真だけ撮って帰るとか
 一過性のブームだけに終わりそうな気もして。
 この地域のこととか全く知らないまま帰ってもらうのも残念だし
 お互い“内と外”をつなげるようなことができないかな。
この取り組みについてお客さんの反応は
(県外からの観光客)
「本当にいち観光客なんですけど
 ダイレクトに参加できる感じがいい。」
(地元の人)
「お願いするっていうのはやりづらいことなんですけど
 コーヒーを頼むことで1票になるわけじゃないですか。
 それがうれしい。」
観光客と地元の人の交流を生みたい。
この日その理想に1歩近づく出来事があった。
「どちらから来られたんですか?」
「兵庫県から。」
「じゃあ日帰りかなんかで?」
「伊吹島に行ってました。」
「ぼく地元ですよ。」
「あ!そうなんですか?
 すてきなところ。」
今川さんの言葉をきっかけに兵庫県から来た女性と地元の男性が会話を始めた。
「いい人ばっかりだから
 前行ったときも。」
「前も行ってくれたんですか?」
今川さんは風景にとどまらない地元の魅力に気づいて欲しいと考えている。
(今川さん)
「1回の思い出というか何度も来てくれる方が
 やっぱりすごく持続的にと広がりのある関係性にできるんじゃないかと。
 いろんな人が誰かに会いに行きたくなるような場所になってほしいと思いますね。
 この町も
 この浜も。」




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サッカー男子 東京五輪世代 指揮官が共有させたい思い

2019-12-09 07:06:56 | 報道/ニュース

11月14日 NHK[おはよう日本」


東京オリンピック世代のサッカー日本代表。
広島と長崎で強化試合を行う。
チームを率いるのは森保一監督。
広島ではJ-1のチームを指揮し
長崎は出身地である。
ゆかりの地で若い選手たちに感じ取ってほしいことがあった。

22歳以下で構成されるチームには今回から
年齢制限のない代表でも活躍する久保健英選手(18)や堂安律選手(21)も加わった。
東京オリンピックまでおよそ8か月。
18人の代表枠争いも激しさを増すなか
森保監督が選手に求めるのは
(U-22日本代表 森保一監督)
「常にチーム一丸となって戦う
 団結する
 結束する。
 選手にも仲間のためにチームのために走って戦うということを求めている。」
そこで今回の合宿では技術面の強化だけではなく
人間性を磨く取り組みが行われることになった。
11月13日 選手たちが訪れたのは広島市の平和公園。
原爆慰霊碑で献花を行なったり
ファンから託された折り鶴を供えたりした。
さらに語り部から被爆の体験を聞いた。
合宿中のこうした活動は異例で
選手にとっては日本代表として戦う意味をあらためて考える機会になった。
(U-22日本代表 小川航基選手)
「すごく大事な時間だった。
 人間的なところがプレーに出てくると思う。
 しっかりと人間性も高めたい。」
(U-22日本代表 森保一監督)
「いま自分たちが好きなことをできるということが
 どれだけ幸せなのかということを感じてもらえたらなと思う。」
平和な時代にサッカーをできる喜び。
日本代表のユニホームを着る覚悟。
森保監督はそうした思いを共有することがチームの強化につながると考えている。
刺激を受けたのが国民を熱狂の渦に巻き込んだラグビーW杯だった。
(U-22日本代表 森保一監督)
「お互いが思いやりを持って助け合う
 協力し合うのが
 本当にチームがひとつになって目標に向かっていく。
 ラグビーW杯を通して日本代表の皆さんが
 世界で飼っていくために必要なことを示してくれた。
 東京オリンピックチームの試合を直接見られるということと
 選手たちの成長をその試合を通して感じることが出来るだろうなと思っていて
 すごくいま楽しみです。」

 

 

