学校現場では、1990年代にパソコンこそ導入はされ文書作成をしたり、生徒の成績算出に使っていました。
でも台数は少なく、多くの教師は私物のパソコンを持ち込み仕事に使っていました。
その頃は人と情報がつながり、人と人の間が対話でつながることに大きな期待を寄せたのを思い出します。
それから20年以上が経ち、いまやネットからは必要な情報を手に入れるのがいともたやすくなららました。
しかし、その一方で人を誹謗中傷する書き込みであふれています。
人と人がつながるツールというメリットはありますが、人と人を分断する側面が深刻化しています。
なかには、悪質な誹謗中傷を受けた人が傷つき、みずから命をたつ事案も起きています。
いかにしたら、誹謗中傷が減るのでしょうか。
現在のところ、悪意のあるまたは悪質な人を傷つける書き込みや投稿を抑制するとともに被害者救済のための法の改正が行われています。
一つは、プロバイダー責任制限法です。
これにより、発信者が誰であるかを情報開示する手続きが簡単になりました。
傷ついた人が匿名の加害者に賠償を求めるときには、その人の身元を特定しなければなりません。
従来はコンテンツのプロバイダーとネット接続のプロバイダーの両方に情報開示を求めなければならなかったのですが、1回の手続きでできるようになりました。
もう一つは刑法関係で、今までも侮辱罪はありましたが、罰則は軽いものでした。
それが厳罰化され、1年以内の懲役か禁錮と30万以下の罰金が加わったのです、
このような情勢の変化を受け、たとえばYahooはヤフコメに投稿する際の携帯電話番号の設定を義務化しました。
それにより、まったく匿名での投稿はできなくなりました。
ところで、人はなぜ他者、それも見ず知らずの人を中傷する書き込みをするのでしょうか。それはどういう心理で行われるのでしょうか。
このあたりの点は、学校教育でも児童生徒に考えさせ、悪質な書き込みや誹謗中傷を防止する学習をしなければなりません。
だれかについての情報や意見、感想、コメントなどにふれたとき、人は「これを置いておいては(放置していては)いけない」と思いこみます。
そして独善的な「正義感」がはたらき、「これは許していてはいけない」という心理になり、ブレーキがきかず、匿名を武器に誹謗中傷するのではないかと思います。
このあたりの事情や心理を疑似体験して、「それでもわたしは他者を傷つけない」という学びにつながる学習や啓発が必要になります。
なお、誹謗中傷、悪質な書き込み防止の議論を進めていくと、必ずと言っていいほど「表現の自由」を規制してはならないという言説があらわれます。
しかし、知る限りでは、公権力が個人の発言を封じたり、制限する問題点を視野に表現の自由を保障しているのです。
個人が別の個人を誹謗中傷し、死に至らしめるような表現の自由が許されるはずがないと、わたしは考えます。
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