去年から今年で緊急事態宣言は、大阪の場合3回出ています。
①1回目 2020年4月7日~5月21日
②2回目 2020年1月13日~2月28日
③3回目 2021年4月25日~6月20日
とくに今年2021年では、出ていない月は3月だけです。
緊急事態宣言がある意味、日常であるとも言えます。
「人流」という新しい言葉が生まれ、「密にならない」と呼びかけても、もう聞く人は、「はい、はーい」と聞き流すことにもなりかねません。
このとき、呼びかけの言葉に無力感がただよいます。
政治を動かす人は、「これは言わなければ」「これを伝えておかなければ」という思いで、言葉を発します。
その発した言葉により、課題は解消され、なんとかなるものと思っています。
しかし、聞く方はうんざりしているわけですから、言葉はむなしく響くことが多いのです。
この人の話は聞きたいと思う人がどれだけいるでしょうか。
さて、学校の教員からみれば、言葉はコミュニケーションの大切なツールです。児童生徒に新出の知識を伝えることができます。
でも、言葉には、本来、もっと重要な役目があります。
教師が子どもと言葉を交わします。それで人と人はそれで心を通わすことができるのです。
ということは、子どもも教師も他者とのつながっているという関係を確かめることができるのです。
それが言葉の価値です。
言葉で何を伝えるかというよりも、朝に登校してきた児童生徒に教師が「おはよう」と声をかけます。
ここには、新しい知識は含まれませんが、いつも声をかけてくれると、子どもの中に親しみがわいてくるのです。
言葉は、そのような役割をもつのです。
いまは、「不要不急の外出はやめ、会話はひかえめにしてください」と言われます。
でも、学校で教師と子どもが交わす会話が無駄なのかといえば、けっしてそうではないのです。
学校の中で、その子にとっては、その時間がいちばん大切な場合があります。
つながっているという実感を感じ、つながりを保っていくという意味で、たわいのない会話は、その子の学校生活を豊かにします。
人は必要なことだけしか話さなくなると、学校生活で失っていくものは限りなく大きいのです。
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