Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

赤について

2010年06月30日 08時29分05秒 | 日記

私は、赤い色が好きだ。

でも、作品に赤を使うと、
血をイメージするから
控えた方がよいと、よく言われる。
それは私が未熟だからだろう。

それでも
岩絵の具の赤い色を画面に置くと、
どきどきが始まる。
待ち望んでいた答えがそこにあるような、
その絵が、やっと私のものになるような・・・

自然の中で、
それは何かのシグナルだ。

赤い花は、昆虫を誘い、
赤い実は、鳥を誘う。

青い地球、緑の自然というなら
そこに生きる動物達は
赤い宇宙を抱えて生きている。

皮膚で隔てられた中と外
赤は、動物が身体の中に抱える色でもある。

この写真は、つい先日の夕暮れ。
私の部屋から見える、多摩川沿いの風景。
水面に夕日が映り
世界がぼおっと赤く染まった。

一日の終わり
体内を感じて震える。
この美しさ、
決して描けないと思う。


変身(羽化)

2010年06月28日 09時00分38秒 | EXHIBITION

ギャラリー・オキュルスにて
グループ展が始まった。

出展した作品のタイトルは「変身(羽化)」。

脳・耳・本・蝶・肺と心臓・赤い薔薇・黒い月を
描き込んだ。
昨日、作品の説明を求められたので
連想ゲームのようなものだと答えた。

『五感の本』という展覧会テーマから
まず、脳を連想した。
脳の前頭断をイメージしていたら、そこに
耳が描き込めることに気づく。

蝶は本からのイメージ。
本と蝶の羽の動きが似ていると思ったのだ。
閉じたり開いたり。。。
羽が背中でぴったりくっつく昆虫って
私の知る限り、蝶くらいだ。

そして蝶は変身願望のシンボル。
それなら蝶の身体がヒトでもいいのでは・・
薔薇が咲いてもいいのでは・・
ヒトは変態しないが、
生まれて死ぬまで変化の連続だ。

帰り、偶然にもマンションの前に
青虫が落ちていた。
その子はアゲハになる子だ。
とても美しい緑色。
絶対に踏まれると思ったので
安全な場所へ移動させた。

部屋に着いてからすぐ、
その子の写真を撮りたいと思い
カメラを持って戻ったが
もういなかった。

あっという間の出来事。
いつか
無事に飛び立てますように。


グループ展に飛び入り参加

2010年06月22日 07時26分39秒 | EXHIBITION

視る本、聴く本、匂う本、触る本、味わう本。

阿部愼藏、石田美季、和泉昇、伊藤尚子、岩佐なを、小澤数晃、北川健次、
小島洋児、小林和史、鈴木雄次、砂田千磨、醍醐イサム、高山ケンタ、
田淵裕一、ダニエル・デヌエット、トミ象商店、中道順詩、中山豊、間奈美子、
支倉隆子、羽田野麻吏、羽原肅郎、平澤重信、福地桂玉、松尾真由美、麻留也、
三ツ橋渡郎、ミレッラ・ベンチヴォリオ、山下陽子

 

高輪台にギャラリー・オキュルスという画廊がある。

推理作家の渡辺啓助さんゆかりの画廊だ。

その背景もあって、この画廊は美術という枠を超えている。
本・文字・言葉・音・におい・・・扱うテーマはとても自由。

今回は『五感の本』というタイトルの展覧会。
 6月27日(日)~7月3日(土)
 11:30am-18:30pm 会期中無休

私は、急遽参加することになったため
案内状に名前は載っていないが、
新作を1点展示していただけることになった。

詳しくは、ギャラリー・オキュルスHPへ
http://www14.plala.or.jp/oculus/index.html

ご興味のある方、是非ご覧ください。


父の日に

2010年06月21日 07時45分21秒 | 日記

宇宙人のようなオモトの花。

可憐でもなんでもないのだが、
特別に変なものが咲いたようで
毎年うれしくなる。

母の祖父が育てていたのだそうだ。

ということは、私のひ祖父の時代から
生きている、ということになる。

会ったこともない人だが、
その人の大切なものを自分が引き継いでいるという
不思議な感覚。
時間がぎゅっと縮まって、
100年くらい前といきなりつながるようだ。

昨日は父の日。
家族で食事をする。
その後、久しぶりに弟と父の容態についてじっくり話す。

終末医療・・・??

結局、自分に何ができるかなんて
わかりっこない。

父の目は、もう濁っていた。
でも、しっかり死を見つめて
それを、とらえようとしている目だ。

死とは何なのか?

