Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

春妃の作品、悪のあれこれ

2015年01月30日 09時59分17秒 | 日記


昨日、上海の作家、春妃の作品が届く
3月の人人展に出展するものだ。

こんなに大きな箱で届くとは
全くイメージしていなかった!!
玄関が物置状態です。

このままでは開けられない…

運んできた郵便局の方も
あまりの大きさに
笑っちゃってた。

箱の大きさだけでびびるなんて
作家として情けない、
ただの非力な女のままではダメなんだと
何となく、自分を呪う
あーあ…

左側の段ボールは
人人展の古いカタログが入っている。

とにかく、大至急で部屋の片付けをしなくてはいけない。

だんだん寒くなってきたので
ベランダの幾つかの植物も中に入れてあげなくてはならないし

3月は
人人展の小品展と
座の会の小品展が重なってしまう。

座の会の方は規定があり、
2点のうち1点は
サイズ10cm×10cmに統一
こんな小さな作品、初めてです。

ネコの解剖図を描こうと考えていますが
小さすぎて難しく、手こずっています。

読み終わる。

「悪」や人がタブーとしてきたものを引き受けることは
おそらく自分の役割なのだと自覚しはじめた(遅い!)

だから、

絵描きの役割は
日常をふと忘れさせる美や優しさを見る者に与えることだと
そのような志の作家には
私はこてんぱんに非難されてきた。

また、女性のエロチシズムをロマンチックに商品化する男性作家にも
(実際その方が売れるのだが)
女はそんなもんじゃない、などと知ったように言われる。
(私の方が女なのだが。笑
それに男性に媚びるつもりもありません)

たいていは、黙って聞くことにしているが
そろそろ反撃してもいいのかな、と思いはじめた。
そうしたらもっと自分を言葉にする必要がでてきた。

そして
絵の中のそのテーマと平行して
2次元という限りある空間に、どうしようもなく魅力を感じる。

2次元という物質からくる哲学的な側面と
(逆に哲学への暴力かもしれない)
私の性質が引き受け、求める作品世界と
この二つが、まだ綯い交ぜになっている。


中村雄二郎 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E9%9B%84%E4%BA%8C%E9%83%8E


陰陽

2015年01月22日 10時43分23秒 | 日記

 
年が明けてから、既に激動

足の故障、人人会の事務作業トラブル
2つ重なった小品展に向けた制作

そんなわけで
数々の展覧会やその他お誘いをお断りしています。

申し訳ありません。

しばらく引きこもります。


話し変わりますが、
最近友人の周辺でとある事故が起き
その話が私のところにも聞こえてきた。

それは単独のまったく偶然の出来事に思えるが、
見方によっては、以前から連続した
一連の「不幸」な流れのひとつとも思える。

「不幸な感じ」はあるとき、完全な不幸となって
事件化し、次に連鎖していく。

この世界がどうにも気味悪く感じられた。

この世界が神秘で満ちているのは了解しているが
目に見えないものの「祟り」は私は信じない。
生きている者が作り出す幻想

人と人の間には幻想が生み出される仕掛けが常にあって

そのさまざまな仕掛けに翻弄されるように人はできている。

人は翻弄されたがっている

としか思えない。

(きっと私も?)

絵画の世界も。

この世界にいる以上、仕掛けをあばいても意味はない?
私はどうしたいんだろう…


写真の写りこみが厳しいですが、
これは現代芸術家西本剛巳氏の平面作品「アクエリアス」

私が30代、最初の離婚をするころで
「汚物を排水溝に流す」というイメージに取り付かれていた。
西本氏のこのバスタブの作品を見たときに
今の私のための絵だ、と直感、購入した。

昨年足利のM画廊から氏の画集が出版。
私のこの所蔵作品も載せていただき誇らしい。

この作品は購入以来
幾度も住居の変わる中、常に壁にかけて見つめてきました。

好きな作品とともに生ている
私は幸せだと思います。


*西本剛巳作品集 (2014年 M画廊)


