Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

京都へ

2020年11月20日 11時07分05秒 | 旅行


昨日は、第2回目のスライドレクチャー「ルネサンス探訪・解剖図を生んだもう一つの美術史」
を無事終えてやっと一息ついています。
ネオ・プラトニズムがテーマでしたがミケランジェロがめちゃくちゃ暗くて面白い!
パワーポイント作りながら「暗いわぁ~」と何度つぶやいたことか。
お伝えするのも楽しい90分でした。



柴田悦子画廊で開催された「猫百態展」は14日に無事終了。
予想以上のお客さまのご来場に非常にありがたく、感謝を申し上げます。
最終日は京都で法事があり、在廊できず残念に思っております。

京都は私のふるさと。
今回は東京の家族全員の大移動でありました(^_^;

今回は法事の他に目的が2つ。
一つは、私の祖父・亀井三郎が京大内に建てたという
通称「亀井記念館」というものがあるというのでそこを訪ねました。
京大敷地内にあるという「朱い実保育園」に隣接されていて
看板も何もでていませんが、祖父の想いに感慨深い訪問となりました。



金平糖で有名な京都 緑寿庵さんの向いにあり、
タクシーを降りた瞬間から甘い香りにやられます。

もう一つの目的は、菩提寺の側にある泉屋博古館を訪ねること。



ささやかな館内ですが、陳列されている美術品の全てが見どころ満載で
時間はいくらあっても足りないくらいです。
偶然、見たかった巻物が展示されていてびっくり!


ここに展示されていたのですね!!
徐渭「花卉雑画巻」1591年
儚い印象がたまらなく、これを目指したいといつも心の中にあった絵。
自分にはなかなか難しいのですが、だからこそ憧れてしまうのです。

美術館から菩提寺までの道すがら、哲学の道では紅葉を堪能。

その後松ヶ崎の親戚の家も訪ねました。
幼い頃に叡電の修学院から、父と弟と歩いてよく訪ねた家で
途中の風景に懐かしさが一気にこみ上げる…


日没のたまらない風景
歳をとったら京都に戻るのが夢ですが、きっと叶わないのだろう。

展覧会、京都法事、スライドレクチャーと続いたあれこれも一息ついたので
再び制作に集中します。

スライドレクチャーの最終回、第3回目は12月17日(木)10時から開催されます。
次回のテーマはいよいよ ヴェサリウス の解剖図譜「ファブリカ」についてです。
単発でも受講できますので、ご興味のある方は是非。
定員まであと4名です。詳細はこちら↓
ルネサンス探訪・解剖図を生んだもう一つの美術史


御岳山(みたけさん)と武蔵御嶽神社へ

2020年02月25日 09時18分40秒 | 旅行

連休を利用して御岳山へ。
(確か)狼信仰で有名な武蔵御嶽神社を目指す。
立川から中央青梅線に乗り、御嶽駅下車。そこからバスで「ケーブル下」を目指す。
紅葉シーズンはこのケーブルまでの道が大渋滞になるそうです。
人も少ない、このさわやかな時期も良いかもしれません。 



昨年秋、台風19号あと袋田の滝を訪ねたとき
それが激しい登山だと知らず軽装で行ってしまったため筋肉がズタズタになり
あまりの体調の悪さから風邪を引きそのままインフルに倒れた。
その最悪のシナリオのそもそもの発端が登山だったことから今回は万全の準備をしました。

自分の身体を80代のおばあちゃんと思え
どんな簡単なハイキングでもストックは常備。
これはもうお守り代わりです。
スニーカーではなく登山靴とタイツを装着、
お蔭で死にそうな花粉症以外は、筋肉痛もなく無事に帰宅しました。

道すがら臘梅が満開。キレイだった~!!
実は初めて見ました。
ウェブなどでは拡大された花しか見たことがなかったので
花の一つ一つは意外と小さいことを知る。
人は皆、梅や桜を愛でますが臘梅の薄黄色い花はふわっと柔らかく
かすかに甘い香りがします。

