Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

マニアックに語らせていただきます

2010年08月28日 20時46分43秒 | 日記
写真は群生させたおじぎ草。いたって元気だ。

今回は、絵画にはあまり関係ありませんが、自分なりのおじぎ草レポートをマニアックに語らせていただきます。
種を蒔いたのは5月中旬。無数に蒔きました。そして、ある程度条件を変えて育ててみた。
大きめのプランターに群生させたもの、大きめのプランターに株を離して育てたもの、一株を一つの鉢に育てたもの、3株を一つの鉢に育てたもの、などなど。結果は次の通りです。
大きめのプランターに群生させたものは、葉が互いに当たっているにもかかわらずとても順調に育つ。どれもまっすぐ伸び、花のつきもとても良い。逆に大きめのプランターに株を離して育てたものは、なぜか大きく育たない。一株一鉢で育てたものも、枝が横に広がり暴れた。蕾はついたが花の咲きもかんばしくない。3株一鉢は逆に順調である。また、1番はじめに双葉が芽吹いたものも、一株一鉢で育てたが、何故か未だに小さいままだ。

この人達は、群れて、互いに幹や葉を支えつつ育つのが快適なのかもしれない。そのためだろうか、幹には無数のとげやうぶ毛があり、何かにひっかかりやすくなっている。日が当たりすぎても、風があたりすぎてもいけないのかもしれない。
次に、花について。これはたった1日のいのちだ。朝咲いて(夜の間?それとも朝方?)夕方にはくしゃくしゃになっている。綿棒の先のような蕾は均等な小さな粒の集合体だ。花はどこから出るのか。粒の間から出るのではない。実は一粒一粒が蕾で、それがふくらんで花になる。幾本もの紫の触手(細長い花びら)を伸ばすのだ。どの粒も均等に触手を伸ばすので、結果として放射状の花火のような形になる。

群生したおじぎ草。きれいに開花している花の上に見えるもしゃもしゃは、昨日の花。その右側はこれから咲く蕾たち。


一株一鉢で育てたもの。開花が十分でない。上半分だけが開花した。

 
夏に咲くおじぎ草。1日のはかないいのち。

それは紫色の小さな花火のようでした。

山田宴三という作家について 2

2010年08月24日 09時33分29秒 | 日記



夏の薔薇。美しく咲いた。
ブログを読んでくださっている方に送ります。残暑もあと少しの辛抱。

昨日は、展覧会の搬入・展示の手伝いをさせていただいた。以前からたびたびご紹介させていただいている山田宴三という作家の手伝いだ。彼の作品を見ていると自分がいやになる。それほど何かがもう、自分とは決定的に違うのを感じる。心から尊敬している作家だ。
作品は一番大きなもので1800×1800mmのスクエア。これをどうやって壁に?と思う。知恵とアイデアが飛び交い、作品が徐々に壁におさまる。画廊が作家色に染められていくうちに、いつの間にかそこは、何かとてつもない空間になっていた。
絵のちからは想像を絶する時がある。そんな作家は魔物だ。

展覧会は明日から。作品は抽象画、あまさはない。是非ご高覧ください。

詳細は羽黒洞 http://www.hagurodo.jp/


作家本人も彼の絵のように、どこかとらえどころのない人物なのだが、昨日あまりの暑さに「かき氷が食べたい」と口走った私にアイスキャンディ-をごちそうしてくれた。

とても美味しかったです。


以前のブログより。
http://blog.goo.ne.jp/michika-6/e/7f16152404944e5be14d6c179e40eaf1
http://blog.goo.ne.jp/michika-6/e/5fafc7614ec89cdbad9851ac1271a0bf


甘藍

2010年08月20日 07時30分49秒 | 日記

写真は甘藍。
キャベツの中から生まれた花。

昨年の4月頃、冷蔵庫にほったらかしてあったキャベツをそろそろ食べなくてはと思い葉っぱをむいたら、一番奥が花になっていた。
こんなことってあるんだな…

狭い空間なので、円く渦状に縮こまってはいたが、それは確かに小さな花だった。 とりあえず水栽培することにした。根が出た後は、プランターへ。現在は写真の通り、うねうねと変な枝が出る始末。のびのび育つオバケカンランになった。
これは昨年、水栽培していた頃の写真。まだ小さくてかわいい(小皿の直径8cm)。



