Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

蘭と蛾

2011年01月31日 09時14分43秒 | 日記



我が家のファレノプシス
つぼみが
だいぶ大きくなった。

これは12月の写真
http://blog.goo.ne.jp/michika-6/e/af540180b109bd8008f2eff5c21c16c9

順調に育っている。



ところで

とある野生の蘭
この蘭の蜜は20cmに伸びたの管の底にあり、
これを吸えるのは
唯一20cmの口(口吻)を持つ蛾だそうだ。

この話は本で読んで知っていた。
一体どういうことかと
たびたび想像をめぐらしていたのだが
昨夜、ついにテレビ*で見ることができた。
(食事中ゆえ、多少ウゲッとなったが…)

私の想像なんか及ばないくらいの
…なんというか、それはもの凄いエロスだ。

体長7cmのその大きな蛾は
夜、蘭に近づく。
通常は渦巻き状に巻かれた口吻を
その時には20cmにも及ぶ長さに伸ばして
可憐な蘭の中に差し込み吸密する。

この蘭と蛾はともに進化したのだそうだ。

互いの身体を変えてまで「生き延びる」

この野生のしたたかさ、合理性は
なんて美しいのだろう。

* Nスペ「ホットスポット」http://www.nhk.or.jp/hotspot/


久しぶりに

2011年01月29日 07時03分36秒 | 日記



昨夜は久しぶりに湯島で飲む。
画商チームにまぜていただいた。

とにかく飲みたかった。。。

気持ちのいい人たち。
素のままでいられる、居心地の良さがある。

皆、30代という若い世代の
画商2代目、3代目だ。
業界に対する熱い思いを持つ。
ここに居られてうれしく思う。

昨年までは、毎週月曜日の太極拳の後に
湯島で飲んだくれていた。
今年に入り、寒くて家を出るのがつらくなり
太極拳に行かなくなった。

結果、飲まなくなり

そして痩せた…

あれはビール太りだったんだ!



私を取り扱ってくれている画廊、羽黒洞さん。
こんな私を扱うなんて
無謀もいいところだ。
感謝してもしきれない。

昨日は作品の話をたっぷり語り合った。
あんな変な話を、とことん聞いてくれる相手がいるのも
幸せなことだ。
ぶっとんでて
ほとんどまともな内容じゃないのに。。。

今年は、持ちかけられた企画は全部受け入れることにする。
自分を鍛えたい。

じっくり取り組みます。

どうか、負けませんように


朝の月

2011年01月22日 06時59分25秒 | 日記



きれいな満月

早朝の月(朝です、朝…)

うまく撮るのは難しい。
ぼやっとしてしまう。

ところで
ここ何日か、引きこもる。

2日連続して外出したら
3日目はもう無理。

無理をするのをやめた。

おかげで、
自分が、だいぶゆるんできたのがわかる。

昨年秋から、大きな塊を胸のあたりに感じていた。
その胸のつかえがとれてきた。

一日中、じわじわ涙が出て、
少しずつ塊がしぼむ。

…ダイエットみたい




イラストを描くか、やめるか、
選択を迫られた。

私の意志次第だそうだ。

考える時間をいただくことにした。

何より、人間関係が切れてしまいそうで
それが私にブレーキをかけた。

いつも私はそうなんだ。
ビジネスライクに割り切れず
情に引きずられる。。。

そもそも
イラストをやめるくらいの覚悟がないと
絵もだめだろうに

本当に、ダメ人間です


暖かい部屋

2011年01月18日 17時27分37秒 | 日記

私の部屋のリビングは南側と西側が全面窓になっていて
日当たりが良く、冬場でも日中は暖房がいらない。

マンションを選ぶとき、日当たりだけははずせなかった。

つらいことがあっても、このぬくもりの中にいると
たいてい癒される。

これは、主人がくれたもの

主人は私にとって、この夕陽のように暖かい存在だ。
私はそこにすっぽりと包み込まれてしまう。

それに比べて、私は一体なんだろう…。
胸の奥が空洞になっているような気がする。
主人に限らず、
暖かい人たちに私は何かを返すことができるのだろうか。
自分自身がまだ充てんしていないというのに。

