箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

なんで生きるのかを学ぶ学校

2022年03月16日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ

学校でのいじめが深刻化し、自治体によっては学校に弁護士を招聘して、法的な観点からいじめ防止学習の法教育を行うことも増えています。

そのように学校教育に法の規範を導入する動きは、一定の効果があると思われます。

ひと言で言えば、「社会で許されない犯罪行為は、学校でも許されない」という規範意識を高めるのが目的です。

しかし、ここ数年間で起きている若年者や青少年が引き起こした事件を目の当たりにすると、学校への法規範の導入だけでは、いじめなどを防止するのは限界があるのでないかと思います。

たとえば、大阪市の北新地にあるクリニックでの「他の人びとを殺して、自分も死のう」という犯人像がピックアップされました。

大学のセンター試験では、成績が上がらないので、ほかの受験生を傷つけて自分も死のうと思ったという意味の供述をしています。

さらに、首都圏の電車内では、乗客を刃物で切りつけました。ハロウィンの日にジョーカーの格好をして人を殺せば目立つことができると思ったと言っているとか。

このような事件が多発するいま、法規範だけを教えても限界があり、効果が薄いのではないかと思います。

そういえば、最近「無理ゲー社会」という新書が話題になりました。

「無理ゲー」とは、攻略不可能なゲームのことで、今の若い人は「無理ゲー」をさせられる社会で生きていかなければならないというのです。

自分たちは高齢者を支えていかなければならないし、年金給与の額は削られるという「初期設定」を受けます。

非正規労働は男で約2割、女性で約5割います。正規か非正規かで人生の設計に影響が出ます。それで100年も生きていかなければならないのです。

また学齢期の人にとっては、進学や就職でしくじれば、「貧困層」に落ち込みます。

そうなると、「ふつうの暮らし』ができなくなります。

こんな無理ゲーを「自分らしく」、一人で攻略していくのです。

でも、それでいいのでしょうか。

これでは何のために生きるのでしょうか。高い所得を得ることを第一の目標にするべきものでしょうか。

もしそうすれば、その路線からドロップアウトしたときには、「自己責任」とかえされるだけです。

そうではなく生きる意味を問う感性を育み、鍛える学校の本来の役割がますます大きくなっているのです。


コメントを投稿