さっそく絵にした。自分でも大好きな作品。
この絵は、香港のアートフェアで素敵な女性が買ってくれた。



絵が売れる事なんてめったにない。というか、そもそも絵は売れないものだと思っている。幻想だと。それでも売れたときはとてもうれしい。
描いてきてよかったと思う。でも不思議と、寂しい気持ちも半分だ。
大切な分身のように思っている。

そんなつもりで描いている。


陣中見舞い

2010年08月17日 17時34分37秒 | 日記

我が家のベランダから見える花火。
多摩川沿いの花火大会。
ここに越してきて、本当に良かったと思う。
花火だとわかっていても、その爆音にいちいちびっくりする。


連日の猛暑。
こんな時に仕事に集中しろだなんて・・・
世の中にはそんな状況に、いらついている人も大勢いると思う。


なんとかならないものか・・・


私は絵を描く人間だから、絵を描く人間が好きだ。
こんな中で絵を描くのはきつい。
でも、がんばる。
がんばってほしい。
生きてること自体、
そもそもつらいことだから。

せめて花火をおくります。


 


おじぎ草開花

2010年08月13日 18時12分19秒 | 日記

あ!って思った。
毎日見てるベランダの異変。

発見はいつも耳のそばで何かが鳴る感じ。

そこにはおじぎ草第一号が咲いていた。
直径1.5cm程度の小さな花だ。

放射状に伸び出した薄紫色の花びら(?)の先端には
それぞれ小さな丸い玉がついている。

こんなに繊細な花だったとは!

おじぎ草の種をくれた友人は
以前にも花の写真を送ってくれてはいたが、
でもやはり実際生で見るのは違う。
しかも自分で育てたともなると、
その小さな驚きは私にとっては大きな体験だ。

描かなくては!

子供は、夏休みにこんな小さな体験をたくさん重ねて
ぐんと大人になる。
でも、大人になってもその気があれば、
まだまだ成長のチャンスはある。

私は、虫や植物たちと共に。。。

今日は父に会ってきた。
先日新しい病院に通い、パーキンソン症候群の診断を得る。
シンメトレルという新しい薬。
効いているのだろうか、久しぶりに父親と普通に会話ができた。

あきらめていたものも、誰かの助けで良くなることがある。
何かがぱっと開かれる。人の力は大きい。

何事もあきらめない。

あきらめないでほしい。


山田宴三 という作家について1

2010年08月11日 17時59分22秒 | 日記

多くの人に見て欲しい展覧会がある。

山田宴三という日本画家の展覧会だ。

写真は山田宴三
「異国の聖地」
素材は墨・胡粉・アクリルメディウム・和紙
8月25日(水)から羽黒洞で開催される。

彼の作品についてコメントできるほど私は成熟していないし、
私のブログで紹介したところで、小さな波紋でしかないだろう。
それでもなんでも、とにかく言葉に発することにした。

何かに似ることもなく、何かにこびるものでもない。
突然ぽっかりと出現した、モノクロの奇異な空間世界である。
二次元でしか創り得ないその空間は少し恐ろしくて、
同時にとても魅力的だ。それは何故か。

絵の焦点や中心がわからない。
空間の奥、行き止まりがわからない。
像を感じるけどはっきり見えない。
絵がこちら側に向かって来ているのか、実はその時点ですでにこちらが絵に取り込まれているのか。
これが作家独自の世界なのか、それともそれに触発されて自分自身の精神世界を見させられているのか。
線引きや既存のルールが皆無。
上下左右前後あらゆる方向に伸び出すベクトルが色をひっぱる。

振れ幅が増すと戻れなくなるようなこの揺れこそがまず一つ、
作品に恐ろしさとそして逃れられない魅力を与えている理由だと私は思う。

魅力はほかにもある。
後日また書きます。

この作家は個人的にもよく知る作家である。
美大を出ていない私に
根気よく絵というものを教えてくれている。
彼との問答は哲学的で少し深いところまでいく。
それは私自身、絵を続けていて本当に良かったと
心から思える時間である。