自分がまるで出来損ないのような気がしてくる

私の画室はちょうど真反対の北側の部屋
寒い方が良い。集中できるから…
な~んて
そこからして、もう終わってるカンジ。人として。

絵を描くのにぬくもりはいらない。
私一人分の闇で十分だと思う。
…それどころか、描いていないと闇が広がってしまう。

ネガティブで良くない感情
今日は。

くいとめるために、とりあえず走る


加速

2011年01月16日 10時27分40秒 | 日記



もう8年ほど育てているグリーンネックレス
そこに何かの種がもぐりこんで葉を開いた。
金色に光って何かを知らせているみたい。



これはそのグリーンネックレスの花。                                                     
3年目頃から毎年この時期に花を開く。
小さな花だけど、咲いてくれるととてもうれしい。

この植物に対してはもうほったらかしだ。
自分で勝手に生きてくれる。

JRお茶の水の駅構内に小さなお花屋さんがある。
そこで、確か300円くらいの小鉢で買った。
丸くて、緑が美しくて、一目惚れだった。

そのまま医科歯科大の教室に持って行って、自分の机の上においた。
当時、大学内ではつらいことも多かったので、
気分転換に何かが必要だったのだ。

その時はまさか花が咲くとは思ってもみなかった。

彼らはどんどん育って小鉢からあふれたので、
株を分けたり、少し大きめの鉢に移したりした。

そして、いつか鉢は5つに増え緑の数珠は長く枝垂れた。
花が咲いたときはもう、ごほうびをもらったような気分!!

辛抱強く続けるていると、思いもよらないことが起こるときがある。

私が植物が好きなのは、
彼らが全く予測のできない生き物だからかもしれない。
もちろん、ちょっと調べればこの時期にこの花が咲くだとか、
その花はどんなだとかすぐにわかるけど

でも実際育ててみると
蕾を出すときの彼らの変調ぶりや、そのかたち、色、つや…
毎年咲く花でも、その都度驚きがある。
時々間違えちゃったりするし。。。



私は今日、また一つ歳をとる。
昨年秋から環境が激変して、少しとまどいもあったが、
今ではそんなすべてが面白くてたまらない。

時々加速のイメージがある。
光ほどの速さの先に見える小さな穴のような出口。

そこはまだずっと遠く


楽しいだけじゃない。山ガールは

2011年01月13日 08時22分00秒 | 日記


こんなに寒いのに、
けなげに生きる青虫発見。
愛用の登山靴を洗ってほしておいたら
暖をとっていた。
あやうく防水スプレーを彼にかけてしまうところだった。

奇麗な緑色。



甘藍(キャベツ)の葉に移動させてあげた。
君の生きる世界はこっち。

かわいいね~。

8年ほど前から、ふとしたきっかけで登山を始める。
最近はあまりやっていないのだが、
始めた頃は夢中になった。
というか、カルチャーショックだったのだ。

山小屋に泊まる。
水がない!?
…ということは
顔も手も口も洗えない。
男性のように、大胆に着替えることもできないので
汗で濡れた服も、着ながら乾くのをじっと待つしかない。
電気も制限される(消灯20時。夜中に目、醒めまくりですよ…)。
トイレのルールも厳しい…
シンプルとはこんなにも不自由なのか!!

山小屋で休むどころか

ある意味、修行です。。。

環境が激変して初めて気づく。
自分を変えるには想像以上の知恵と体力が必要なのだと。

そしてまさに今、奮闘中の人が上海にいる。
その人から学ぶこともまた、とてつもなく多い…

…ああ、こうしちゃいられなかったんだ。

2011年01月10日 11時50分14秒 | 日記


ちょっとクジラみたい。あるいはアザラシ?
泳いでいるみたいに見える。

雲のかたちを見ていろいろ想像するのが好き。



これは今朝の空。
立ちのぼるすじ。
早起きをしてよかった。
冬は早起きが好きだ。寒い季節もいい。

5時とか、暗いうちに起きて夜を2回味わう。
朝焼けと夕焼けを両方味わう。



先日、岡本太郎美術館に行った。
…遠かった…

同じ川崎なのに、なんて遠いんだろう。
私の住んでいる海側から、ずうっと北上。
旅??ですか…?

その場所で
すごく背の高い木、メタセコイアに出会う。
空にまっすぐ突き刺さるみたいだ。



この美術館の企画展で
池田龍雄先生の展覧会が開催されていた。
私は実は、大好きな先生なのです。

絵画世界の奥に、経験に裏打ちされた思想がつまっている。
中と外、体内と宇宙、始まりと終わり、そして空間、無…
私の頭の中を2極が渦巻く。
それはどこかでつながっているのかな?
それは絵画でつながるのだろうか。
絵画の可能性…

美術館を出るころには
すっかり夕方の気配。



メタセコイアの先端が明るく見えるのは夕日が映えているからです。

空は天井ではない。
その先はずっと宇宙空間。
果てすらない。
それは私たちに似ている。

始まりと終わりはあるの?

