
夫婦は、もともと生まれも育ちもちがう人間がいっしょにいるのですから、どれほど長くいっしょにいても、相手のことをよくわかっていないことがあるのが当然でないでしょうか。
でも、一般的に夫婦ならお互いのことをわかりあっているはずだ、わかっているのが当然だ、となってしまいます。
私など、いまだに妻のことをわからないことがあり、戸惑うことがあります。
わかっていて当たり前が前提になると、欲がでてきて、「どうしてわかってくれないの」と相手に迫ります。
夫婦でもこうですから、考えてみれば、教育における教師と生徒も同じではないでしょうか。
教師と生徒は、もともと他人です。
教師が生徒に「こちらはこれほどしてやったのになんだ」「なんでわかってくれないの」、そんな思いが湧いてくることがあります。
だから、教師は、「自分がしたいと思ってやったこと。相手に必要と思ってやったこと。相手が受け取ってくれても、くれなくても仕方がないこと」
これぐらいに考えていたほうが、教師にとっても、生徒にとっても気が楽であると私は思ってきました。
(とは言いながらも、私のことを生涯の恩人と言ってくれる教え子もいます。)
「君子の交わりは淡きこと水のごとし」と言ったのは、荘子でした。
水のような人間関係でないと、長く続きません。
人との交流は川のように流れていくほうがいいのかもしれません。
そして遠くからお互いのことを想い、見守っているというような付き合いがいいのかもしれないと思うのです。
教え子との同窓会に行くと、卒業生としょっちゅう会うわけではない。でも、教え子のことは遠くから見守っている自分に気がつきます。