山田宴三の絵画世界を、その魅力をたっぷり味わってほしい。
是非ともご高覧ください。

詳細は羽黒洞まで。
http://www.hagurodo.jp/

山田宴三HP
http://enzoyamada.web.fc2.com/


おじぎ草の蕾

2010年08月08日 17時57分12秒 | 日記

とうとうおじぎ草に蕾がついた。
この写真でわかるかな?
初めて見る蕾。
うぶげが多く、いがいがしている感じだ。

双葉が出たのは2ヶ月ほど前。
そういえば、この日記はおじぎ草の発芽と共に始まった。
http://blog.goo.ne.jp/michika-6/d/20100604

どんな花が咲くのだろう。。。

結局、間引くことはあまりできなかった。
間引いていたらもっと大きく育ったかな。

プランターはおじぎ草のジャングルみたいになってしまった。
彼らが葉を一杯に広げるとほとんど土は見えなくなる。
そのジャングルが作る小さな森の世界はさぞかし涼しいだろう。
プランターをのぞき込むと自分が小さな虫になったような気持ちになる。

ガーデニングは楽しい。
視点をずらすだけで、自分が大きくも小さくもなれるから。
そんな作品を描けたらさぞかし楽しいに違いない。

花が咲いたらまた報告します。。。 


虫フェロモン

2010年08月07日 18時55分53秒 | 日記

飛んでいた蝉が私にとまった。

やった!

幼い頃から大好きな蝉。

7歳半まで京都で過ごす。
近くの神社で蝉を捕るのが好きだった。
夏は毎日蝉と遊んだ。

京都の左京区、修学院は
私が幼い頃は田んぼの広がる田舎だった。

カエルとかバッタとかミミズとか・・
小さな生き物と遊ぶ毎日。

そのせいだろうか、
大人になった今でもやたらと虫がよってくる。

気づくと何かが私にとまっていたりするので、
よく、虫フェロモンを出していると言われるほどだ。
ただし例外なく、蜂やアブもよってくる。蜂には以前刺されたし、
つい先日、アブにも噛まれた。それはそれはすごく痛い!

彼らは意外と力が強くて、ぎゅっとしがみついてくるし、しっかりと噛む。
それが野生。
犬や猫のように飼い慣らされて、人間になつくとはあまり聞かない。
植物のような手入れも許さない。
小さくても野生のままだ。

もちろん苦手な虫もいるけれど
愛おしいやつもいる。

少なくとも、私によってきてくれるのだから・・・。


神社で目が回る

2010年08月02日 12時11分33秒 | 旅行

家族で旅行に出た。

出羽三山をめぐる。

出羽三山とは、山形県の信仰の山、
羽黒山・月山・湯殿山の3つを合わせた呼び名だ。

それぞれ、現世・死・来世(復活)を表すのだそうだ。

初日に羽黒山、山麓の宿に泊まる。
朝4時頃、ヒグラシの大合唱で目が覚めた。
朝もやでかすかに白んだ空、まだ黒い森の中から
その鳴き声が霧のように聞こえてくる。

どんなに、大合唱でも決してうるさいわけではない。
何かとても懐かしい声。

ヒグラシ達にすっかり呼ばれて、散歩に出ることにした。
いてもたってもいられなかった。

少し歩くと、すぐに神社に出てしまった。
赤い鳥居にうっそうと木々が被さって、
そこが入口なのだとやっとわかる。
奥がよく見えないが道は確かに続いている。

森の中、まだ薄暗く怖かったが
お参りせずに通り過ぎるのは、無視するみたいでもっと怖かった。
出会った以上はお参りせねば・・・
とりあえず、境内に入りることにした。

右側には、かたちの違う数個の石がまつられていて、
中央にはとても小さなほこらが一つあった。
ほこらの扉はしまっていたのでお賽銭箱がない。
どうしよう。。。
ヒグラシの声にすっぽり包まれて
距離感がとれなくなっていた。
怖くて、その空間が自分を中心にぐるぐる回って感じられた。

目が回る。

やっと神社から出て、道を変えて散歩を続ける。
黒々とした森にかこまれた静かな里。
少しずつ明るくなりやがてわかったのだが
森の中には無数のお墓が点在していた。
どの森にもそれはあった。

それこそ小さなほこらやお地蔵様は、歩けば当るくらいたくさんある。
なんて土地なんだろう。
周辺の山、森や木々のすべてが信仰の対象で、
しかも死者とともに生活しているようにも思えた。

その価値観の違いをかみしめる。

でも、やはり…どこか懐かしさを覚えた。