そんな奇妙な中にぽっかり浮かんで、
これを「生きる」と名づけた。
私たちは、私たちを。

生・死の計算式

2011年01月07日 09時47分38秒 | 日記



寒い朝だが、富士がきれい。
我が家のベランダからこんなふうに見える。

寒の入りというが、本当に寒かった。

ところで誰かの魂を大切に思う、
大げさな言い方だが
そのことだけに生きることができたら…。

そのことだけに生きることができたら、
他には何もいらなくなるのかな?

例えば、音楽は目に見えなくて
3次元に存在しないが、
私に脳があるというだけで
こんなにも豊かな想像の世界に引き込み、遊ばせてくれる。

だけど、その音楽が私に届くまでは
物質の世界を通ってくる。
楽器によって音を出す。CDになり、プレーヤーによって再生。
私はお金を払ってそれらを買う。
お金がなくては聞くことができない。

音楽でさえ、脳と物質の両方がないと実現されない。

誰かを思うことも同じだろうか。
この現実世界では。

思ってるだけではだめなのかな。
この肉体は道具だろうか?

死んで肉体がなくなったら、
思いだけになれるのかな。
いやいや脳がなくなったら、思うことすらできないか。
この現実世界では。

肉体+思い=生
生-肉体=思い
生-(肉体+思い)=死
生-肉体=死+思い
思い=生-(肉体+死)
?????????????
http://www.youtube.com/watch?v=MWaiFCGT-kc&feature=related


木瓜の花

2011年01月03日 01時25分22秒 | 日記



間違えてしまったのだろうか。
たった一つだけ木瓜の花が咲いた。

冬に咲く花はけなげでかわいい。



これからますます寒くなるというのに、
何故、花を開いてしまったのだろう。。。
そういう種類なのかな?
それとも目的に反した行動?
だとしたら花らしくない。
人間みたいだ。

今日はやっと絵に向かうことができた。

絵を描き始めると、気持ちが落ち着く。
自分のリズムの中に自分を落とし込むことができる。
絵を描いていないと、人のリズムの中に取り込まれてしまうようで、
苦しくなる。

よく「何故描いているのか」と聞かれる。
「幼い頃から描いてきたから」と答えることにしている。
実際そうだった。
紙とペンさえ与えておけば、おとなしくしている子供だった。
10代の頃は完全に家族からの逃避だった。
だから、私の絵は外に開いていなかった。

今はどうだろう。
絵について、一方向だけで語ることはできない。
内面に向いている。でも内に向かなければ外にも開かない。
画面をコントロールしたい。コントロールしなければ自由にもなれない。
常に両極の狭間にいる。
この両極を往き来し、時に目的を見失うのだ。

でも、この狭間にいる限り、絵というものの不思議を
複数の人と共有できる気がしている。
それは絵の不思議ではなくて、実は人間の不思議と
言い換えることができるからだ。

ホームページを更新しました。
よろしければいらしてください。
http://www.xax.bb4u.ne.jp/~michiyo/


元旦には

2011年01月01日 14時47分20秒 | 日記

一人で飲みまくります。

本来お酒はあまり強くないのですが、
何故か毎年、正月だけは日本酒を飲みまくります。

写真の朱の杯は、友人である若き漆職人が作ったもの。
修行にはみっちり時間をかけて腕を磨いた。
完全主義者なのだろう、どの作品も全くすきが無いのだが、
どこか繊細ではかない感じがするのが好きだ。

その側にあるお猪口は衝動買いしたマイお猪口。
これでお酒を飲むのがすき。

今日は朝5時起きをして
本を読んだ。
それから、お風呂にはいって久しぶりに髪を洗う。
これは初洗い。

私は自他共に認める洗髪嫌いだ。
何故人は髪を洗わなくてはならないのか。
人によっては毎日洗うという。
考えられない。。。

昨年から始めた夢日記。
今日、新しいノートの1ページ目をつける。

暗くてしめった森の中。たぶん雨上がりだ。
でもまだ降りたりない感じ。
深い緑色の森の中に、地下鉄の入口がぽつんとある。
「地下入口」の蛍光灯が灯って、そこだけ光っている。
私は地下鉄に乗らないと待ち合わせに遅れてしまうので
降りていく。
路線図を確認、でも電車に乗る前に目が覚めた。

駅名まで覚えていられたら
もっと楽しいのに。