きょうは「調理室内の噴霧消毒日」だったので、消毒液がかかっては困るものに袋かけして・・・
消毒が終るまで「外の草取りを少々行い」消毒後の室内には入れないので、年休を取って帰宅しました
その後、鈴鹿7山麓を眺めながら走って
神社に参拝(家族全員の無病息災を祈り五百円をお納めしました!
給料日前で御金がないので(支給後も貧乏です)名物の椿草餅も鶏めしも買わずに我慢!
でも、心は「爽やか」になりました
『五木寛之さん』曰く・・・とんでもない時代になってきました。
こんな時代によくもめぐりあわせたものだなあ、と、最近くり返しため息をつかずにはいられません。
明日、どうなるか。
それがまったく見えないのです。
たよるべきものは、どこにもありません。実感としてそうなのです。
自分自身も、家族も、自分で守る以外に方法がないのではないか、国や政府やマスコミも当てにならない。最近、あらためてそのことを感じたかたは、少なくないでしょう。
たとえば、私たちは今後、何十年か、何百年か、ひょうっとすると、永久に放射能と共存して暮らすことになるかもしれない。
放射能と共に生きる。放射能のなかで生きる。自然の放射能ではなく、人間のつくりだした厄介な放射能です。
みんながガイガー・カウンターを、携帯電話か腕時計のように持ちあるく。そんな日常生活をだれが想定したでしょうか。 すでに、小、中学生に放射能計量器をもたせる準備をすすめている自治体もあるようです。
国内の原発がすべて停止したのちも、放射能の問題は解決しません。危険な使用済み核廃棄燃料をどこに、どう閉じ込めておくのか。プルトニウムの半減期は二万数千年といわれます。
といって、国外に運び出して、外国に保存してもらうわけにもいかないでしょう。
今後、私たちは地下に収納するしかない放射性物質と共棲する暮らしを覚悟しなければなりません。この世界有数の地震多発列島においてです。
天気予報で知らされる気圧や温度と同じように、「きょうの放射能」などというニュース番組を毎日ふつうに見ることになるかもしれない。 「お天気おねえさん」と同じように、「放射能おねえさん」が人気者になるかもしれない時代です。
放射能をおびた夏の海で子供と泳ぎ、放射能のしみた草原に家族とキャンプする。好むと好まざるとにかかわらず、それが私たちの明日なのです。
嘆いても、怒っても、幕はあがってしまった。原子力に反対の人も、推進派も、ひとしく放射能とともに生きることになる。1970年代、「戦争を知らない子供たち」というフォークソングが一世を風靡したことがありました。いつか「放射能を浴びた子供たち」という歌がうたわれるかもしれません。
とんでもない時代、と最初に書いたのは、そういう意味でした。
五木寛之さんの著書『きょう1日 非常時を生き抜く空極の五木メソット55』からの抜粋だそうです
(或る方のブログ)
私も『五木寛之』さんの本は多数(多冊)購入して読んでいますが、この本も早速買って来て読もうと思います!