この問題は、中学校数学の中でも、難問の部類に入ります。
問題と向き合って解こうとしますが、多くの中学生が難しく感じ、「わからない」と言います。
この「わからなさ」が、今回のテーマです。
大阪大学もと学長の鷲田清一さん(哲学者)は、次のように述べられています。
人がなにか一つのことを理解して、腑に落ちるまでには、それ相当の時間がかかります。
「わからなさ」を抱えながら過ごすのはスッキリしないし、もどかしい。
だからといって、すぐに答えを教えてもらうと、深い学びは得られない。
そもそも「わからないことを」をわかろうとするのには時間がかかるものなのです。
この説明は中学生の学習に当てはまると、私は思います。
中学生にもなると、教科の学習はかなりの思考力が要求されることになります。
そのうえ、即時性を重んじるといういまの世の中の流れがあります。
料理を注文したらはやく提供されること、サクサクとネット検索ができること、新幹線の東京-大阪間の所要時間短縮などに価値を見つけようとします。
学習においても、理解が早いことが評価されがちです。
しかし、「わからなさ」を抱えて、ああでもない、こうでもないと考え、やっと解き方を理解できた。
学習の本質はここにあるのだと思います。
学習だけではありません。
人は生きるなかで、さまざまな「わからなさ」に直面して、モヤモヤ感をもちながら、思案して考えます。試行錯誤をします。
その過程を通して、やっと納得できる答え(納得解)にたどり着くのです。
スポーツでも同じです。
選手はコーチや顧問にわかりやすい答えを求める傾向があります。
指導者の指導を求め、自分で考えない生徒がいます。
戦術を教わるのはいいですが、動きのコツは自らつかむしかない。
スポーツでの体の動きは、「今日は思い通りに体が動いた」ということもあれば、「昨日できたと思うのに、今日は体が重い」など選手は感じています。
たとえばフィギュアスケートの選手は、日々、自分の体の「わからなさ」とつきあっています。
楽器の演奏でも同様です。高らかに突き抜けるように吹けるときと、なぜかよどむような吹き方になるときがある。
人は試行錯誤しながら、主体的に取り組むことで初めて動きやパフォーマンスが身につき、感覚が研ぎ澄まされ、洗練されてくるのです。
中学生は、この経験を積むことがとても大切だと私は考えます。
大人でも、仕事や私生活で「わからなさ」に向き合い、モヤモヤ感をもちながら、納得いくまで考えることは大切です。
「わからなさ」があるから、人は課題に向き合い、工夫したり、試行錯誤したりして、どう対処するかをきめたり、パフォーマンスを高め、自分の感覚を身につけていくのです。
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