「Aquarius」1991 西本剛巳作品集p.46掲載

西本剛巳 http://www.artlabplus.com/


仕事、始まる

2015年01月15日 19時38分39秒 | 日記


水彩画の教室、始まる

初仕事は日曜スケッチ教室
11日(日)の旧古河庭園は汗ばむほど暖かかった。

少人数がいいので10名以上は増やさない。

それ以上になると、ちゃんと見られなくなることが
自分のストレスになる。
それにスケッチのあと、皆でランチをするのに
人数が多いとお店を探しにくい。

先日は、もうすぐ私の誕生日だということで
昼からビールでお祝いをしていただいた。
ありがたいことです!!

もうすぐ誕生日だというのに
昨日の夕方、とある画廊でビールをのみ、
その後、別の画廊に行くみちすがら、
何もないところで
大捻挫をしてしまう。

バキッって音がしました(笑)

今朝整骨院に行って症状をうったえたら、
最悪骨折かもしれないので
整形外科に行けと言われる…

私は本当にバカなのか?


先日、柄谷行人の講演会を聞きに行く。
著書は私には難しく、
でも内容には興味があるので
一度話しを聞いてみたいと思っていた。

新宿紀伊國屋4Fのホール
女っ気なし!!

ほとんどが男性で、しかも冬だから
服が紺とかグレーとか…ロビーが異様に暗くて地味だ。

女性もちらほら
探せばいるにはいるけど
こちらも、暗い色の服で、男性に同化。

この日、私は今年最初の画廊めぐりで、
楽しみにしていた日展の先生の
3人展を見に行くという事情から
赤いワンピースなんてものを着ていた。

紀伊國屋ではじろじろ見られて
はじめ意味がわからなかったが
単に浮いていたんですね。

浮きすぎですね。。。

講演内容は
まさに今、私の知りたいことだった。

従来の哲学の方法では立ちゆかない社会構造になったと
哲学をやる人が、変えなくてはだめだと言っているのだから
説得力がある。
だけどやっぱり、ものを考えるのはおもしろい。

絵を描いていると、さまざまな疑問がわいてくる。

この世界を、一体どんなふうに捉えたらいいんだろう??

それよりまず
捻挫を防ぐには、一体どんなふうに歩いたらいいんだろう…


中国人女性作家 参加します

2015年01月07日 09時54分01秒 | EXHIBITION


3月の人人展のハガキができました。

今回は、人人展史上で初めて海外から作家を呼びます。

中国の作家 陈春妃chen chunfei* 氏は
上海在住の女性作家

人人に通底するものがあるということで
紹介されました。

作品を観ると、確かに感じます。

人人のテイストはまだ戦後日本の感じが残っていて
何かこう内面の吐露、精神性に重きを置いてるようにみえます。

作家一人一人の意識はそうでもないかもしれませんが
全体で見るとそう見える、
それが人人展かもしれません。

ですがそれは、
現代徐々に失われつつある精神性であって、
正直今の主流ではないと思う。

そんな人人と通じるテイストの陈春妃氏は
やはり中国の主流ではなく、
人人でさえ徐々に失いかけている内面性を
未だ強力に維持し、ストレートに描いている。

まだ無名の彼女と交流することは
今の人人にとっても良い刺激になるのではないか
というのが紹介者の意図だ。

この提案を寛容に支持してくださった人人会員の方々、
また、それにともなう書類作成にご協力いただいた
羽黒洞には感謝申し上げます。






というのは
作品はともかく、

彼女が日本に来日するのは簡単ではなく、
いくつかの書類を用意しなくてはならなかった。

今、その書類は上海にわたり
手続が無事に進んでいることを祈ります。

来日が実現したら
我が家にホームステイの予定。

私一人では微力なので
その時はまた、方々にご協力を願うと思いますが…

まずは、展覧会にお越しくださいますよう
よろしくお願い申し上げます。

* 陈春妃chen chunfei
1980 中国広西チワン族自治区生まれ。現住上海市在住。
個展
2007
年 矛盾空間展(北京)
グループ展
2008
年 自然と表現展(上海)
2008
年 現代アート展(北京)
2008年 上海田青画廊2008年女性世界現代芸術(上海)