ランチは玉堂美術館の隣りにある「いもうとや」というお店で豆腐料理をいただく。
腹ぺこだったので「豆腐で足りるのか!」と思いきや意外なボリュームで満腹に。
そのあと多摩川沿いを歩き、澤ノ井という酒本に寄りました。

もちろん利き酒を嗜み、帰りの車中は爆睡。
御岳駅までが遠いため、「歩いた」というよりは「よく寝た」という印象か。

今回は御朱印帳を忘れず持参。「月の御嶽」って何だろう?
おみやげには御嶽汁を買いました。
いただくのが楽しみです。


瀬戸内芸術祭

2019年08月22日 10時16分34秒 | 旅行


残暑お見舞い申し上げます。

暑いDEATH(@_@;)!!

毎年、人人展から座の会にかけての3月~7月は地獄の日々。
ここが終わると少し一息ついて遠出をしたり、観たり聴いたり
暑い夏の日々をだらだら過ごします。
瀬戸内芸術祭にも行きましたが、その後何も書いていませんでした。
暑すぎて、書く気力がありませんでした。

とはいえ、注意事項だけ書きます。
行くつもりの方のお役に立てれば…
私は高松を基点に豊島(豊島美術館)、直島(地中美術館、ベネッセ美術館、李禹煥美術館等々)をまわりました。


1.暑い
滝のような汗で常に服がびしょびしょ。
速乾性のあるスポーツウウェア、帽子、団扇、日焼け止め、水は必須です。

2.整理券制
快適な鑑賞空間を保つためか、美術館は人数制限があり、
豊島美術館では整理券をもらってから2時間まちました。
その待ち時間に芸術祭の作品を観ることをおすすめします。
豊島では、先に美術館に行って整理券をもらうこと。
(あらかじめネット予約できればそれがベスト!)

そして、船のチケットも整理券制。
常に船の発着時間は把握していないとなりません。
その整理券をゲットするのに、チケット売り場まで走る感じ(笑)
海外からの人がめっちゃ多いので海外旅行かと思いました。


3.島での食事
食事処は点在していますが
喰らうための行列(炎天下にありえない!!)、
あるいはメニューが終わっている(出し尽くした)場合が多いので
船に乗る前にコンビニで食料を用意することをオススメします。


それでも行ったかいがあり、
美術館の建物自体がアートとなっていて、それは本当にすばらしいものでした。
従来の「美術館が箱でその中に作品がある」といった考えでなく、
作品と建物が一体化していて、中に入った瞬間から体験としてアートがあるわけです。
そして出てから、この海も島も全てがアートなのだと
概念自体が広くひろがり、同時に私の小さな肉体の中にふっと根ざすのを感じました。
素晴らしい体験!!
「これこれ、このために来のだ」と200%満足して戻ってきました。

もちろん、うどんも絶品でした。




最後になりましたが、
この旅、高松の友人と合流して聞いたところによると
基本的に島巡りは秋。「秋!」だそうですので
できれば夏は避ける方のをおすすめします。
ご静聴ありがとうございましたm(__)m




★豊島美術館

★地中美術館
★ベネッセアートサイト


ゴッドハンド

2018年05月01日 00時08分08秒 | 旅行


箱根の温泉へ、小旅行した。
新緑が本当にきれいでした。

ま、景色も良いのですがお目当ては
宿でのマッサージ。

凄いゴッドハンドに当たりました。

開始直後から、
「食べるとき、噛まないでしょ」
からはじまり、
「同じ姿勢でずっといるね、手も同じ姿勢のままだね」
「足を組むとき、右が上だね」
「座ったままだから、下半身がむくんでるよ」
「手の平の筋肉凄いね、ゴルファーなみだね」

「膝の骨が細いね、昔は痩せてたんだね」
全部当たってるよ(`Д´)!!
そうだよ、その通りだよ。

じゃあ、どうすりゃいいのさ!