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マーマレード作りで地域を元気に

2019-12-08 07:00:00 | 報道/ニュース

11月13日 NHK[おはよう日本」


柑橘類の生産が盛んな愛媛県八幡浜市では
地元住民が中心となったマーマレード作りの取り組みが地域の活性化に一役買っている。

八幡浜市のかんきつ加工商品会社の代表 國分さん。
30年ほど前に八幡浜市に引っ越して以来
柑橘の世界に魅せられ
さまざまな商品作りをしてきた。
(かんきつ加工商品会社 代表 國分さん)
「衝撃的なおいしさであんなに甘くていくらでも食べられる。
 あんなみかん食べたことなかったから
 本当に感動しました。」
「ライムの皮をハート形に切ったものを入れています。」
國分さんが手がけるこのマーマレード。
香り高い愛媛県産のゆずをベースに
ライムの皮で形作った小さなハートをちりばめている。
2年前 “腕だめしをしたい”とこの作品をイギリスの世界大会に初出品。
すると見た目の美しさなどが高い評価を受け
いきなり金賞に選ばれた。
大会の関係者から“日本でも大会を開きたい”という声を聞いた國分さん。
市に誘致を呼び掛けたところ
(マーマレード大会の創設者 ジェーン・ヘーゼル・マコッシュさん)
「今回マーマレードのご縁で日本にやってきました。」
今年5月
日本で初のマーマレードの世界大会が八幡浜市で開かれたのである。
海外からも含め2万人ほどが集まる大規模なイベントになった。
そしていま國分さんが目指すのはマーマレード文化の普及。
「マーマレードは皮の香りとほのかな苦みを楽しむ食品です。」
作る楽しさを広めようと
教室の講師も買って出ている。
マーマレード作りを通じて大きく変わった人たちが山あいにいる。
高野地フルーツ倶楽部。
メンバーは農家の女性たち。
農作業の空き時間にイチゴジャムなどを作ってきたがマーマレードは未経験だった。
なぜなら
(高野地フルーツ倶楽部 マーマレード担当 清水さん)
「マーマレードが嫌いだったんです。
 皮の苦みが嫌いで。
 給食に出ていたマーマレードが大嫌いだったので
 そういう苦味系は好きじゃなかったから
 作ろうかと言わなかった。」
しかし去年
八幡浜で大会があると知り一念発起。
マーマレード作りに挑戦する。
そして5月
こちらもいきなりの金賞。
マーマレードが苦手な女性たちの新たな可能性を引き出した。
その後メンバーたちの活動は一変。
これまでは自宅周辺で細々と作っていたが
金賞受賞によって注文が追い付かなくなり
市の施設を借りて製造にあたっている。
「品切れ状態。
 そうなんですよ。
 作っても作っても。」
作るのは金賞受賞のマーマレード。
地元で採れた河内晩柑(かわちばんかん)が素材である。
あらかじめ皮と果汁を分けておいたものを鍋で再び合わせる。
そして丁寧に煮込むと
果実を丸ごと煮るよりも透明感が出てより美しく仕上がるという。
ちょっとした火加減で味が変わる繊細なマーマレード。
糖度計で何度も味を確かめて完成させる。
メンバーたちは新たな挑戦も始めようとしている。
この日訪れたのは6年前に閉校した地元の小学校。
この地区は高齢化率が4割を超え過疎化も進んでいる。
この小学校をマーマレード作りに活用できないか。
メンバーたちは検討を進めている。
(高野地フルーツ倶楽部 坂本部長)
「このまま朽ちていく学校を見るより
 私たちが使って元気になれば一番うれしいことです。
 みんなで仲良く楽しく活動を続けて行ければいいなと思います。」





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ベルリンの壁崩壊30年 “東西格差に不満” ドイツに新たな分断も