陈春妃chen chunfei 「自画像」 油彩 F50


小学校時代のプチ同窓会へ

2015年01月06日 09時32分18秒 | 日記



昨日は、地元 大岡山へ

今年、大師線に初乗り

ヘッドには羊のプレートです。

川崎大師駅から沢山の人が乗ってきて
というか、乗り切れずホームに人が溜まっているという具合

そして車内は一気に酒臭くなった

1月、2月はこの界隈は異常なほど活気づく
それ以外は全く閑散としているというのに。

大岡山へは、一時退院した闘病中の友人と飲む…
という新年会。
小学校時代の同窓生が集まった。





一昨年、突然亡くなった小学校時代の友人のお通夜に出て
35年ぶりに同窓生たちに出会った。
それほどの時が経っているというのに
屈託なく、まるで昨日まで会っていたかのような距離感
大切な友人を一気に沢山得たように錯覚するが
実は35年前に、既に得ていたのだ。

その時に、地元に集っては飲んだくれるグループがあると知り
FBで繋がり、
それ以来飲み会の
仲間にまぜていただいている(笑)

昨日は、ジャングルジムでの集合写真、
キャンプファイヤーの写真とか
回して皆で笑った。

闘病中の友人は、お酒が飲めていたので少しほっとした





急性の病気
症状が突然発症することってあるのだ

「足がつって救急車を呼んだ」と聞いていたが
足がつることはよくあるので
もう少しつっこんで話しを聞いてみた。

実際は、手にもしびれがあり
足も骨が痛かったとのこと。
かつて経験したことのない痛みに
救急車を呼んだのだと。

病気の発見は早い方が良いので
決して我慢してはいけない、と言われた

帰り際、私たちの姿が見えなくなるまで
ずっと見送ってくれていた。
振り返ると、こちらからは
一人小さくなるまで立っている友人の姿が見え

目に焼きついてはなれない。

次は夏に会いたい

川崎大師に初詣


栗きんとんが作りたいわがまま

2015年01月01日 13時48分17秒 | 日記


ささやかですが、おせち料理食べています。
大格闘の末、なんとか無事に我が家も正月を迎えています。

毎年大晦日って
なんて大変なんだろう。
一年の大クライマックス、台風のような一日。

おせち料理の材料は、暮れに近づくにつれて
値段が高くなるような気がするので
今年は、意外と早めに購入。

で、栗きんとんの栗は、事前に買っておいたが
さつまいもはぎりぎりでいいや、と思っていたら
なんと売り切れに!!
夕方4時はまわっていて、あああもう!!

怒りの虫が体内を走りはじめた。

「売っている栗きんとんじゃだめなの?」

「私、それ嫌いだから」

嫌な女むきだしに

結局、主人に何駅か離れたスーパーまで買いに行ってもらう。

それもこれも、私が栗きんとんを作りたいばっかりに
というか、元旦に自分で作った栗きんとんが食べたいばっかりに!!

売り切れってやだ!

主人には、本当にすみません(最後の最後まで…)





煮物は全部まとめて一気に煮た。

だし巻きたまごは、作る段階になって
みりんがな~い!!
蜂蜜で代用しましたが、まあいいや。
(栗きんとんほどのショックではない)

やつがしら…
もの凄い「すがたかたち」をしています
怪獣みたい。
自然のすがたかたちには、時々驚かされます。

ああ、早く制作に戻りたいな。

暮れに友人の作家さん宅に招かれて
ご飯をいただいた。

正月はどうしてるの?という問に
他の作家さんは

「まぁ、制作ですね」

「ですよね、私も」

ってエーッ??
なんてクールなの?

大晦日に泥臭く格闘して正月飲んだくれるのは
私だけですか…そうですか。

皆様、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆様にとって良い一年でありますように。