連休を利用して御岳山へ。
(確か)狼信仰で有名な武蔵御嶽神社を目指す。
立川から中央青梅線に乗り、御嶽駅下車。そこからバスで「ケーブル下」を目指す。
紅葉シーズンはこのケーブルまでの道が大渋滞になるそうです。
人も少ない、このさわやかな時期も良いかもしれません。
昨年秋、台風19号あと袋田の滝を訪ねたとき
それが激しい登山だと知らず軽装で行ってしまったため筋肉がズタズタになり
あまりの体調の悪さから風邪を引きそのままインフルに倒れた。
その最悪のシナリオのそもそもの発端が登山だったことから今回は万全の準備をしました。
自分の身体を80代のおばあちゃんと思え
どんな簡単なハイキングでもストックは常備。
これはもうお守り代わりです。
スニーカーではなく登山靴とタイツを装着、
お蔭で死にそうな花粉症以外は、筋肉痛もなく無事に帰宅しました。
道すがら臘梅が満開。キレイだった~!!
実は初めて見ました。
ウェブなどでは拡大された花しか見たことがなかったので
花の一つ一つは意外と小さいことを知る。
人は皆、梅や桜を愛でますが臘梅の薄黄色い花はふわっと柔らかく
かすかに甘い香りがします。
ランチは玉堂美術館の隣りにある「いもうとや」というお店で豆腐料理をいただく。
腹ぺこだったので「豆腐で足りるのか!」と思いきや意外なボリュームで満腹に。
そのあと多摩川沿いを歩き、澤ノ井という酒本に寄りました。
もちろん利き酒を嗜み、帰りの車中は爆睡。
御岳駅までが遠いため、「歩いた」というよりは「よく寝た」という印象か。
今回は御朱印帳を忘れず持参。「月の御嶽」って何だろう?
おみやげには御嶽汁を買いました。
いただくのが楽しみです。
花は気づくと勝手に咲いている、私はある日それに気づいて
ただただ「あら咲いている!」と驚くばかり。
この花も、もう何年も花なんか付けなかったのに突然咲いていました。
かわいいです。
このブログを始めた頃は、ベランダの植物の話しばかりだった。
植物が大好きだ。
最近は展覧会の話題ばかりで
追い詰められ感満載のブログになってしまった。
事実、年が明けてから息ができないほど追い詰められている・笑
そのかいあって、昨日個展用の作品の最後の何枚かを額装に出した。
一応自分に課したノルマは達成。
あとは信頼している職人さんにお任せだ。
もう10年以上のお付き合いの額装の職人さんは
私の作品を最初に見る人でもある。
そしてある意味、異次元の入口に立つ門番のような人だと思う。
作品は門番と共にその門をくぐって、やがて異次元から戻ったときには
全く違ったオーラをまとって現れる。
それは変身だ。
作品にオーラを与えてくれる人、額装の職人さんは
特別な存在だと思っている。
ところで作品を額装に出すと、急に部屋がガランとして風通しが良くなる。
精神的にも余裕が生まれた。
そこで、何ヶ月か前に小さすぎて手に負えず放置した作品に
再度チャレンジすることにした。10cmのスクエア。
10cm四方の画面に岩絵の具をのせるのが至難の業で混乱し、
一旦はあきらめたのだけど、今日になって急に出来る気がしてきました。
じっくり眺めてプランを立てて
再度制作に入ることにしました。
ずっと墨によるモノクロが多かったので
久しぶりの岩絵の具があまりに毒々しく美しく、
描きながら「ぎゃー面白い」とかつぶやいちゃって、やはりこれに変わるものは他にはないと実感。
指先から筆を通して間接的に色と繋がるのは快感だ。
最高ですね、
絵を描くのが大好きです。
画像は、水彩画教室の生徒さんの作品。
どうしたってこれは描けない、と驚嘆するばかり。
素晴らしいと思います。
よみうりカルチャー教室で水彩画の講座を受け持って10年ほど。
いきなり振られて「やることになってしまった」のですが
本当にやらせていただいて良かったと思います。
私には絵を「教える」なんてことはできず、
アドバイザーかカウンセラーのようなことになってしまいます。
私には「絵はその人の潜在的な部分へのアクセスだ」というやっかいなポリシーがあり
まずはそこに気づいてもらうことからです。
なので、「◯◯のような水彩画が描きたい」という人は
すぐにやめてしまいますね(笑)
絵を描くことは自分をほじくることに似ている。
これは、水彩画教室に限ったことではないとも思います。
既に在る「何か」に向かうのではなく
逆に人のやらない全く新しいことを無理矢理生みだすのでもなくて
既にあるのに隠されたもの、自分の潜在世界に触れることではないかと思うのです。
そこに上手くアクセスできれば、自分を知ることにもなり
見たことのない新らしいものでもあり
他にないものになるとも思うのです。
そしてそれは押しつけがましいモノではなく
かといって無視されるようなものにもならない。
技法に関しては新しいことをするのは重要かもしれません。
技法によって潜在世界への適したアクセス方法が、見つかることがあるように思うからです。
さらに言うと
「訓練」は絵が上達することが目標ではなくて
経験を磨く程度に留めるのが良いように思います。
経験を磨くと直観が冴えると思います。
経験の無い直観は脳の惰性だと思う時があります。
自分の都合の良いようにしか感じられず
自分で自分をだましていてそれにさえ気づけない、といった悪循環に陥りたくはない。
絵は人が描くもので在る以上
精神世界と物質世界の出合う場所。
そんなふうに思っています。
さて、4月の個展準備も粛々と進めており
一昨日には新作4点を額装に出しました。
額装に出すと、不思議と少しだけ前進している気がします。
これからまた次の制作に集中したいと思います。
新しい墨を買いました。
先日水墨画研究会に参加したとき
百万円の墨、というのを実際に目撃した。
私には現実的ではなく、これはもうどんどん買って
使いたおして自分に合うものを探すしかないと思いました。
この墨、箱を開けたとき美しい金色が目に飛び込んで
「延べ棒か!!」
いえ、安い墨です。
ところで
DF Art Project というフランスを拠点としたアート団体があります。
DFとはDéstructuralisme Figuratifの略で
日本語に訳すと「脱構造主義」といった感じでしょうか。
このコンセプトをかかげたアート団体から
ご紹介いただきました。
といっても、
そこにたどり着くまでには
めちゃくちゃ大変な事務的作業があり時間は奪われます。
主に翻訳作業ですね…
あとまぁしかたないけど「孤独」。
制作する私、事務をこなす私、家事をする私
一人で何役もしなくてはならないのが
だんだん辛くなってきました。
ほとんど多重人格の域です。
一緒に仕事をしてくれるパートナー、というか
仲間が切実に欲しい。
といっても作家仲間ではなくて
私の代わりに翻訳をしてくる人、とか
書類を作ってくれる人とか…
でもおそらく皆一人でやっているんですよね。
これじゃぁ人生1個じゃ足りない気がしますが
勉強と思って耐え忍びます。
是非見て下さい↓ 私の事務的汗と涙の結晶です(笑)