2019-12-07 07:00:00 | 報道/ニュース

11月11日 NHKBS1「国際報道2019」


ベルリンの街では壁の崩壊から30年となるのを記念するイベントが各地で開かれ
華やかなムードに包まれた。
その一方
ドイツのシュタインマイヤー大統領は式典のあいさつの中で
「多くの犠牲者を出した非人道的な壁はもう存在しないが
 ドイツ社会には怒りや憎しみ
 疎外による新たな壁ができた」
と祝賀ムードにくぎを刺した。
その“新たな壁”とは
移民・難民の受け入れに反対する右派政党
AfD(ドイツのための選択肢)の台頭による社会の分断である。
AfDが特に支持を広げているのは旧東ドイツの地域である。
今年9月と10月に行われた3つの州議会選挙で
AfDは第2党に大きく躍進した。
移民などへ排他的な支持が旧東ドイツで広がっている要因は
旧東ドイツの人たちの間でくすぶる不満の受け皿となっているからである。
9月に政府が公表した報告書によると
旧東ドイツ地域で1人あたりの経済生産は旧西ドイツ地域の4分の3
賃金も西の85%にとどまっている。
さらに旧東ドイツ地域に住む2人に1人が
自らを“2級市民”と感じていると回答している。
そうした人たちの不満の矛先が流入する難民に向けられ
排他的なAfDへの支持が広がっている。
そのAfDの難民政策をめぐっては
ユダヤ人を排斥したナチスにイメージを重ねる人も少なくない。
今のドイツを隔てる壁とは・・・。

(右派政党AfD チューリンゲン州代表 ビョルン・ヘッケ氏)
「西のエリートたちは“偉大な西ドイツ”を押し付けてきた。」
右派政党AfDがかつて東ドイツだったチューリンゲンで開いた集会。
党が前面に掲げるのは“ドイツ人ファースト”。
“ドイツの国民よりも流入する難民が優遇されている”と訴え
現状に不満を感じる旧東ドイツ地域の人たちの支持を取り込み
10月の州議会選挙で第2党に躍進した。
(右派政党AfD チューリンゲン州代表 ビョルン・ヘッケ氏)
「既成政党はドイツの社会保障システムに多くの難民を入れ
 長年この国の成長を支えてきたドイツ人を貧困に追い込んでいる!
 新たなスタートのため“体制転換”を行う!
 この州でそしてドイツ全土で。」
AfDを支持する旧東ドイツ出身のシュミットさん(71)。
当時 精密機器のメーカーで働いていたシュミットさん。
旧東ドイツ時代
秘密警察におびえる暮らしを強いられてきた。
壁の崩壊で自由で豊かな生活ができると期待していたが
30年経った今も東西の経済格差埋まらないなか
流入する難民を手厚く支援する今のドイツ政府に不満を募らせている。
(AfD支持者 シュミットさん)
「30年が経ってもなお年金の給付で東西の格差がある。
 なのに
 新たにやって来た外国人が我々より優遇されるのは不平等で許すことが出来ない。」
厳しい難民政策をとるAfDの主張に共感し
シュミットさんは党員として仲間を増やそうと積極的に活動している。
(シュミットさん)
「“体制の転換”はまだ完了していない。
 国を良い方向に変えるためにAfDは存在している。」
その一方AfDの主張に反感を持つ人も少なくない。
(抗議する市民)
「ナショナリズムをやめろ!」
「ナチスは出ていけ!」
難民よりもドイツ人を優遇してほしいというだけで“ナチス”とののしられる今の状況に
シュミットさんは旧東ドイツ時代の窮屈さを感じている。
(シュミットさん)
「異なった意見を持つだけで
 すぐナチス扱いだ!
 私なナチスではないのに。」
一方 旧東ドイツ出身だからこそ難民に寛容であるべきだと考える人もいる。
音楽家のリントさん(51)。
リントさんは閉鎖的な社会に耐えかねてベルリンの壁崩壊直前に西側に亡命。
難民となった。
(リントさん)
「数百人の人たちが集まり難民の私を抱きしめ歓迎してくれました。」
自分たちを受け入れてくれた寛容な社会に共感を深めたリントさん。
人々を隔てる壁を音楽の力で取り払いたいと
アメリカとメキシコの国境の壁をテーマにした演奏会や
イスラエル兵に射殺されたパレスチナの少年を追悼するコンサートなどを企画してきた。
(リントさん)
「音楽があれば誰とでも意思疎通ができる。
 そこに境界はない。
 旧東ドイツを中心に右派勢力が力を強めていることを懸念している。
 とてもよくないことだ。」
10月リントさんは壁崩壊30年を記念した式典に出席し
AfDの台頭に警鐘を鳴らし
ドイツ社会は寛容であるべきだと訴えた。
(音楽家 リントさん)
「かつての私たち以上に過酷な状況にある難民などが
 紛争や絶望から逃れようといま欧州にやってくる。
 30年目のようにその人たちを歓迎するドイツであってほしい。」

