昨年、ラグビーの日本代表チームは「ONE TEAM」を合言葉に大活躍しました。
ただ、日本代表チームの掲げたONE TEAMは、昔の日本の伝統的な「一体感」があるとか運命共同体的なチームとは違う意味で使われていたようです。
選手一人ひとりの個性やもちあじが光り、皆が主体性をもって集団に所属し、目標の実現に向け、モチベーションを保ちながら関与するようなチームのあり方を「ONE TEAM」と呼んでいたようです。
日本に昔からある「チームワークが好きな文化」から生まれた合言葉ではなかったのです。
つまり、自分のことよりも組織を大事にして、チームに貢献することを自らが望み、また周りからも期待されるようなあり方とは、少しちがっていた点に留意したいのです。
いかにも、いま流のチームづくりだと思います。
翻って、学校でも、いまはスクールカウンセラー、部活動コーチ、ICT支援員、スクールサポーター、SSWなどが導入されています。
教員といっしょに仕事をする人が増えているのです。
教員は一人で考えるのでなく、多様な人々と連携し、協働して児童生徒にかかわる問題の解決にあたるようになってきました。
「チーム学校」は、一般に、古きよき運命共同体的な、組織のために自己犠牲を求めるようなチームづくりを目指すのではないと言えるでしょう。
多様な専門性をもつ人びとが、自律してその専門性を発揮して教育活動に従事します。
その結果、子どもの学びや育ちを幅広く担保するチームづくりがめざされています。
しかし、人が学校に配置されればチームができるというわけではありません。
チームの成果は、メンバーが日々動き、かかわりあいながらつくりだしていくものです。
この点をまちがえると、さまざまな問題が起きてきます。
たとえば、教員がかえって多忙になることもあります。
多様な専門家と連携して、児童生徒のために役立つサポートをしようと考えた結果、スタッフの数が増え、連絡・調整が複雑になることはよくあることです。
情報がいきわたらないため、それぞれがよかれと思った判断でバラバラに子どもにかかわったら、子どもはわけがわからなくなります。
子どもにすれば、「わたしは誰を頼ったらいいの?」となります。
親御さんも当惑します。
だから、チームでキーになる人を決めておかないといけません。
時と場合によるでしょうが、その人はやはり学級担任であるべきというのが、私の意見です。
それほど、学級担任の存在と役割は、児童生徒にとって大切で重いのです。
大切で重くあってほしいのです。
学級担任と児童生徒が良好な信頼関係を深まることが、まず基本であり、その上でのチームだと、私は考えます。
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