Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

フランス語版インタビュー。和訳のご紹介。

2021年06月15日 19時01分37秒 | ステイトメント

以前より、フランスの美術団体 DF ART PROJECT にフォローしていただいています。
この度、この団体のHPでインタビューが紹介されました。

https://df-artproject.com/le-sex-as-an-axis-of-rotation/

と言っても全文フランス語ですのでここに和訳を掲載いたします。

このインタビューは、ある日突然3つの質問がメールで届きました。
そのフランス語の質問にフランス語で答えるという、とてつもないミッションだったわけです。
まずはその質問に対して日本語の回答を作り、
それをグーグル翻訳でフランス語にしました。
この間、1ヶ月以上かかったのでもう受け付けてもらえないかと思いましたが
何と後日、「受け取ったよ~」の連絡が。
そしてようやく掲載していただきました。
しかもタイトル「Le sexe comme an axe de rotation」(回転軸としての性)や
編集もしてくださいました。

ここに和訳をご紹介いたします。
掲載されたブログにはもともとの質問が省略されていますので、
ここではあえて質問も記載いたします。どんな質問だったか。
是非ともお読みいただけましたら幸いです。

「回転軸としての性」

 1.作品の中で何を表現したいですか?
→DFアートプロジェクトで、技法や表現の国際的な交流が出来ることは喜びです。私が作品によって表現したいのは、わたしたち人間は一体何か、また私たちが生きるこの世界は一体何かということです。私たちは身体を持ち、生まれたときから死を約束されているにもかかわらず、一生を命の謎とともに生きていきます。命の様々な謎は、描かれることによって顕在化し、見る人にはその儚さよりも命の永遠を感じて欲しいと願っています。

2.現在、その変革にどのように取り組んでいますか?
→私は日本独自の素材である和墨と和紙、岩を砕いた岩絵の具を使っています。メディウムは水と膠です。墨は水に滲んで自由に広がり、それをコントロールすることは難しいです。画面はその墨の動きに任せて描く部分と、それとは別にコントロールした線によって絵を構成していきます。絵は私には偶然と必然の出会う場所でもあります。

3.あなたの仕事にとって重要な図の概念はどのようなものですか?
→私は解剖図と春画をモチーフにています。解剖図は東京の大学の医学部の解剖学教室で勉強しました。春画は日本独自の性表現です。このように身体の中と外を繋げて一つの命の風景を描きたいのです。それは仏教美術の曼荼羅と似た概念だと思っています。そこに性表現は必ず必要です。なぜなら性によって人間の命はまた生まれて続いていくからです。生と死は性を中心軸に円運動を永遠に繰り返す、私はそのようなイメージを持っています。

以上です。
時間が経っても、ちゃんと返信が来る。
海外の作家の誠実な対応に心から感謝します。


人拓『ドレスシリーズ』のステイトメント

2020年08月03日 10時00分46秒 | ステイトメント

★展覧会が終わってしまったらそのまま2度と浮上しない展覧会ステイトメントをアーカイブしていこうと思います。
お付き合いいただけましたら幸いです。画像はクリックすると拡大されます。
★HPを少しだけ更新いたしました。更新情報は、インタビューのユーチューブ版が出ましたのでリンクを貼っています。こちらもどうぞよろしくお願いいたします。→Michiyo Kamei HP  

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人拓『ドレス シリーズ』

 私は身体に興味があり、制作のベースは解剖学・解剖図にあります。
身体への興味の一つにはその境界性にあります。私と外部とを隔てる輪郭となる皮膚。
これは私の側でもあり自然の側でもある、この両方に接する身体を思う時、果たして私の身体とは何か、私とは何者で自然とは一体何かといった普遍的とも思える問いが立ち現れます。
私はその問いを念頭に「描く」という行為によって中と外を繋げ一つの世界を見てみたい、
その欲求をエネルギーに制作してまいりました。

 今回はその皮膚を使って制作いたしました。絵筆を使わず身体で絵を描く試みです。
とは言えこの行為がはたして絵画と言えるのか、それについてはじめは疑問を抱いていました。
おそらくこれは絵画にはなり得ないと。逆に私は絵画をどのように考えているのか。
  

 人拓の方法としてはとてもシンプルに、自分の身体に墨を塗り和紙に押しつけて形を取りました。
全身を和紙に投げ出して起き上がらないと形が分かりません。筆による加筆はせず、
線は垂れた墨が線状に足につたってできたもの、点は指で散らしました。

 通常どんな絵画でも絵具を置くその瞬間を見つめながら描いています。
絵画の場合、「見る」行為によって絵筆のその先端に生まれる画面を常に瞬間的に捉えて情報を脳に送り、イメージし、また筆先に戻すという連続したフィードバックを自分でも意識できないほどのスピードで行い、その超光速判断の積み重ねによって絵は完成されていくように思われます。

 ですが身体で制作する限り紙から身体を起こして初めて画面が目に入ります。
目に入ったときにはもう終わっている。途中のフィードバックがありません。
目は、起き上がってからそこに出来た身体のシミを見つめその形を捉え、そして初めて生まれたイメージは次の1枚に託されます。フィードバックは同じ画面の上では行われず分断されて次の絵に委ねられる。
ですので、この作品は連作のその全体で初めてイメージを持った絵画として意味をなすのではないか、今はそのように解釈しています。

  

 実感として、作品からは意外にも肉体性は感じられず、
たとえば服やコルセットのように「身体を包むもの」「身体が入って初めて意味のあるもの」のイメージを想起させられました。
真っ黒な身体を起こしてそこにできた空っぽの抜け殻のような形を見つめた時、それは私の外側の、もう一つの皮膚になり得るでしょうか。このシリーズを『ドレスシリーズ』と名づけることにいたしました。
 このシリーズは今後どのように展開できるか分かりませんが続けて取り組んでいきたいと考えています。亀井三千代