まずは、
「よく噛んで食べる」でもまぁ…これは基本ですよね。
「半身浴、心臓より深く湯につからない」
「アキレス腱をのばす、これでむくみをとる」
「朝目が覚めたら、起きる前に口から息を吐く→邪鬼を吐け!!(笑)」
「色のついたものを飲まない。水・水・水を飲め!!」
その他、10分延長してストレッチ方法を伝授。
それと、
「らくだがいい」
はい?
どうやら「楽体(らくだ) RAKUDA」というストレッチ器具のことで
これがいいと。
外で運動をする必要はない。
これでむくみを取り、筋肉もつく。
(っていうか、この身体で運動をしてはダメだと言われた。
どんだけなんでしょうね…(@_@;))

実は、マッサージしてもらうまで頭痛があったのですが
きれいにおさまりました。
本当に上手な人でした。
信じやすい性格なのでとりあえず
帰宅してすぐに「らくだ」をアマゾンで購入。

どんだけ変わるか楽しみです。
もし変わったら報告します。はは…



途中の海
海は久しぶり。

海は色と音がセットだと思う。
気持ちいい~


弥彦神社へ

2016年10月26日 08時46分38秒 | 旅行


訳あって新潟県、弥彦村、弥彦神社を訪ねました。

展覧会のことは気になっていましたが
めったにない旅のチャンスですので
同行することにいたしました。

なんでも結構なパワースポットだそうです。
神社めぐりの趣味はありませんでしたが、
人人会の作家さんには、日本の土俗的な信仰や神さまに興味を持つ人が多く、
話を聞いているうちに
私の中でも何かに、目覚めたのかもしれません。
この歳になって ”神社萌え” …

さて、弥彦神社 のご祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)
この方は天照大神の御曾孫で
漁業、製塩、農耕、酒造等越後の産業文化の礎を築いたのだそうです。

建築には詳しくはありませんが、
この神社の形式が古くから存在し
日本の至る所にあることには、ただなるぬもの を感じずにはいられませんね。

毎朝早朝、神様に供物を捧げる「御日供祭(おにくさい)」というのがあり、
それに参加することにいたしました。


早朝のお社。門の奥、何やら中が光ってます。


近づきます。門の中に弥彦様
このフレームの内側に私のイメージするタントラがありました。

↓ね!

亀井三千代「タントラ」P8 2016

神様と密教を一緒にしたらバチがあたるでしょうか…
でも八百万ということで許していただきたい。


御日供祭のあと、「福米」をいただきました。
お米に混ぜて炊くと良い、とのこと。
これは、これから大きな試練に立ち向かう友人に、差し上げようと思います。

弥彦神社の御朱印

かっこいいです(^-^)/

その日の午後、ご神体であります弥彦山に登り夕暮れの日本海を望む。

鳥のようなものが天へ昇る雲のかたち??

旅を振り返り、大事なことをお願いするのを忘れていました!!(@_@;)
「神様!絵が売れますように~m(__)m」






高尾山・童子お腹ぽっこり。

2016年05月04日 07時53分51秒 | 旅行


久しぶりに高尾山に行きました。
三十六童子にも再会( 弟にそっくり(@_@;)!

ルートは、京王線高尾山口駅から
ケーブルカーで一気に登り、そこからぶらぶら歩いて
薬王院を通過し高尾山山頂へ。
さらにそこから奥高尾へ入り城山山頂まで
そこの茶屋で食事をしてピストンしました。

高尾山は何年ぶりか。
登山自体、久しぶりです。

私の運動不足を心配した主人に無理矢理つれ出されたんです。
朝ねむいのに叩き起こされ
超不機嫌なまま電車に乗せられ
一言もしゃべらず高尾山登山口へ。

不機嫌なままケーブルカーに乗せられて
無理矢理歩かされました。
「ある意味暴力ぢゃないか!!」
と思っていたんですが
あまりの新緑の美しさに途中から無我の境地に…

天気は晴天
次第に幸せな気分になってきました。


高尾山山頂までは人混みでしたが
その先の奥高尾に入るといきなり静かな森が続きます。


まるで天国のような城山山頂付近
八重桜が1本だけ咲いていました。


城山山頂の茶屋では定番のナメコ汁と
味噌田楽、冷やし甘酒をいただきました。
これまた極楽

なんとか蜂にも出くわさずに下山しましたが
やはり身体はなまっていてきつかった!(>_<)!