旧東ドイツの地域では
今も経済格差は厳然と残っていると考える人が多く不満が蓄積している。
AfDの集会でも州の代表が
難民の支援に使う予算を減らせばドイツ人の年金支給額を2割上げることが出来る
と主張すると会場は大いに盛り上がった。
AfDはこの30年
“2級市民”と感じてきた地域の人たちに寄り添う姿勢を見せて
巧みに支持を取り付けている。
ただAfDの州の代表や党の幹部には旧西ドイツ出身者が多く
寄り添う姿勢は見せかけに過ぎないと批判的な見方も出ている。
旧東ドイツ地域再建のためにドイツでは“連帯税”が導入された。
アウトバーンや公共施設などのインフラ整備が進められ
一見すると西と東の差は見えなくなっている。
しかし壁の崩壊後
旧東ドイツの国営企業の多くは倒産に追い込まれ
東ドイツには失業者があふれた。
ドイツ社会を見ても
メルケル首相は旧東ドイツの出身だが
政治家や企業経営者の多くはいまも西ドイツ出身者で占められている。
こうしたことから“東ドイツは西ドイツに乗っ取られた”という意識が今も根底にあり
それが“2級市民”という感覚につながっているとみられる。
AfDはそれを利用して支持を拡大し
その結果ドイツでは新たな分断が生じている。
この分断を乗り越えドイツ社会を再び統合できるのかどうかは
ドイツの政治のみならず
ドイツの人々に突き付けられた大きな課題である。




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華美に咲くだけでなく、香り高く

2019-12-06 07:00:00 | 編集手帳

11月9日 読売新聞「編集手帳」


やったやったと喜んでいたとき、
ふと気づくと、
さっきまで取っ組み合っていた相手が次々に来ておめでとうと言われた。
俺は何をやってたんだと恥ずかしくなった…

4年前のラグビー・ワールドカップで、
南アフリカを破ったときの五郎丸歩さんの述懐である。
敵、
味方の立場をたちまち乗り越え、
たたえ合うノーサイドの精神を日本大会も美しく引き継ぎ全日程を終えた。

まだ余韻の残るなか、
一昨日のボクシングにそっくりの光景があった。
スーパーシリーズのバンタム級・井上尚弥、
ノニト・ドネア選手の決勝である。

シュッというパンチの音につれ、
血しぶきが飛ぶ。
12ラウンドに及ぶ殴り合いの末、
終了の
鉦かねが鳴ると世界が一変したように互いに笑顔になり、
抱き合った。
跳び上がって勝ち誇るでもない井上選手、
泣いて悔しがるでもないドネア選手の姿を眺めつつ、
人間ってこんなことができるんだと胸を震わせた方は多かろう。

シェークスピアの「夏の夜の夢」に次のセリフがある。
<バラは香水となって香りを残してこそ地上の幸せを受ける>。
華美に咲いただけではない。
香り高い一戦だった。

 

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ベルリンの壁崩壊30年 人口流出に悩むルーマニア

2019-12-05 07:00:00 | 報道/ニュース

11月8日 NHKBS1「国際報道2019」


1989年11月9日
アメリカなど西側陣営と旧ソビエトなど東側陣営による東西冷戦の象徴
「ベルリンの壁」に民衆が押し寄せた。
自由や統合を求める人々は
それまで立ちはだかってきた壁を破壊。
そのうねりは東ヨーロッパ各国で共産党政権の崩壊をもたらし
東西冷戦は終結した。
その後
東側諸国は経済成長を果たし
相次いでEUに加盟。
しかし今新たな問題に直面している。

ルーマニアではベルリンの壁の崩壊をきっかけに
独裁的なチャウシェスク政権の打倒を目指す激しい抗議運動が巻き起こった。
そして壁が崩壊した翌月
チャウシェスク大統領夫妻は処刑され
独裁に終止符が打たれた。
ヨーロッパではその4年後の1993年
EU(ヨーロッパ連合)が発足。
東側諸国も相次いで加盟し
経済成長を遂げたルーマニアも2007年に加わった。
ところが今そのルーマニアで人口の流出が深刻になっている。
30年前のチャウシェスク時代に比べて国の人口が15%余も減ったという統計もある。
ベルリンの壁の崩壊がルーマニアに何をもたらしたのか。

