Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

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あけましておめでとうございます。

2022年01月11日 08時51分47秒 | 日記

遅くなりました。
あけましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願いいたします。

毎年同じですが、
暮れにはその年一番の忙しさ、大掃除と正月準備という怒濤のクライマックスがあり
ヘロヘロで紅白を見てそのまま失神、夢も見ずに正月を迎える。
現在、日常に戻るためのリハビリ中です。

私はきんとんだけは作るけど
戦前、戦後間もない女性達はおせち料理を手作りして
それはどれだけの重労働だっただろうか。
きんとんだけでも裏ごし地獄で腕がもげそうになる。

家庭内の仕事というのはそもそも「やってあたりまえ」と思われていた。
男も外で働いてあたりまえ、だったろうか。
そのあたりまえは、現在もう崩壊している。



そういえば、今年は人人展を開催するのだけど
全体テーマが「自然の循環」
でも私は、思うことがある。
人間は自然の一部にはなり得ない。
人間は野生動物にはなり得ない。
人間は死んで土に返るときに初めて自然に返るのではないだろうか。

人間の体内は、他の動物と同様に循環の仕組みで動いているけど
人間の外側はまるで違う。
ひとたび皮膚の外に出ると自然とはまるで違う人間の世界がある。
人間は、人工の人間世界と自然世界と両方がないと生きられない生きものだ。





暮れに、ある人とジェンダーの話しになった。
私はジェンダー論は「社会の仕組み」を論じる前に、
大前提としてそもそも人間の本質がそれを作ってきたと思っている。
人間の自意識は他者と比較し、虚栄心があり
支配に対する快感がある。だから戦争だってなくならない。
人は人を支配するとき快感を感じるし、
男性は女性を支配するとき快感を感じるのではないだろうか。
弱いものは強いものの奴隷になるのか。
だけど自然は人間に支配されることはない。

むしろ、自然は自然自身を支配し破壊する。
自然を破壊するのは自然だと思う。
自然破壊を人間がしていると前提するから人間に罪悪感がつきまとう。
それは大きな間違いだと思っている。
というか、そもそもほっといても生きものは自然に生まれて死滅に向かう。
その循環を選んだのは人間ではなくて自然だ。
今人間はどこに加担するかが問われているのだと思う。
生まれ育つ方に加担しすぎでもだめ、崩壊の方に加担してもだめ。
揺らぎながら自然を守れ。

一方で人間はアートという妙なことをしてしまう。
アートは、ダンスも音楽も、もちろん美術も「人間のため」でありながらそれを通り越して
人間が繋がりたいと思うあらゆるものに見えない道を作る。
人間が生まれる以前の、果てしない宇宙や自然
人間が憧れる野生へ。

そんなことを考えていた正月休みでした。

1月3日 川崎大師に初詣。
こうしている今もコロナに見舞われている方々には穏やかな快復を。
今年もよろしくお願いいたします。