ところで



薬王院 のそばにこのような方々がおわします。
薬王院手前の斜面に、まるい植え込みを挟むように無数に点在しておられます。
この童子たちの お腹ぽっこりは何でしょうねぇ…
怒り顔の方もいらっしゃいます(笑)


高尾山はミシュランの星がついてから
すっかり観光地化してしまいましたが
れっきとした霊山、修験道の修行の場です。
(滝に打たれている人を見たことがある)

山頂まではさまざまなお参りスポットがあり
いろんな方々がいらっしゃいます。

とか
(@_@;)

もっと空いていれば
写真を撮りながら歩くところですが
とにかく人、人、人…


薬王院近くの茶屋では高尾ラーメンを食べました。
これも以前は無かった。
もちろん美味しかったですが、
登山の後は、何食べても旨いからなぁ
ある意味冷静でないというか。

それから高尾山口駅隣りに温泉(極楽湯)ができていた。
この人混みではさぞかしお風呂も一杯かと思っていましたが、
レモンの湯、とか炭酸温泉とか、内湯、露天と
たくさん種類があるので
窮屈な思いはせずにゆったりお湯につかれました。

とにかく見所満載で奥の深い 高尾山
不機嫌も怒りも吹っ飛びます(笑)
是非お参りに行ってみて下さい。


珍道中(@_@;)3 太郎×正義と東京展

2015年09月10日 09時25分09秒 | 旅行


とうとう旅のメイン、豊橋美術博物館へ。
第一回「東京展」に関するギャラリートークを聞く。

1970年代中頃、
同時期に中村正義によって発足された「人人展」と「東京展」
混同しそうだが、実はまったく違う形式で作られていた。

「人人展」は1974年、7人の作家によって「反体制、反画壇」の美術集団として結成。
「東京展」は1975年、旧態依然とした画壇、美術団体に対する公募展として開催。

つまり「人人展」は公募団体ではない。





ギャラリートークでは、笹木繁男氏を中心に
「東京展」当時の事務局の作家を含めた

参加作家3人が当時の様子を生々しく語ってくれた。
発足当時の様子を知っている人が会にいるのは重要なことだと思った。
なぜなら、創立者中村正義本人をナマで知っているからだ。

人人会では、創立メンバーは全員物故となっているので
当時のことを知る人は少ない。
今いるメンバーはそれを引き継ぐ、子メンバー、孫メンバーで
若手に至っては20代(孫孫?)。
「反体制、反画壇」と言ったところで、
対抗する画壇そのものが無い。
何に対して反旗を翻すというか。

それなのに大抵、何処にいっても
「人人は今でも反体制がコンセプトですか?」と
わざわざ聞かれる。
最近、それが半分は嫌みかも知れないことに気がついた。





中村正義を崇拝する人は多い。
まるで宗教だ、と思ったこともあったけど、
略歴を読むとその凄さは想像以上だ。
絵も天才的に素晴らしいが一方で政治力もあり、
仲間の作家を経済的にも支えた。
(その上、顔も恐ろしくハンサムで病弱で…)
52歳で無くなるが、晩年は絵をあまり描かずに
この「人人展」と「東京展」に力を尽くしたそうだ。

現在「人人展」は美術館側の経営の変化に伴って
公募団体に変わろうとしている。
それは生き残りをかけての苦渋の判断には違いないが
その変化の中で創立メンバーの意思をどのように留めるのか。
会を活性に向かわせる良い機会にしなくてはならない。

なんて気持ちが
「東京展」のメンバーの話を聞きながら、メラメラと芽生えてきた。
私は発火しやすい。だから、私を誘った人は相当な目利きですね。
 
岡本太郎と中村正義「東京展」図録より
左「千手」1965 岡本太郎 P46
右「男と女」1963 中村正義 P39





熱くなった気持ちをかかえながら帰宅。
お土産はゼッタイにこれです。

ヤマサのちくわ


これを田丸屋のわさび漬けでいただきます。

実は、「豊橋」というと、このちくわを連想する。
皮がぱりぱり、味は濃厚。

ビールも最高!