ルーマニアの首都ブカレストの中心にそびえる巨大な「国民の館」。
かつてチャウシェスク大統領が宮殿として使うために建てさせた。
今その隣に巨大な教会の建設が進められている。
国民の館に匹敵する存在感を放つ
高さ120mの教会。
政治への影響を強めるルーマニア正教会との関係を重視する政府が
国の一大事業として建設している。
しかし多くの国民は
教会の建設に巨額の税金を投入するより医療や教育に予算を回してほしい
と不満を募らせている。
(市民)
「全くの無駄金だわ。
 ルーマニアにとって意味がない。」
「国の進む方向は間違っている。
 まるで泥棒みたいだ。」
ルーマニアはベルリンの壁崩壊後も汚職が蔓延し
大規模な抗議デモが繰り返し起きている。
EU加盟後も西側諸国との経済格差は埋まらず
国民1人あたりのGDPはEU平均の約3分の1。
EUの最貧国の1つと言われている。
さらにEU域内での移動の自由は
皮肉にも賃金が高く社会制度などが充実している
西側諸国への人材の流出を後押しする形となっている。
30年前 約2,300万人だった人口は
現在1,900万人台にまで減っている。
運送会社で働くクリステアさん(31)。
給料が2倍近いオーストリアでの働き口を求めて面接を重ねている。
(クリステアさん)
「また警官への賄賂の話か。
 この国はこんなのばかりだ。」
ルーマニアには汚職やいわゆるコネ採用などが蔓延し
将来への希望が見いだせないという。
(クリステアさん)
「他の国に行くと人々は落ち着いて幸せそうだが
 ルーマニアはみんなピリピリしている。
 国外で普通の生活がしたい。」
ルーマニアを出ていく人の3分の2が30歳以下の若者だとみられている。
深刻な影響を受けているのが農村部である。
ブカレストから約400キロ北のボティザ村。
かつて盛んだった石炭産業や林業が衰退。
働き盛りの若者は西側諸国に出稼ぎに行くため村を離れた。
「若者は他の国に行っている。
 残っているもののほとんどは老人だ。」
ペトレウッシュさん(50)。
夫はイタリアに
子どもたちもイギリスやドイツなどで出稼ぎをしている。
娘に代わって孫の面倒を見るのが日課である。
国を支えるはずの若者が次々と国を離れてしまう現状に
ペトレウッシュさんは不安を募らせている。
(ペトレウッシュさん)
「ここでは仕事もなく
 若者たちが何もできない。
 EU加盟時は生活が良くなると思ったが
 今はそんな希望はないわ。
 チャウシェスクの時代の方がまだましだったわ。」
人口問題を調べているNGOは
こうした空洞化は国の停滞をもたらしていると指摘する。
(NGO代表 カリストルさん)
「ルーマニアの人口減少は大変深刻で
 特に労働力人口の3割が国外に出ている。
 経済成長や発展が妨げられてしまっている。」
特に深刻なのが専門知識や技術のある人材の流出である。
ブカレストの病院に勤める医師のキルクレスクさん。
かつて率いた手術チームの医師の半分がイギリスやドイツなどに去ってしまったという。
西側諸国では10倍以上の収入が得られるケースもあり
若い医師たちがルーマニアを離れる大きな要因になっている。
(医師 キルクレスクさん)
「ルーマニアの病院には医師が半分しかいない。
 誰が治療を行なえばいいのか。
 EUはルーマニアが育てた医師を奪い取っていく。」

