新型コロナウイルスの感染防止のため、4月・5月の休校だけでも、およそ35日休みになり、学校は約200単位時間の授業を失いました。
そのため、夏休みを短縮して、今週月曜日(8月24日)から、2学期を始めた学校があります。
それよりも1週間早く、8月17日から始まった学校もあります。
ただし、それは小中高の学校の場合であり、大学は後期も早々とオンライン講義を決めているところがあります。
大学当局からすれば、在籍学生数が小中高とは比べものにならないほど多いので、もしクラスターが出ればと思うと、なかなか通常講義を再開するとはならないのでしょう。
実際、最近でも関西の大学で、部活動のクラスターが発生したという状況では、学生をキャンパスに入れることに、二の足を踏み、リモート講義の継続を決めるのもやむをえないのかもしれません。
しかし、大学教育の生命線ともいえるゼミや研究活動までも、リモートでやるというのなら、なんのための大学なのかと、私は思います。
新型コロナウイルス感染による大学生年齢の人の致死率は、ゼロに近いと聞き及びます。
それでもキャンパスを閉ざすのがいいことなのでしょうか。
それに対しては、「学生自身は大丈夫かもしれないが、周りの大人に感染させるかもしれない」という声が聞こえてきそうです。
そうです。その通りです。
ただ、とくに1回生の人は4月から大学生になったのに、まだキャンパスに入れていない人があまりにも多いのです。
教員は、学生との信頼関係のないところで講義を行い、単位を認定する。
学生の側からすれば、1日のほとんどを「知らない先生」を相手に、ひたすらパソコンから流れ出る情報に、淡々と接する。
それが大学生活だとすれば、あまりにも無味乾燥しすぎていると思うのは、私だけでしょうか。
自分が教師だから思うのかもしれませんが、大学とは師を慕い、友人をつくり、学食で食事をして、サークル活動を楽しみ、恋もするというかけがえのない場です。
このようにして、大学での学びが成立するはずなのです。
それを楽しみに大学生になったのに、学生にとっては、あまりにも理不尽です。
大学当局は、ひたすら「自粛」にベクトルが働くのが仕方ないとするのなら、政府が明確な方針をしめすべきです。
なんでも「大学の自主性と決定にお任せします」のではなく、大学生にとって貴重なキャンパスライフをどう保障するかを方向づけるべきではないでしょうか。
講義も、試験も、ゼミも、リモートは、時間と体力の節約になって都合が良いかと(京大のようにキャンパスが広く、かつ、建物の林立する大学ならば、猶更……)。
今や、横との交流は、SNSの時代ですし。
(原稿執筆込みで日々、多忙な教官たちにとっても、移動を要しないリモートは、利点の多い仕組みかと。)