
「勝ち組」「負け組」という言葉が流行りだしたのは、2000年を過ぎてからだったようです。
ZARDの『かけがえのないもの』という曲に、この言葉が出てきたので覚えています。
バブルがはじけたあと、日本社会は低成長期に入り、終身雇用制が崩れ、正規雇用が非正規雇用にとってかわり、「競争社会」が到来しました。
競争社会で勝ち残った者が「勝ち組」、敗れた人は「負け組」と言われます。
しかし、競争に勝った者が勝ち誇り、敗れた者が絶望的になる。
このような社会が好ましいものだとは、私はけっして思いません。
強い人がいるかと思えば、弱い人がいます。陽気な性格の人がいる一方で、沈みがちな性格の人もいる。そこに人間としての価値に差はありません。
このことは、中学生にもしっかりと学んでほしいと思います。
私は校長をしていますが、基本的に自分は弱者であると思っています。
さほど勉強ができたわけではない、運動能力が優れているわけでもない。不器用で、子どもの頃からコンプレックスのかたまりでした。
高校のときは、授業であてられるのだはないかと思うだけで、心臓がバクバクしました。あてられて発表するときは、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかるほどでした。
学校の先生からも、よく思われていなかったようです。
ただし、弱者としての私が、教職についたのは、結果としてはよかったと思います。
思いどおりに自分を表現できない中学生の心境が伝わってきます。
生きることに「勝ち」も「負け」もありません。つくづくそう思います。
ただ生きているだけが困難な世の中だから、ただ生き抜くことだけがどれほど尊いことか。
外からの評価など不確かなもの。三中の子にも、生きていることこそが尊いことを伝えたいのです。