父は、編集長時代に
このテーマに向き合って長かった。

今はもう1文も書けないが、
見つめることはまだやめていないようだ。


かたつむり

2010年06月15日 09時44分28秒 | 日記

ベランダの住人である。
私の大好きな渦巻き模様。

2年前、
母が育てていたベルフラワーと一緒に
我が家にやってきた。

ベルフラワーは母の好きな花。
けっこう強い花だ。
今年もしっかり咲いてくれた。

ところで、このかたつむりは
我が家のベランダで繁殖しているらしい。

土の粒と見間違えるほどの
すごく小さな子供を時々見かける。

いや、時々しか見かけないのだ。
親も子も、時々現れては消える。
かといって、植物が被害にあっている様子はない。

いったい何を食べているんだろう。
かたつむりは害虫だろうか?
ベルフラワーの葉は食べているのだろうが、
それが枯れることはない。

彼らを見かけると
その日いいことが起こる気がしてしまうのだ。

母は今、
肺がんの父と共に、毎日を戦っている。
もう植物も育てていない。
全エネルギーを父に注いでいる。
でも、その二人の姿が幸せそうだと、
先日訪れた友人は言ってくれた。

確かに。
私もそう思った。


雨あがり

2010年06月10日 14時13分40秒 | 日記

雨の日の翌朝、散歩をする。

多摩川の河川敷。

芦原に埋まっているこの木は桜。
春には、
冬枯れて一面茶色くなった芦原の真ん中に
たった1本、立派に花を咲かせる。
この桜のファンは多くて
その時期には毎日三脚が木をかこむ。

あるとき、
絵を描くことは孤独なんだ、と
私の敬愛する作家は言った。
その孤独の意味が重すぎて
私は押しつぶされそうになった。

人は時々、孤独の中で壮絶な花を咲かせてしまう。
それは美しいとは言われないこともある。

そんなことをふと考えたが
雨に洗われた緑にはとてもかなわない。
幸福な気持ちで身体の中が一杯になっていた。

孤独なんて、どうでもいいか。


きざし

2010年06月09日 08時23分13秒 | 日記

これは、育て始めて2年目になる源平葛。
暖かくなると、白と赤の花をつける。
もっと正確に言うと、白い花の中から赤い花が出てくる。

わずかに開いた白い花の口から、赤い玉を吐き出す。
中からつぼみが伸び出してくるのだ。

初めてそれを見たときはびっくりした。
真っ赤な舌の連想。

そんな源平葛も冬には葉がすっかり落ちる。
幹だけになるので、まさか枯れてはいないか・・
毎日観察する。

そして、今年の芽吹き。
この小さな緑色はいのちのサインだ。
棒きれみたいになっても生きていると知らせる。

花が咲くのが楽しみだ。


父のこと 1

2010年06月07日 08時00分57秒 | 日記
このサボテンの名はトット。
私が10歳の頃からのつきあいだ。
正確にはトットの分身。
トットの根元に増えた子供を挿し木して育ててきた。
そして、その根元には
すでに何代目かのトットが育っている。

私は23歳で家を出た。
居心地が悪かったのだ。
それから6回も引っ越しをしたが
このトットだけは私と常に一緒だった。

最初のトットはかなり大きくなり、
まだ実家でがんばっている。

実家の父は現在肺がんと闘病中だ。
私は自分の父が、自分にとって
どのような存在なのかよくわからない。
ずっとわからなかった。

けれど最近、やっと父を想って
涙がでるようになった。

私と羽黒洞 1

2010年06月06日 08時15分06秒 | EXHIBITION

湯島に羽黒洞木村東介という画廊がある。
通称『羽黒洞』と呼ばれている。
私がお世話になっている画廊だ。
絵のみならず人間の勉強をさせていただいている。

この画廊は、近所の天神下に『はぐろ洞』という名の別の画廊を持っている。
築130年ほどの日本家屋を画廊に改築したものだ。

今回そこでの展覧会は庭師の親方と画家のコラボレーション。
親方は私のことを「解体屋」と呼ぶ。
絵にもたっぷりだめ出しをしてくれる。
でもそこにはヒントがたくさんあるのだ。

私はその人が大好きだ。
家に戻って自分の絵を見る。
とてもまずいものに思える。
勉強になる。

天神下 はぐろ洞 展覧会情報
http://www.hagurodo.jp/public_html/contents/hagurodoo.html


私は絵を描いている

2010年06月04日 18時49分07秒 | 日記
私は絵を描くのが好きだ。幼い頃から描いてきた。
いまだに続けられるのは、幸せなことだと思う。

東京医科歯科大学の医学部で解剖学を学んだ。
人体の構造を描くのは大好きだが、
花も他の動物も、とにかく生物は皆おもしろい。

植物の葉の出る奇妙なパターン、螺旋形態・・
独特のリズムに数学を感じるときもある。
私のベランダのいくつかの植物たち、
もう何年もつきあっているものもいる。
時々それらを描く。
これからは、良い季節。
彼らが生きているように、私も今を生きている。
同じことだと実感する。