ルーマニアでは人々が望んだ自由を手にした結果
国民が流出し
国歌が危機に立たされている現状がある。
EUもこうした域内の格差を是正するため
東側諸国を中心に分担金を重点的に配分し経済の支援にあたっている。
またルーマニア政府も危機感を強めている。
11月に発足した暫定政権は
まず汚職対策を重視する姿勢を強調し
社会を変えようと乗り出している。
医療現場についても
政府は一昨年 医師の給与の大幅値上げに踏み切った。
ただルーマニアでは今も1日に6人の医師が国外に去ろうとしているという推計もあって
人材の流出は依然として大きな課題となっている。
ウィーンの研究所による
ヨーロッパの人口動態の変化を表した地図を見ると
ルーマニアだけでなく東側諸国の多くの国が人口減少に直面し
東西の格差が一目瞭然となっている。
ベルリンの壁が亡くなって30年がたっても
東西ヨーロッパの間にはこの見えない壁が残っていると言える。
東側諸国にある西側に対して抱いている不信感や劣等感ともいえる感情。
西側は“自分たちこそヨーロッパの主流だ”と思っていて
東側のことは“新参者”あるいは“植民地”とみなしているという声が聞かれる。
こうした反動からいまルーマニアの隣国ハンガリーでは
EU批判を前面に掲げる政権が議会の3分の2を占め圧倒的な権力を誇るなど
反EUへの支持が広がっている。
30年前に自由と繁栄を夢見て実現したベルリンの壁の崩壊。
しかしヨーロッパの在り方への不信感は根強く
理想の統合の実現は道半ばとなっている。


 

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インドネシア 首都移転計画

2019-12-04 07:00:00 | 報道/ニュース

11月7日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


今年4月に再選され10月に就任式を終えたインドネシアのジョコ大統領。
憲法で任期は“2期10年まで”と定められていることから
大統領にとって最後の5年間となる。
2期目の重要政策に掲げているのが
現在ジャワ島のジャカルタにある首都を
1000キロ離れた中部のカリマンタン島東部に移転する計画である。
今後 議会の承認を得たうえで
来年末から建設工事をはじめ
任期の最後の年2024年に一部の政府施設を移転させるとしている。

(インドネシア ジョコ大統領)
「私は議会に首都をカリマンタン島に移すことを認めるように求めます。」
今年8月
インドネシアのジョコ大統領は
首都をジャカルタからカリマンタン島東部に移転させると発表した。
政府機能のほか
経済の中心としての役割を担っているジャカルタ。
周辺の首都圏を含めると3,000万人が暮らし
人口の過密化は大きな課題である。
さらに世界で最もひどいと言われる渋滞が毎日発生。
大気汚染は年々深刻な問題になっている。
こうした課題を解決するため
ジャカルタに政治経済の機能が集中する状態を解消し
均一に発展させようというのが首都移転の狙いである。
移転先となるカリマンタン東部。
新しい首都は国が所有する森林地帯を切り開いて建設される見通しである。
選ばれた大きな理由は
地震などの自然災害が少なく
周辺に東カリマンタン州の州都サマリンダや港湾都市バリクパパンがあり
空港や港湾施設への交通の便が良いことである。
さらに高速道路の建設も進められている。
地元住民は首都の移転を歓迎している。
(地元住民)
「大賛成です。
 これで発展するでしょう。」
(地元商店)
「多くの人が来れば売り上げが増えます。」
(東カリマンタン州 イスラン・ヌル知事)
「我々は国のために土地を用意しなければいけませんが
 国の利益のために働けるのは光栄なことです。」
また土地の価格上昇を見越して土地を買い占めようという企業も出ている。
(村長)
「この場所の元所有者は1ヘクタール1,000万円余で土地を売りました。
 ほかにも数人の住民が首都移転の計画にともなって
 かなり高い価格で土地を売却したと聞いています。」
一方で予定地は実現に向けた課題も見えてきた。
新しい首都の移転先になるとみられているのは
周りに森林が広がるのどかな地域である。
この付近は野生動物の住みかとして知られている。
ジョコ大統領は環境に配慮した首都づくりをするとしているが
具体的な道筋は示しておらず
環境団体から懸念の声が上がっている。
またジョコ大統領は
自身の人気が終わる2024年には一部の省庁の移転を始めたいとしているが
道路・建物・移転する政府職員の住宅をあと5年で建設できるのか
疑問視する声も上がっている。
都市計画の専門家は
国民への説明もなくジョコ大統領は突如 首都の移転を決めたことに対し
拙速すぎると批判している。
(都市計画の専門家 スリハルタ―ディ―氏)
「移転するためには
 全ての利害関係者を巻き込んだ議論が必要です。」

 

 

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