箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

(続)人とちがうことに不安感が増す時代

2021年10月15日 07時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ
前回のブログでは、他者との人間関係の中では「同調圧力」がはたらき、楽しさや親しみやすさがかえって重荷になるのが現代社会の特徴であると述べました。

そうだとすれば、以前の日本社会はどのような人間関係の特徴があったのでしょうか。同調圧力は感じなかったのでしょうか。

わたしの地域では子どもの頃は、自治会の下部組織としての「となり組」が健在でした。(たいへん緩くはなりましたが、今もあります)

となり組では、「みんながいっしょ」がキーワードでした。その家で葬式を出すとなると、昔は自宅で告別式をすることも多かったのですが、受付にはとなり組のメンバーが立ってくれます。

料理の仕出しはとらず、葬儀を出す当家以外のとなり組の人が台所に入り、天ぷらを揚げたりして、料理をつくります。

田植えや稲刈りは共同で地域の人が助けにきてくれましたし、近所へは助けに行きました。

このようにして地域では、住民同士の相互扶助が根付いていました。

新たにそのコミュニティにはいった人は、長老から「相手が誰か知らなくても、『おはようございます』とあいさつをしなさい」といわれました。

いわゆる「村八分」にならないように、周りに合わせて生きる必要があり、「そういうもの」とみんなが考えていました。

このようなことは、わたしの地域が特別だったのではなく、日本の田舎の方では、多かれ少なかれ昭和の途中まではどこもこのような「村落共同体」が存在していたのでした。

しかし、平成、令和と時代がかわると、わたしの考えではおそらく1990年代だと思いますが、個人の自己実現・自立という価値観が、人の生き方としてとってかわりました。

本来ならば、人はそれぞれ個性を追求でき、自由な存在であるはずなのです。

しかしながら、意識する/意識しないは別として、まだむら的な同質性が人びとの精神の基盤として残っているのです。

ここから「みんないっしょ」という同調圧力は生まれているのでないかと、わたしは考えます。

そこで「大きな役割」を果たしてきたのが、学校という「しかけ」です。

学校の先生は個性の時代、個性尊重といいながら、「みんなと同じようにしなさい」と言います。「なんで友だちなのに仲良くできないの」と言ってきました。

このころの小学校低学年からすり込まれた価値観や文化は、いまその残像を引きずり、人びとを「自粛警察」という行動にかき立てるのではないでしょうか。

そこで、そろそろ「いつもいっしょに」「みんな仲良く」というプレッシャーから解き放たれるのが今という時代ではないでしょうか。

ある程度の熟年を迎えれば、「友だちや連れがいないならいないでも大丈夫。わたしはひとりでもやっていくから」という気持ちになればいいと思います。

ただし、わたしが中学生には何度も話してきたことですが、「孤独にはなっても、孤立はするな」は必要です。

人とのつながりは大切だし、必要です。
ただし、一人でいても、さみしさを感じないのは孤独です。
さみしさを感じるのは孤立だと思います。

孤独な自分に納得していれば、同調圧力の呪縛から解き放たれるのではないでしょうか。

熟年の証とはゆるやかな人間関係を維持できることではないかと、最近思います。


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