わたしは大阪府北部の山間部の田園地域で生まれ、小学校と中学校は小規模校へ通いました。
小学校1年生は10人の1クラスで始まりました。
途中でニュータウンの宅地造成が始まり、年を追うごとに徐々に子どもの数は増えてきましたが、中学卒業までずっと学年1クラスでした。
小学校1年からの幼なじみの友だちは中学卒業までいっしょに9年間を過ごしました。
その後、学年10クラス450名の生徒数の都会の府立高校に進学しました。
その時のカルチャーショックは、言葉に表せないほど大きなもので、わたしはなかなかなクラスや学校になじむことができませんでした。
いまでこそ「田舎暮らしがしたい」という人もいますし、「ぽつんと一軒家」に価値を見いだす人もいます。
しかし、わたしの高校時代は、日本が高度経済成長期をきわめたころで、生徒間では「田舎に住んでいる」というだけで揶揄したり、「田舎者」とさげすむムードがありました。世の中全体の価値観がそうでした。
1クラス25人ほど、お互いが知り合いであるという小さなクラス集団しか知らないわたしは、それはそれはとまどうことばかりでした。
くわえて、思春期の悩みの中で、自己肯定感を下げ、常に人の目を気にする毎日が続きました。授業中に指名されただけで、真っ赤に赤面していました。劣等感のかたまりでした。
先生も同様で、「毎日、山の中の遠いところから通ってきて、たいへんだな」と同情する声色にも、わたしは敏感に「田舎者扱い」を感じ取りました。
気を許せる友だちはクラスに一人もいない1年生でした。わたしはずっと違和感を抱えながら通っていました。
でも、通わないという選択肢はなく、「自分で入試を通ってきた高校。ここしかない」と思いこみ、自分の力を発揮することもなく悶々としていました。
その後、2年生のクラスでは都会の子4人とわたしで5人の友だちができ、いつもいっしょに行動するようになりました。
そのうちの一人の中学時代の友だち(他の高校生)とも知り合いグループの人数は増え、その友だちグループとは今でも時々会っています。
でも、そんなわたしのなかには、高校1年生のときの友だち・学校になじめなかった思い出は今でもしっかりと残っています。
今にして思えば、学校とはほんとうに狭くて限られたコミュニティであり、学校が人生のすべてではないのです。少し外に目を向ければ別の世界が広がっているかもしれません。
だから、教師として思うのは「いまいるところがすべてではない」という考え方や感覚です。
自分を責める必要もないし、入った学校がたまたま自分にはあわなかっただけなので、「なんでなじめないのだろう」と考えなくてもいいのです。
おとなでも、自分がホッとできる居場所をもっている人はさほど多くないのかもしれません。
あせらず、「生きているうちに、一つでも居場所が見つかるといいなあ」くらいの心構えでいいのだと思います。
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