感謝:
ギャラリーサンセリテ

パンリアル美術協会

中村正義の美術館

泉屋博古館
(順不同)


珍道中(@_@;)2 美術と戦争

2015年09月08日 10時09分53秒 | 旅行

前回のつづき


名古屋市美術館
「画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか」展
鑑賞時間は約30分。


めちゃくちゃタイトなスケジュールなので
ざらっと見る程度しか鑑賞できないか、と思いきや
そうでもない。

順不同だが、下記の作家の作品を
原則として戦前、戦中、戦後各3点づつ9点を展示
戦前絵画の、牧歌的あるいは生き生きと精力的に行われていた実験的な試みも
戦中に入るとガラッと変わって暗く沈み、目をそらしてくなるような戦争画を描き
戦後は、私も知るあの「暗い近代」の匂い
歪んだ人間の内面性の表現「不安、不信、葛藤、疎外…」
「戦後を乗り越える」わずかな兆しすら感じられません。

吉岡堅二、藤田嗣治、北川民次
福沢一郎、松本俊介、北脇昇、恩地孝四郎
横山大観、山口薫、宮本三郎、吉原治良
岡鹿之助、香月泰男、福田豊四郎





心当たりがある。
20代、絵に興味を持ち始めたころ、
海外のアートに夢中だった。
特に大型のインスタレーション、コンテンポラリーと呼ばれたもの
日本の作家でも現代アートを中心に見て歩いた。

一方で日本の絵画は古臭く感じていた。
今から思えば、まだ戦後絵画の延長上にあったのだ。
その切実な「不安、不信、葛藤、疎外…」が
20代の元気な私には重たくてしかたがなかった。

でも、今は理解できる。
戦争はどの国も経験している重要なファクターだ。
アートはそれを乗り越えてきているんだなぁと思う。
決して無視はしてはいない。
内容と表層は違うのだ。

今でも人人展は「暗い近代」の真っただ中で
時々「時代遅れ」と言われてしまう。
それを新しい地平に向かわせる方法は?

「時代を引き受けつつ断ち切る(突破する)」
そんな表現は可能だろうか??


福沢一郎「牛」

これから150年後、第3次世界大戦が終わり
世界の体系がすっかり変わって振り返れば、
今の時代は「戦前」だったりして。

「21世紀 戦前の美術」…あり得る!

今この時代(流行)のど真ん中で澱んでいる場合ではない。
すでに新しい戦争時代に突入した感じ、するじゃない。

「戦後」を引き受け、次の時代へ警鐘を鳴らしつつ
それを突破していくこと。

新しい「狂気」が必要かもしれません。





ところで
5人の美術業界ご一行は、
名古屋でお弁当を買い豊橋へ向かいます。
お弁当は東海道線の中でどうどうと食べましたが
我々以外、食べてる人なんか誰もいないですよ(笑)!!
さすがです…


豊橋駅のコンコース

続く


珍道中(@_@;)1 出会い

2015年09月07日 09時45分25秒 | 旅行

とある方に誘われて
名古屋・豊橋への小旅行に出かけた。

「来たものに乗る」のを信条として生きてきたつもり。
経験から「ゼッタイに乗ってはならない」ものもあると学習したが
今回のこれは、「乗る」というより「乗らなくてはならぬ」か。

現在、豊橋市美術博物館で
「太郎×正義 日本の美術界に挑む!」という展覧会が開催されている。
これは、岡本太郎と中村正義のこと。

ここで、現代美術資料センターの笹木繁男さんが
記念トークをされるので聞きに行こう!という旅。

内容は、40年ほど前に中村正義が発足した伝説的展覧会、
「第1回東京展」についての検証。
当時の事務局、出品作家も交えて語ろうというもの。

中村正義は私が属する人人会発足の作家でもあり、
この「東京展」と「人人展」は正義によって
同時期に、ほぼ同じコンセプト"反権力・多面性と反逆精神"で作られた2つの会だ。
ハンギャク… 

そっか、だから誘われたのか~
人人会としては、このトークは目撃しなくてはならぬものだったのだ。
モクゲキセヨ(`Д´)!!




