今日、平成28年度の修了式を行いました。
3年生がいなくなり、広々とした体育館に1・2年生が集まりました。
この1年間で、体も心も成長しました。
入学した頃は、小学生のようだった1年生は.ずいぶんと大人っぽくなりました。
2年生は、3年生に向かう自覚を高めつつあると感じられました。
修了式での私の講話を紹介します。
3学期修了式校長講話<H29(2017)3.24>
「どんな経験も、次へ進むための階段になる」
今年度の修了式にあたり、みなさんに聴いてほしい手紙があります。この手紙は、岡山県岡山市の高校1年の女子生徒が書いたものです。その女子生徒は藏岡花奈(くらおかはな)さんといいます。読みます。
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「もっとこうしていればよかった」と、いつも後ろ向きだった私。そんな私を前向きにしてくれたのが、母でした。私の母は、いわゆるプラス思考で、物事をいい方向でとらえることが上手です。
「どんな失敗も、次へ進むための階段になる」。そう思えるようになったのは、まぎれもなく母のおかげです。
私は中学3年生の1年間、ほぼ学校へ行っていません。それまで大好きだった学校が、突然苦手になりました。そのときの私は、ふさぎ込んで、部屋からなかなか出ないときもありました。
そんな私を救ってくれたのも母でした。
「いまは辛いけど、この先、絶対にこの経験が役立つときが来るよ。この期間はけっしてムダじゃないよ」
役に立つというのは、「自分以外にも同じように学校のことで悩んだり、苦しんでいる人に、経験したことがある自分だからこそ言える、助けられることがあるかもしれない」ということです。
私はこの言葉を聞いて、もう、学校に行っていないことを後悔するのは、やめようと思いました。
辛くて苦しいのは、母も同じだったはずなのに、私のことを考えて言葉をかけてくれたのです。
受験の時もそうでした、出席日数が少なく、進学できる高校があまりなくなってしまったときも、一生懸命にサポートしてくれました。そのおかげで、私は高校生になれました。
弱くて後ろ向きだった私を、前向きに変えてくれた母。私はこのことがあったおかげで後悔をしなくなりました。
「どんな失敗も、次へ進むための階段になる」。そう思えるように私が変われたのも母のおかげです。
まだ照れくさくて言えていないけれど、お母さん、いつもありがとう。
(「PHP」2017年4月号(PHP研究所発行)の「ありがとうを伝えたい人4」より、全文を抜粋)
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この1年間、みなさんの中にも、学校に来にくかった人がいるでしょう。友だちとうまくいかなくて悩んだ人もいるでしょう。部活で思い通り活動できなかった人もいるでしょう。
しかし、藏岡花奈さんの経験をとおして、それらを見るならば、どんな失敗も、次へ進むための階段になるのです。もっとも、このように考えると、「どんな失敗も」という「失敗」は、けっして失敗ではないのです。
なぜならばその経験は、同じように悩んだり、苦しんでいる人に、経験したことがある自分だからこそ言える、助けられることがあるからです。
事実、私が前に教頭・校長をしていた箕面六中に、2年の夏頃から悩んで拒食症になっていった女子生徒がいました。その子は2学期以降痩せていきました。
私は卒業式の花道で、その子の手を握って「しっかりやっていきや」とメッセージを送りました。
それから何年かして、その子は高校を卒業して大学へ行ったと聞きました。大学で栄養士になるための勉強をすると聞きました。
「ものが食べられなくて、苦しんだ私だから、私は食のことで悩む人を助けることができると思うんです」と言っていました。
三中生のみなさんも、この1年間、辛い、苦しい経験をした人がいるでしょう。今も悩んでいる人もいるでしょう。学校は楽しいことばかりではない、という人もいるでしょう。
しかし、藏岡さんや拒食症の生徒のエピソードから、私は確信をもって、みなさんに伝えます。
どんな経験も、2年生、3年生になるための階段になるのです。再度言います。どんな経験も、2年生、3年生になるための階段になるのです。(以上)