不登校の課題は、一部の児童生徒だけの課題ではなく、どの生徒も不登校になりうるという捉え方を学校教育に関わる教員なら認識しておくべきです。
そして、不登校の生徒にかかわる大人(教員・保護者)の根本的なかかわり方を、今一度確かめておきたいと思います。
学校に登校しない(登校できない)という問題に出くわしたとき、大人は当然のことながら、焦りとともに、登校してほしいと願います。
そこで、陥りやすいのが「(不登校を)なおそう」とすることです。
ところが、「なおそう」と子どもにかかわると、子どもは心を閉ざします。
しかし、「わかろう」としてかかわると、不思議と心を開き始めます。
つまり、かかわり始めは、「なおそう」ではなく「わかろう」なのです。
つぎに、大人が「わかる」とか「わかった」となると、それ以上心を開いてくれることはありません。
したがって、つねに「わかろう」としてくれる人がそばにいるだけで、子どもの気持ちは楽になるのです。
教師も親も、私たちは、つい「なおそう」としますが、まずは「味方になりたい」というメッセージを送り、その思いを受けとめてもらうことが、不登校の子どもへのかかわり方の第一歩だと思います。
ついで、教師に戒めとして心得てほしいのは、「子どもの気持ちがわかったと思ったら、そこでおしまいである」ということです。
それほど思春期の子どもの気持ちは複雑で揺れやすいのです。
「わかる」のではなく、つねに「わかろうとする」ことが、不登校の子ども理解の原点です。
不登校の子どもの課題は、すべての生徒の課題を凝縮しているのだから、教師はどの子をも「わかろうとする」。
これが子ども理解の鉄則と言ってもいいでしょう。
(関連ブログ 5月14日 「休校期間は力を蓄える」)
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