…とまぁそれはいいとして

豊橋の前に、名古屋市美術館に寄り
企画展「画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか」を見るのだそうで
そのために朝8時半過ぎの新幹線に乗る。
しかし成り行きから、
全く面識のない方と二人で待ち合わせすることに(@_@;)
要するに、そのお方を無事に名古屋にお連れせよ、という指令です。

待ち合わせの車両の列に並んで待っていた。

相手には「私は紫色のスカーフを巻いています」という目印を告げてある。
告げていたにも関わらず、私自身が挙動不審になり
全然関係ない人に「○○さんですか?」とか聞いちゃったりして
ドンびきされ、
2,3人の人がその列を離れていってしまう…(^_^;

私はそんなに変ですかね

私より30歳は年上の、作家ではないが美術の世界にいるその人は、
学識も経験も豊かで、ゆったりとした深みがある。
特に歴史的な作家さんに出会った時の話はとても面白かった。
新幹線の中では、様々な奇妙な話をお聞かせいただき
1冊の本(物語)を読み終えたくらいの充実感。

名古屋市美術館着。
先に来ていたグループと無事合流。
美術史家、学芸員、中村正義美術館関係者、コレクターという
とんでもないメンバーでびっくりするが
豪雨でずぶ濡れなので、何かをあきらめました…(笑)

続く


秩父武甲温泉へ

2015年05月04日 06時54分50秒 | 旅行


人人会で同期の作家、渡辺つぶらさん*¹ と共に
秩父へ小旅行する。

同じく人人の作家、渡辺遮莫次郎氏*² の個展を見に行くためだ。

主人に車をだしてもらい、
まずは額縁工房へ。
額装が出来上がった。

 
「魔女の遊び」0号 2015

 
天鈿(ウズメ)」P3 2015

マルカツアートの工藤さん。
今回は手で彩色して仕上げてくれた。
写真ではわからないけれど、
わずかに塗料の溜まりや
塗りむらが美しい。
微妙に青みたかり、赤みがかり
それが「見える」という以前の、感じられる程度の主張で
五感への訴え方がみごとです。

私が欲しい(笑)

買って下さった方は、お二人とも私の大切な人です。
このような額装でお届けすることができて、とても満足です。

さて、
さもさん、こと渡辺遮莫次郎氏は
絵本からシュールな作品から多彩な作家だ。
何より、絵が本当に上手い。

こんなに上手い作家だったとは。

個展は盛況で、さもさんのところまで列ができて
話しをしようにも、なかなかたどり着けなかった。

そしてそのあと、念願の温泉
秩父の武甲温泉へ。
温泉の前には鯉のぼりの大群が泳いでいた。
びっくり!!



渡辺つぶらさんとは、
温泉中も、食事中も、車中でもずっと話しをしていた。

女同士ってすごくしゃべるもんなんですね。

霊が見えるという彼女に
体調の悪さを一応訴え、何か変なモンが憑いていないか観てもらった(笑)

なんでも笑うのがいいそうです。
大声で無理矢理でも笑うと、逃げていくんだそうです(@_@;)

悩みなんかもばんばん話しちゃった。
まぁ主には霊の話しなんだけれども(笑)

こんなに打ち明け話をしたのは久しぶり。
運転手は話しを聞きながら、時々鼻で笑っていたけど何か?
何か問題でも??



*¹ 渡辺つぶら
http://www.50agingcare.jp/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC/tsubura-watanabe/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%82%89-%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81/

*² 渡辺遮莫次郎
http://www.kiryu.jp/takasin/samojiro/index.html