小学生のとき、ちょうど今の季節には、学外に出て図工の時間に「写生会」という学校行事がありました。
晩秋や初冬の山々は、「山粧う」(やまよそおう)と形容されるほど、色彩が豊かです。
濃い緑色が残る下地に広葉樹が、黄色や茶色、赤色などに染まり、見事な風景が広がります。
わたしは、その色彩豊かな山を写生しようとしました。
しかし、緑、赤、黄、茶色の木々を筆に絵の具をつけ、遠くから忠実にうつしとろうとするのですが、なにぶんにも絵の才能が足りず、色どうしが混ざりあい、山全体が茶色っぽくなってしまいました。
でも、子どものなかには絵の上手い子がいて、写実ともいえる、微妙な色使いを区別でき、見事な絵を描く友だちもいました。
さて、いま中学校の美術の授業にも、「主体的で対話的で、深い学びのある授業」が実践されています。
その点で、授業者は生徒たちに意味のある声かけをして、本日の授業のねらいを明確にする必要があります。
「今日は、秋の色をたくさん見つけてみよう」
「今日は、絵の明暗をはっきりさせて描いてみよう。そのために光と影に気をつけてみなさい」
少なくともわたしが写生をするときには、先生からそんな声かけやねらいの提示はなく、ただ外に出されて「写生をしなさい」だけでした。
思えば、荒っぽい授業がふつうでした。
そして今の時代では、絵が完成したらただ貼りだすだけではありません。
「鑑賞」の学習領域では、グループで相互鑑賞活動を対話により行います。
色づけで工夫したこと、チャレンジしたテクニック、風景の絵を描くことに関心がもてたかなどを、自分の絵をクラスメートに見せながら一人ひとりの生徒が紹介します。
それを聞いたクラスメートは、その作品の感想を話し、評価してくれます。
「ここの色づかいが素敵だと思う」
「山の緑色と紅葉の赤色が対照的で、赤色がすごくひきたっていると思いました」
「影をうまく使っています。Aさんの個性が伝わってきました」
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このようにすると、生徒の主体性が高まり、対話による、深い学びのある授業が展開できるのです。
親御さんは、自分が今までに受けてきた授業をもとに、わか子が受けている授業が「こんなだろう」と思い浮かべます。
しかし、今の授業は大きく変わってきています。
今や、学校の授業とは奥の深いものです。
誰にでもできるものではありません。
授業のプロである教師だからできるのです。
わたしはこれを教師の「専門職性」と考えています。
教師になったのなら、授業をおろそかにせず、「授業研究」「教材研究」をやり、すぐれた授業を実践するべきです。
そうでないと、AIが授業をしてくれるから、もう専門職性を発揮できない先生はいりませんということにもなりかねません。
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